「 攻めの夏 」

 ああ、またやってきた、夏休み。

 「お腹減った〜」
 「なんかない〜?」
 「今日のごはん何〜?」

のセリフに、起きている間じゅう、
攻め立てられる長い休み。

 おまけに、

 「○○くんは、ポケモンの映画見たって〜」
 「△△くんは、沖縄とハワイ行ったって〜」
 「××くんは、カブトムシいっぱい飼ってるんだよな〜」
 「あ〜あ、ひまだなあ〜」

 という、世間話ともおねだりとも取れる話題を、
毎日毎日こちらに振ってくる。

 ああ、え〜っとね、君たち。

 子供の頃の夏休みの思い出って、素敵だよね。
 お母さんも、よ〜くわかっているよ。
 でも、実は、大人の世界ではね、
「2、8(ニッパチ)」って言ってね、
2月と8月は、ものすごく景気悪いわけ。
 
 で、自営業は、もろ、ニッパチって、キツイわけ。
 やばいわけ!!!
 
 感性あふれる子供時代に、
海にも山にも、川にも、野原にも、連れて行ってやりたいし、
海外文化にも触れさせてあげたいし、
大きい画面で、迫力の音響で、名作映画も見せてあげたい。

 でも、この財布が・・・・・・
 財布のヤツが、なかなかウンと言ってくれないのだよ〜。

 で、毎年、
「どこか連れてって」
の声に、
「うるせい、宿題やったか!」
と、猛烈に逆ギレ的発言を連発し、
「お腹すいた〜」
の攻撃に対して、
麺類麺類、また麺類、
の攻防を繰り返していた。

 が、このパターン、
親子ともども、非常にストレスがたまるし、つまらない。
 イヤイヤ過ごす、後ろ向きの夏は、長すぎるのだ!

 これでは、いかん。

 海外旅行に映画三昧に外食めぐりにおでかけ天国、
とまではいかないが、
せめて、「守りの夏」から「攻めの夏」に転換して、
どうせ同じ夏を過ごすなら、
素敵にコーディネイトしたろうじゃないの!

 
 そんなわけで、今年の我が家の夏のテーマを、
「学ぶ、働く、遊ぶ」
とし、こちらからいろいろ仕掛けていくことにした。

 まず、7月中は、毎日宿題をサクサク片付け、
みんながんばったら、
「何か楽しいサプライズがあるよ」
というお楽しみを用意した。

 「サプライズ」と言ったって、
たかだかファミレスにお昼を食べに行くくらいのことだが、
外食をほとんどしない我が家にとって、
「外食=おでかけ」
という、付加価値がついているのだ。
 現に、食べ盛りの子供のいる一家7人が、
好きなところで、好きなものを、好きなだけ食べたら、
一食で万券がバッサバサ飛んでいく。
 我が家にとっての外食は、
随分前から家計を切り詰め、
チマチマした積み立てをしたのちに、
やっと可能になる一大イベントなのだ。
 サザエさんちが、外食に行くのに
家族全員正装するようなものだ。
 そういうテンションのものなのだ。

 お友達のうちが日常的に行くデパートにも、
我が家にとっては、「特別なお出かけ」という価値がある。
 子供たちも、「うちは、ヨソのうちとは何か違う」と思いつつも、
オカーチャンがダメと言うのだから、従わざるを得ない状況だ。
 しかし、中学生にもなると、いつも友達と行動し、
普通にファーストフード店や盛り場(言い方古!)にも行くようになるので、
小学生のうちは、これくらいでいいと思っている。

 さて、7月中にほとんど宿題をすませたら、
8月には、苦手な科目にじっくり取り組む。
 ひとりひとりに合った「カーチャン夏季講習」をやる。
 それぞれの苦手科目の苦手分野をチェックし、
「カーチャンプリント」を作り、満点を取れるまで、
何度も何度も繰り返し解く。
 見事全員課題をやりぬき、
「何だよ、こんなの簡単じゃん」
「なんで今までわからなかったんだろう」
「やればできるんだな」
「勉強って面白いな」
という感想が出れば、大成功。

