せゆりさん 180100 キリ番特典 お題「違い」
「 深いやけど 」

 湯をかぶったり、火に触れたりして、高温でやけどするよりも、
目に見えないけれど、低温でじわじわとやけどしたした傷の方が、
深くて治りにくいという。

 私が、今まさに目の前に提示された課題が、
子供たちの「心の低温やけど」だ。

 子供が多いけど、みんないい子で、楽しい我が家。

 でも、それは表面だけの話で、
実は、目に見えないだけで、深い傷を負っている子がいた。

 現在小4の三男だ。

 彼は、生まれつき神経質で、重症のアレルギー体質のため、
アトピー性皮膚炎、喘息、蓄膿症などの持病とあいまって、
常に体調の悪さの中で暮らしている。

 また、アカンボの頃から、毎夜、足の関節を非常に痛がり、
一晩中さすってやらないと眠れない夜もある。

 学術的には、まだ根拠が証明されてはいないようだが、
アレルギーと関係あるのではないか、と思う。
 「小児リウマチ」というものも疑われるし、
三男に関しては、いずれ全身的な検査が必要だと考えている。

 本人は、「そんなことしなくてもいいよ」と言うのだが。

 それに、他にも気になることもある。
 本人も気付いているようだが、かなり、多動の傾向があることだ。

 授業中、じっとしていなければいけないストレスで、
無意識に髪の毛や眉毛、まつげを抜いてしまい、
ふと気付くと、人相が変わってしまうほど 
一部がつるつるになっている。

 視力がものすごく悪い私が気付くころには、
もう、本人も悩むほどハゲが目立つようになっているのだ。

 「このくせはやめようね」
と優しく諭し、本人もやめたがっているのだが、
すぐにはやめられないようだ。

 自分の毛を抜きまくる、という行為は、自傷行為なので、
心に問題があることは明白だ。

 そういえば、幼児の頃から、すぐに興奮し、
興奮が興奮を呼んで、びっくりするほど大暴れしていた。
 家のものを壊し、親兄弟を殴りつけ、
押さえつけようとする家族に対して、
「やめろー! やめろー!」
と半狂乱で泣き叫んでいた。

 何度も精神科や神経科を受診させようと思ったが、
興奮が収まると、コテッと眠ってしまい、
起きたときには、ケロッとして「ごめんなさい」と舌を出すので、
親の方も、「あ、大丈夫かな」と思ってしまっていた。

 もともと神経質でアレルギー体質だったけれど、
もしかしたら、この子は、ある種の病気を持ち、
我が家の環境に合っていないのかもしれない。
 
 なぜなら、子供たちが大勢いる中で三男を叱ると、
半狂乱で猛烈に反抗するくせに、
個人的に「これはやめてよ」と言うと、
ものすごく素直に言うことをきくのだ。

 いや、待て。
 これは、他の子供でも同様だ。

 では、なぜ、この子は、
猛烈に暴れたり、急におとなしく素直になったりするのだろう。

 私は、いろいろなパターンを思い浮かべてみた。
 そして、ふと、ある法則に気付いた。

 私が荒れているときは、子供も荒れる。
 私が落ち着いているときは、子供も落ち着いている。

 どの子もどの子も、当然その傾向はあるだろうが、
三男は、それが極端な気がする。

 私が怖い顔で叱ると、
生きるか死ぬかのような悲鳴を上げて暴れだす。
 「歯磨きしなさい」
といった、日常のささいな注意でさえも、
私が不機嫌な顔で言うと、パニックになる。

 他の子に注意しているとき、
注意された子が、それを無視したりすると、
これまた三男だけが悲壮な顔をして、
その兄弟をぶん殴ってまで
「お母さんの言うことを聞けよ!」
と必死になる。

