「 お母さんは大きくなったら何になりたいの? 」

 将来何になりたいか?
 という話題になり、子供と話し込んだ。

 長男は、中2で、
多くの友達が、
「サッカー選手になりたいからクラブチームに所属している」
とか、
「キャビンアテンダントになるために英語を習っている」
とか、
そういう具体的なビジョンを持って生活している中で、
のほほ〜ん、と
「パティシエになりたいな〜」
とか言っている。

 前は、「パン屋さん」と言い、
その次は、「コックさん」と言っていたが、
包丁で手を少し切ってから、
「刃物恐怖症になっちゃった〜、コックさんは無理〜」
と言って、
最近は、「パティシエ」と言い始めた。

 何だかな〜!

 確かにどんなに疲れて部活から帰って来ても、
毎日必ず台所に立って
何かしらオヤツを手作りしているところを見ると、
好きなんだろうなあ、と、いうことはわかる。

 で、
「じゃあ、高校卒業後は、調理師専門学校かな?」
と聞くと、
「大学に行ってみたいなあ」
と言う。

 大学出てから、調理師の学校か。
 う〜む・・・・・・、マジ?

 せめていい成績をとって奨学金をもらうか、
「本人が後で返す進学ローン」でお願いしますよ〜。


 さて、次。
 次男。小6。

 こいつは、もう、小さい頃から決まっている。
 第1候補、漫画家。
 第2候補、デザイナー。
 第3候補、「イサム・ノグチ」。

 確かに絵はうまいが、
最近、どうもチマチマと小さい絵ばかりを描き、
こじんまりとした作品にまとまろうとしているふしがあり、
このままでは、素人の域を出ない気がする。
 この辺で、岡本太郎の作品でも、顔面近くで見せつけて、
胸ぐらをグラグラ揺すってやる必要があるだろう。

 え? 何? 勉強?

 ああ・・・・・
 図工はAです。


 次に三男。小学4年生。

 これまた図工命。
 幼稚園や低学年の頃から、
図工では、先生に一目置かれていた。

 神経質な性格なのに、
それに反して、ものすごくダイナミックな作風。
 画用紙狭しと動物や人物が大暴れしていて、
たくさんの色が氾濫し、また、それぞれに動きがあり、
思わず「おお!」と感心する絵を描き、工作する。

 で、
「大人になったら何になりたいの?」
と問えば、
「アイス屋さん」
と答える。

 幼稚園の頃から一貫して「アイス屋さん」。

 「何でアイス限定なの?」
と聞けば、
「アイス好きだから」
と言う。

 ううむ。
 間違っちゃいない。
 直球だ。

 でも、中学高校になっても
「アイス屋さん」と言っていたらどうしよう。
 いや、そのときこそ、
「こいつは、本気なんだ」と、親が思い知るのかもしれない。


 さて、次は、1年坊の四男。

 この人も、図工のひと。

 将来の夢は、
「『わくわくさん』になること」。

 「わくわくさん」とは、教育テレビでやっている、
工作の番組のお兄さんだ。
 本気でわくさくさんにあこがれて、
起きている間じゅう、常に、
クレヨンや色鉛筆、絵筆や、はさみなどを手にし、
紙、糊、テープ、トイレットペーパーやラップの芯、
チラシやカレンダーの裏、プリンのカップに、アイスの木のさじ、
ダンボール箱に厚紙、木っ端や小石や、磁石
ストロー、紙皿、紙コップなどで、
何かを作っている。

 ところで、わくわくさんは、本業がデザイナーだということなので、
四男には、デザイナーを勧めてみた。
 すると、
「でざいなー、とかヤダ。『わくさくさん』がいい」
と、かたくなに言い張る。

 そうか。
 お前は、わくわくさん限定か。
 もう、はっきりと決まっているのね。
 迷いがない、って、幸せだよねえ。


 ここにひとり、迷える子羊がいるんですけど。
 はい、そうです。
 この私です。

 子供の頃は、母が
「私は学校の先生になりたかった」
と言うのを聞いて、
「学校の先生になりたい」
と言っていたが、
高校生くらいになってから、
「先生も難儀な商売やねえ」
と思い、また、文学を読みかじりはじめたので、
大学は、文学部の文芸科に入った。