 就きたい仕事が見つかって、
なりたい自分がわかったとき、
思うような進路に進めるように、今から準備。
 たとえその勉強が将来に直接役立たなくても、
知らないことを知る喜びを体験することが、
これからの人生にプラスになるだろう。

 でももし子供が嫌がって、
こちらの課題を拒否し、
勉強が苦手なまま大人になっても、
それはそれで貴重な体験。
 大人になってから
「もっと勉強しておけばよかった」
と痛感する、という経験ができる。
 私は、まさにそれで、
大人になってから大学に入りなおしたクチだ。
 大人になってから、自分で稼いだお金で学費を払い、
小さい子供を抱えながら勉強した経験は、
何ものにもかえがたい。 

 子供の頃の勉強嫌いは、
もしかしたら、ずっと後になってからわかる、
何かの経験の伏線かもしれない。


 さて、続いては、「働く」ことについて。
 当初は、簡単な内職を探して、
母子でチマチマ手仕事をし、
労働する喜びを体験させようと思ったが、
思うような内職先が見つからなかった。
 よって、路線を変更し、
大人になる前に、最低限の身の回りのことができるように
生活訓練をすることにした。

 各自、掃除洗濯炊事片付け乳児の世話など、
家事一般のノウハウとスキルを身に付けるため、
ひとつひとつ私が手本を見せてから、
子供たちにやらせることにした。

 面倒くさがって、なかなかやろうとしないのだが、
「自分のケツも自分で拭けない男になりたいのか」
と、凄い目ヂカラですごんで
半分脅しで仕込んでいる。

 もっと進んで面白がって取り組んでもらえるように、
こちらサイドも要研究だ。

 「家庭教育」もラクじゃないのだ。

 さて、これらの課題がクリアできたら、
子供たちには、
もっとグレードアップした「サプライズ」が待っている。
 今まで夏休みには、ずっと封印されてきた、
家族で「遊ぶ」ということ。

 その内容とは、こうだ。

 @岡本太郎遠足

 汐留に展示中の「明日の神話」や、
表参道の岡本太郎記念館、
都内に散らばるオブジェを巡り、
岡本太郎の魂に触れる遠足を挙行。
 もちろん、各自リュックには、おにぎりやバナナが在中。
 オヤツは200円以内。

 A我が家をアートに

 太郎の魂に心を震わせ、
感動が醒めやらぬうちに、
子供らに、ペンキ各色を手渡し、
トイレや家の中の建具に、
好き放題ペイントさせる。
 もうぼろぼろのこの家は、売買契約には値しない、
後は解体するだけの古家。
 このことを最大限利用するには、
家を「使い切る」しかない。

 お友達の住む新築の家をうらやましがる子供たちに、
我が家の独特の素晴らしさを感じてもらおうではないか。
 ドアや壁に、好き放題ペンキで大きな絵を描いていい、
という家庭がどこにあるだろう。
 ああ、アート無法地帯。

 図画工作が異常に好きなうちの子供たちに、
家一軒全部使って、どでかい図工をやらせちゃう。

 チンマイ画用紙におさまりきらない、
爆発のようなアートの魂をたたきつけろ!
 今しか描けないみずみずしい表現を爆発させるんだ!

 Bライブ巡り

 ゲームのようなバーチャルな中で生きるのではなく、
生(ナマ)の魂がぶるぶる伝わる「ライブ」に行きまくることで、
心も体もナマでゴーゴー生きてもらいたい、
という狙いだ。

 たとえば、プロレス興行。
 たとえば、美術館。
 たとえば、観劇。
 たとえば、生演奏。

 そして、ド田舎。
 そして、高い塔。

 人が生きていること、
 魂が震えること、
 声を出すこと、
 踊ること、
 叫ぶこと、 
 笑うこと、 
 歌うこと、
 泣くこと、
 ほえること
など、ナマの「生きる」を知る。