 そうか。

 この子は、母親が不機嫌になるのが、
本当に本当に怖いのだ。
 本当に本当に、生きるか死ぬか、というほどの問題なのだ。

 5人兄弟の中の3番目で、
4番目が生まれるまでは、みんなのマスコットだったが、
4番目が生まれたとたんに
家族の端っこへと追いやられたのだ。

 みんな、そんな気は、まったくないのだが、
長男次男は、三男をいつも厳しく扱うし、
四男は、甘え上手で、
三男は、自動的に悪役になってしまう。

 哀しくても、淋しくても、
要領の悪い三男は、ただ、暴れるしかできない。
 嬉しくても、楽しくても、
ただ、もじもじニヤニヤするしかできないのだ。


 この間、三男が
「夏休み前に漢字の総まとめテストがあるんだけど、
習っていないところも出るからすごく嫌だ!」
と、ぐずっていたので、学校からもらったという模擬テストのプリントを、
20枚くらいコピーしてやり、正解を書いたプリントを添えて渡してやった。

 それをやらせてみたら、
1問2点で50問、計100点満点のテストが、
半分の48点だった。

 「あ〜、やっぱダメだ!」
と、荒れているので、間違ったところをひとつひとつ解説しながら
赤いペンで書き直してやり、大きく手本を書いて5回づつ練習させた。

 いやいややっていたが、
2回目に同じテストをやってみたら、いきなり90点になった。

 私は、「やったね!」と大いにほめてやったのだが、
それがきっかけで、三男は、目に見えて明るくなった。
 ちょっとはしゃぎすぎとも思えるほどだった。

 毎日自分から漢字のプリントを埋めてきて、
「お母さん丸つけして」
と持ってくる。

 いつもの私なら、
「あとでやるからそこ置いておいて」
と言い、結局忘れてしまうのだが、
今回のこの三男のやる気は、伸ばしてやらにゃあならぬ、
と思い、今やっていた用事を横に置いて、
丁寧に丸付けと間違いなおしをしてやった。

 すると、あっという間に満点を連発するようになり、
そのプリントを先生に見せたら、とてもほめられたと言う。

 そんなこともあり、
ここしばらくは、三男は機嫌よく過ごしていたのだが、
機嫌がよすぎて生活のけじめがなくなってきてしまった。

 そんなとき、朝、機嫌が悪かった私が、
「歯磨きをしろ」
と叱り、
「いやだ」
と三男が反抗するのを繰り返すうち、
学校でも家でも、髪の毛やまつげを猛烈に抜く癖が
再発してしまった。

 長男も、次男も、四男も、ここまでひどくはないけれど、
母親と対立することで、激しく情緒が乱れ、
なにかしら問題のある行動を起こすことがある。

 要は、みんな母親のことを好きでいてくれて、
母親が自分を認めてくれることで、
心の滋養強壮としているのだろう。

 そう考えると、重要な役割の母親である私は、
日々の忙しさや、波のある気性で、
子供を随分不安にさせているのだと思う。

 私の笑顔ひとつで幸福になれてしまう彼らに、
しかめっ面ばかり見せて、
時には、憎しみすら感じ取れるような睨みつけをしている。

 彼らは、見た目は、非常に「いい子」だ。
 だが、見えないところで、
母親からの愛情に自信を持てずに苦しんでいるのだろう。

 その苦しみを抱えたまま大人になると、
かつての私のようにうつ症状に陥ったり、
自暴自棄で凶暴な行為に走ってしまうのだろう。

 私は、今まで間違えていた。

 私には、子供は5人いるが、
子供たちには、それぞれ、母親はひとりしかいないのだ。

 私は、どの子と喧嘩しても、
その他の子と仲良くしていれば、気分も復元できるが、
喧嘩した子は、「たったひとりのお母さん」に
捨て去られたような気分を引きずるだろう。

 
 毛を抜きまくった三男に気を使い、
いつもより優しく接したら、
三男は、落ち着いて笑顔を見せ始めた。
 しかし、宿題をさぼってばかりの次男に
私の拳固が飛ぶと、
今度は、次男が、号泣しながら暴れている。

 全員に優しく!
 全員に平等に!