 それなのに、学生時代に販売のバイトにはまり、
ゼミの仲間がみな編集者や新聞記者になる中で、
教授たちの説得も聞かずに、
販売の仕事に就いてしまった。

 で、就職して半年でたちまちつまづいて、
うつになって、病気退職。

 病気のまま、なしくずしに結婚。

 夫の仕事がらみの原稿書きのバイトでつないでいたが、
子供が生まれて忙しくなり、それも中断。

 次男三男を生み育て、
ボロ家を買い、ローンを背負って
ヤクルトの託児所に子供3人を預けて働き、
一時売れっ子になるものの、
車に轢かれて、
2年勤めた仕事をあっさり退職。

 その後、ギブス姿で四男を妊娠し、出産。
 その子が2歳を過ぎた頃、夫の会社がつぶれて脱サラ。
 小さい子供4人を両親に預けて、
葬儀屋の仕事や地元の広報誌のライターなどをするが、
母が育児に疲れて倒れ、就業は断念。 

 何かをやろうとすると、
必ず何かしらの支障が生じ、必ず断念せざるを得なくなる。

 で、仕事もせずに、学校の役員を2年続けて引き受ける。

 そのうち、なんだか気分が沈みがちになり、
更年期の前奏が聞こえてきたとき、
念願の第5子妊娠。

 そして、これまた念願の女児出産。


 嬉しいわあ、と幸せに浸りつつ、
経済的な問題も山積み。
 来年度から働かないと、もうどうもならん状態になった。

 そんな中での
「将来何になる?」
の話題。

 ああ、子供たちは、いいなあ。
 これから職業が選び放題じゃないか。

 自分の人生の前半戦を省みるとき、
いつもいつもいっぱいいっぱいで、
余裕が無い毎日で、
「自分が何になるか」なんて、考えている暇もなかった。

 「お母さんは、大きくなったら何になりたいの?」
と、屈託無く四男に聞かれ、
呆然としてしまう。

 「お母さんは、もう大きくなってるよ」
という兄ちゃんたちの突っ込みに、
「いや、まだ小さいんだよ」
と力なく答え、
「お母さんは、大きくなったら、大人になりたいんだよ」
と言ってみた。

 介護の仕事や、保育の仕事など、
今から資格をとってできる仕事もいっぱいあるし、
地元で活躍できる余地もあるだろう。

 また、いっぱいいっぱいになりながらも頑張って、
何かしら立派な職業に就くことも充分可能だと思う。

 また、それにあこがれる自分がいる。

 しかし、私のようなキャパの狭い人間は、
家事育児だけで充分テンパッている現状があり、
これ以上仕事量を増やすことが可能なんだろうか、と思う。

 看護士や教師など、
天職とも呼べる仕事をずっと続けている友人を尊敬しつつも、
ほんの小さなことで「ウソだろ」ってくらい傷つく自分では、
とてもそういうハードな仕事はできないし、
どんなささいな仕事もできないんじゃないか、とも思う。

 おお、神様、仏様。

 願わくば、
迷い無く一本道を突き進み、
もし、途中で挫折してぶっ倒れ、
前も後ろもわからなくなったとしても、
また立ち上がって前へ前へと進もうとする、
強靭な精神と肉体を、
私に授けたまえ。

 私は、これから、どんな道を歩み、どんな人になるのか。

 人生80年時代の、ちょうど今、40歳。

 後半戦では、まだ0歳じゃないか。
 ホイッスルは、鳴ったばかりだ。

 前半での反省点
(いつも余裕の無いところや、傷ついたことばかり気にするところ)
を改め、
あえて図太く、
しかし、誠実に、着実に、
自分の進みたい方向に向かって、一歩づつ歩いていこう。

 青年のような勢いや向こう見ずさは、無いが、
人一倍失敗した経験がある。

 ハードな子育ての後には、
必ずやってくるハードな介護の日々。

 その中で自分らしく生きられる道を探すんだ。

 お母さんはね、
大きくなったら、
どんな仕事をしていようとも、
どんな境遇であろうとも、
きっと今より大人でありたい、
そう思っているんだよ。

 そう子供にも自分にも言いたい。

 今より少し迷いの少ない、
今より少し自分らしい自分でありたい、と。


     (了)

(子だくさん)2006.8.1.あかじそ作