「パニック・パパ」  テーマ★いらつき


 おっとり型で、いつも妻にイライラされている夫が、時折、音もなく声もなく、
パニクっていることがある。

 「洗濯物干しておいてよ」

と、妻に言われて、洗濯バサミがいっぱいぶら下がっている、
あの四角い枠(名前は何というのだろう)を、竿にかけようとしていた。
が、6〜7個の、その干す道具が、洗濯バサミ同士がガチャガチャに絡みついて、
離れなかった。
こっちをはずすと、あっちが絡み、あっちをはずすと、
こっちが再び絡むのだった。
 
「んが〜〜〜〜〜〜」

と、力づくではずそうとしてもはずせず、本体の鎖が外れてしまったりして、
やればやるほど、ドツボにはまっていく状態だった。

 私は、その時、夫の背中から、めらめらめらめらと、
悪い「気」が立ちのぼっているのを見た。

丁寧にやってもダメ!
力づくでもダメ!
叫んでもダメ!
泣いてもダメ!

 洗濯バサミは、優しく接しても、威嚇してみても、情に訴えてみても、
てんではずれやしないのだった。
 
 突然、聞いたこともないような、甲高い「音」が聞こえた。

「ンキーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 その音は、夫が発しているようだった。

 彼は、黙って、音もなく、沸点に達してしまった。
一線を越えてしまった。
イッチマッタ。

 いつもなら、

「な〜にやってんのよっ!」

と、軽く突っ込みを入れてやるところだが、私とて、もう、
この世のものでない夫に近寄れない状態になってしまっていた。 
 
(何か、憑いてる・・・・・・)

「ンキーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「ンキーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「ンキーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「ンキーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 怖いって!

 夫の丸い背中はプルプルと細かく震え、その洗濯バサミ付き四角い枠を、
渾身の力で引っ張ったり、揉みこんだりしていた。

「だ、大丈夫・・・・・・?」

 私は、新婚の頃のような、優しげな声を掛けてみた。

「ンキーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 あかん!
別人格が宿っとる!

 「あ、あのう・・・・・・、私がやろうか・・・・・・?」

「ぐるるるるるるるるるるる、ぐるるるるるるるるる・・・・・・」

 あかんあかん!
ヒトじゃない! 

 夫は、洗濯バサミが全部ガチャガチャガチャガチャ鳴るほど震え、
しばらく声もなく丸まっているかと思うと、突然、

「の〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んっ!!!」

とか言って、立ち上がり、四角い枠を天井に目一杯掲げ、
神か何かに捧げたりしている。

「ぐるるるるるるるるるるるるる」
「の〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
「ぐるるるるるるるるるるるるる」
「の〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」

 「の〜ん」て・・・・・・。

 私は、もはや私の夫ではなくなってしまったその獣を置いて、
そっと退室した。

(今のは、見なかったことにしよう・・・・・・)

 その日の洗濯は、どうなったのだろうか。
私は、意識的にそのことを忘れようとしていたので、
まったく覚えていないのだ。

         
                       (おわり)