 そう固く決心しつつも、
やはり、けじめのない行為や、間違った行為には、
断固きつくしかりつける方針には、変わりは、ない。

 いつもいつも機嫌よく、というわけにはいかないが、
せめて、自分の気分をコントロールできる大人になれないと、
子供が深い傷を負ってしまう。

 親に扶養される子供にとって、
親の機嫌は、本能的に、
生きるか死ぬかの大問題なのだ。

 「親に捨てられたら死ぬ」という
太古からの危機感を持っているのだ。

 そういう悲壮な一面を持つ「子供」という生き物を、
我々大人は、おもんばかってやらなきゃダメなんだろう。
 子供と一緒になって、
いや、子供以上に悲壮な気分で
キーキーキーキー言っていたら、
大人も子供も、ちゃんとした一人前の生物になれないのだ。

 私自身、子供の頃に負った「深いやけど」を治すのに、
40年近くかかっている。
 私の子供の傷は、深めだが、まだ間に合う。

 昨日までの私と、
今日からの私の「違い」、
それを明確にしよう。

 今、この瞬間から、
「違い」を発動せねばならぬ。

 じわじわと見えないうちに、
日々の生活の中で、
子供に深い怪我を負わす加害者でいることをやめ、
「対人間」として関わろう。

 いつも子供に対して言っているセリフを、
大事な友人に言えるか?
 いつも子供に対して行っている行為を、
学校の先生にもできるか?

 できないのなら、子供をちゃんと人間扱いしていないんだ。

 私は、残念ながら、まったくできない。

 知らず知らすのうちに子供を私物化し、
ひどい仕打ちをしていたと思う。

 愛情があれば、何してもいいのか?
 そんなわけないだろう。
 愛しているなら、ちゃんと人間扱いしなくては。


 今日本日からの私の、昨日との「違い」は、
「笑顔」に決定した。

 小難しい育児理論は、わからない。
 立派なマニュアルも、実行できそうにない。

 でも、笑顔を子供に向けることくらいは、できる。
 ひきつっていてもいいや。
 腐っても笑顔じゃないか。
 容姿端麗なお母様の睨み顔よりも、
いろんなところが全体的に垂れてきているオカーチャンの、
崩れた笑顔の方が、何倍も美しいにきまってる。


 笑顔、時々雷。


 いつもシトシト降っている空模様よりも、
ピーカン時々スコール、の方が、気持ちいい。


 昨日の間違いを今日気付き、
明日には、不器用な修正をする。
 気付いて直す、気付いて直す。

 これが、人間の成長の仕組みなんだろう。


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 ちなみに、今朝、
次男は、母親にものすごい鉄拳を浴びせられ、
近隣一帯に響き渡る大声で泣き喚いたが、
その数分後、8ヶ月の長女を抱きしめて、
「かわいいね」
とキスをしていた。

 アカンボは、
宿題をサボっても、歯磨きしなくても、
兄弟げんかをしても、先生や親の言うことを聞かなくても、
決して自分に文句を言わない。

 世界中の人間に叱られるようなことをしても、
このアカンボの妹だけは、
両手を自分に向かってさし伸ばし、
笑顔で頬を舐めてくる。

 長男が、学校でへこんで帰ってきたときも、
三男が毛をむしりすぎた日も、
四男がお友達に約束をすっぽかされたときも、
アカンボを抱いて頬擦りしたら、
それぞれヒットポイントが回復していた。


 ありがとう、娘。 

 まだアカンボの娘は、
生後8ヶ月にして大事な役割を果たしている。

 思春期の子供たちのオアシスになっている。
 見習い母親の、ありがたい名アシスタントだ。
 心の「オロナイン」だ。

                             
 (了)                             

(子だくさん)2006.7.13.あかじそ作