 その一方で、自然の正体に触れ、
高いところから地べたを見下ろし、
人間の小ささを実感する。
 ひとりひとりは、すさまじいパワーを持っているが、
自然の中においては、ちっぽけな存在であることも知る。

 きっと、子供たちは、
「わ〜」とか「ひえ〜」とか歓喜の声をあげながらも、
無意識下では、パニックを起こすだろう。

 「人ってすげえや」
という事実と、
「人って無力だ」
という事実を同時に思い知り、
混乱するだろう。

 その混乱の中から、自分の哲学を導き出し、
混乱の中から、独自のアートを爆発させていってもらいたい。


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 私たち親にできることは、
「ものを与えること」だけではないと思う。

 子供に金を使って、
「子供自体に付加価値をつけること」を
親の使命だと思う節があるが、
実は、そうではなく、
野生動物のように、
子供が悪いことをしたら甘噛みして叱り、
そして、この世がどんな世界か、
どう生きたら自分らしく生きていけるのか、
ヒントを与えてやることが大事なんだと思う。

 そして、子供が親から巣立つとき、
こちらから醜く追いかけるようなことはせず、
「さあ行け」
と笑って背中を蹴っ飛ばしてやりたい。
 もう、こっちを振り返るな、前へ進め、
と、知ら〜ん顔をしてそっぽを向いてしまおう。

 親が作った巣箱に安穏と根を生やさず、
ちゃんと心身ともに独立した大人になって、
「こんな家、出てやる」
くらいの勢いで子供が飛び出して行けるように、
後半、あえて居づらい家にしてやろう。


 おっと、話がそれまくってしまった。
 また知らぬうち、金八っつあんが取り憑いていた。
 話を戻そう。

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 今までの夏は、
ただエサをくれてやり、
「そこでじっとしてろ」
と、ひたすら待機させ、
互いにイライラして、
子供時代の貴重な体験を無為にした。

 さあ、今年の夏。
 相変わらず金は無い。
 金は無いけど、愛はある。
 魂だけは、ちゃんとある。

 鉄道の乗り放題の一日乗車券や、
ひとからもらったタダ券などを
最大限に利用して、
あっちこっちにでかけよう。

 公民館の子供映画でも、
町内の運動会でも、
フリーマーケットでも、
地域の農業体験でも、
無料のイベントには、どんどん顔を出すぞ。

 気をつけて広報誌や新聞やチラシを見てみると、
そういうイベントが盛りだくさんじゃないか!
 何で今まで気がつかなかったんだ?
 「逃げの夏」だったから目に入らなかったのか?
 

 さあさ、夏夏。

 「学ぶぞ〜!」

 学生の本分である勉強というものは、
実は、「面白いこと」だということを、身をもって体験。

 「働くぞ〜!」

 子供が家事全般を自分でできるように訓練し、
リアルな生活、ライブの生活を身に付ける。

 「遊ぶぞ〜!」

 「わーい、わーい」
と駈けずり回ったり、遠足したりしつつ、
いろんな人がいて、いろんな世界があることを目撃する。

 大人が思うより激しく、ライブに影響される子供の心。

 大人の放つ、
このことばひとつにも、
このまなざしひとつにも、
この笑顔ひとつにも、
子供は、心をふるわせる。 

 と、同時に、

その絵のパワーに、
その曲のリズムに、
その街の鼓動に、
その森の風の匂いに、
子供は、心をふるわせるのだ。

 その「ふるえ」が、生きる原動力に変わるとき、
初めて子供は、大人抜きで生きていく力を持つだろう。

 チャリンコのライトのように、
自分の足ででこいで発電し、
自分の未来を照らすのだ。

 攻めの夏。
 心ふるわせる夏。

 ついでに大人だって、
心の血管が詰まらないように、
心の血液がサラサラになるように、
いっちょ子供と一緒にふるわせとくか。

 この夏は、バイブレーションだぜい!
 攻めていくぞい!


    (了)

(子だくさん)2006.7.25.あかじそ作