「泣きそうな人」 テーマ★うっとうしい 夫が失業した。 私は、次の子がすぐにでも欲しかったのだが、経済的な基盤ができるまで、 子供を預けて働く事にした。 新しい職場は、若い女性が現場の主任をつとめていて、 少しの失敗でも、かなりきつく責められた。 「新入りのドン臭いおばさん」と烙印を押された私は、 日々、歯を食いしばられながら怒られ、びびりまくっていた。 ある日、主任にアゴで呼ばれ、「はいっ!」と、駆け寄ると、 「今日、新人のババアが来るから、一緒にやってください」 と、言われた。 「新人のババア」って・・・・・・。 私も、陰で何と呼ばれているのか、わかったもんではない。 でも、こちとら生活がかかっているのだ。 人間関係がどうとかこうとか、そう言う事を言っている場合ではないのだ。 働いて、子供に飯を食わせなければならないのだ。 「何を言われたって、痛くもかゆくもない!」 「やる事やって、もらうもんもらう! それだけ!」 自分にかなり無理矢理いい聞かせ、 元気を奮い起こして、元気に「はいっ!」と答えた。 そして、いよいよ彼女・・・・・・「新人のババア」・・・・・・がやってきた。 私がエシャクすると、遥か向こうから、 すたたたたたたたたたたたたたたたたたた、 と、能役者のように、すり足で、上半身を微動だにせず、駆け寄って来た。 「亀山かね子でございますぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」 50歳前後か。 もう、一見して、イッパイイッパイなのがわかる。 眉は、八の字、化粧はマッチロ、口はおちょぼ口で、 泣きそうなのである。 「なにがなにやら、まったくもって、わからない状態なのでございま すぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」 あっ、泣くのか? 今、泣くのか? いや、泣かない。泣きそで泣かない。 「今、どうしたらいいですか? 私、何したらいいですか? これは、このような要領でよろしかったですか? これでいいですか? だいじょぶですか? 亀山かね子でございます」 「あ、それでいいと思います・・・・・・」 私も新人なのだ。 怖い怖い主任を前に、あまりえらそうに仕事の指示もできない。 「亀山かね子でございます。 この作業は、こういった手順で、こういった作業で、ようございましたか? ようございましたでしょうか?」 「あ、いいと思います・・・・・・たぶん・・・・・・」 「あの・・・・・・、何度も何度も、ごめんなさいね・・・・・・ 亀山かね子ですけれど、もう帰ってよろしいのでしょうか?」 「はああああああああっ?!」 仕事は、まだ思いっきり途中である。 後片付けして、主任が親会社にOKをもらって、はじめて仕事が終わるのだ。 ところが、亀山かね子は、もう、帰り支度を始めた。 「あの・・・・・・、まだまだですよ。仕事・・・・・・」 恐る恐る私が亀山かね子に声を掛けると、 亀山かね子の八の字眉が、何とも悲しげに痙攣した。 泣くのか? 今、泣くのか? 亀山かね子は泣かなかった。 新人の私の、右斜め後ろ30センチにぴったり張り付いたまま、その後1時間半、 「こうでございましょうか? このような形でよござんしょか? 亀山かね子でございます」 と、繰り返した。 そして、10分に1回は、次男がピアノで、何か大きな賞をとった事を話題にした。 仕事が終わると、亀山かね子は、物凄い勢いでロッカールームに飛び込み、 物凄い勢いでベージュの「パンタロン」に着替えた。 「私、2年前に小3の長男が障害者になりまして、ずっと介護の毎日を過ごしてま いりました。 子供が施設に入る事になりまして、時間も空いたものですから、 外に出たい、外に出たい、と思うようになり、今、ここにいるのでございます。 そんな、亀山かね子なのでございます」 パンタロン姿で、すっくと同僚たちの前に立つと、亀山かね子は天井をみつめながら語った。 「はあ・・・・・・」 「16年ぶりに社会に出て、浦島太郎の亀山かね子なのです」 主任は、私をにらみつけ、(早くそいつを連れて行け)と目で怒鳴った。 私は、「はいっ!」と、飛び上がり、 「お疲れ様でした! お先に失礼いたしますっ!」 と、亀山かね子の背中を押しながら、事務所を出た。 帰りしな、最寄り駅に一緒に向かう途中、亀山かね子は、私にモミ手しながら言った。 「あなたのような方なら、いろいろと職業を選べると思いますのに、 どうしてこのようなお仕事を選んだのですか?」 私は、亀山かね子の顔をまっすぐに見て、答えた。 「私は、いろいろな仕事の中から、この仕事を選んだんです」 亀山かね子は、ぼんやりとして、首をかしげていた。 泣きそうだった。 泣かなくていい! 泣かない泣かない! 亀山かね子は、泣かなかった。 むしろ、私の方が泣きそうだった。 これからずっと、私は、この亀山かね子と組んで、仕事をするのだろうか? 主任に2人分にらまれながら、常に、右斜め後ろ30センチに、亀山かね子がいるのだろうか? 亀山かね子は、泣きそうで、泣かない。 そして、私は、もうすでに泣いている。 (おわり) |
2001.07.13 作:あかじそ |