「 工作泥棒 」

 小学6年の時の話だ。

 図工で透かし彫りをやっていて、
授業中に仕上がらなかった人は、
家で完成させてくるように宿題を出されていた。

 私は、その頃、
児童向けの「少年探偵」や
「名探偵ホームズ」などのシリーズを読むことに凝っていたので、
ホームズがパイプをくわえている横顔のアップを彫っていた。

 自分でもなかなかの出来で、
顔やパイプがいい具合に立体的に仕上がり、
とても気に入っていた。

 部屋で完成させ、
居間に居る両親に見せに行くと、
母は、
「なかなかいいじゃないの」
とほめてくれたが、
父は、
「輪郭に筋を入れてはっきりさせたほうがいい」
とか、
「ふちと輪郭の境目をもっと彫らなければダメだ」
とか、
いろいろうるさく言ってきた。

 しかし、私は、今の状態で大いに満足していたので、
「いいの!」
と言って、完成品をランドセルに入れて
気持ちよく床に入った。


 翌日、学校で透かし彫りを提出することになり、
ランドセルからご機嫌で作品を取り出してみると、
何と・・・・・・

 私の彫ったものではないものが出てきたのだ。

 いや、しかし、それは、よく見れば、
確かに私の彫ったホームズだった。

 ただし、顔の輪郭には、深い溝が見事に掘りぬかれ、
ふちには、まるでプロの鎌倉彫のような模様が
見事に彫り込まれていた。

 明らかに、父のしわざだった。

 私は、顔の血が一気に引いた。

 私は、家では、家族に心を許し、
子供らしく安心して眠っていた。
 その油断している間に、
父親によって、黙って大事なものを壊されたのだ。

 きっと父は、よかれと思ってやったのだろう。
 父は、器用で、木工が何より得意だ。
 娘の作品を内緒で手直ししてやれば、
きっと素敵なサプライズになると思ったのだろう。

 しかし、それは、大きな間違いだった。

 私のホームズは、確かに大人の目からみたら不恰好で、
未完成なものだったにちがいない。
 しかし、小学6年生の私にとっては、
これ以上ないほどの出来で、
未熟で稚拙だったからこそ、愛すべき作品でもあった。

 今、私の手の中にある、立派なホームズの肖像は、
もう私の作品ではなくなった。
 私の作品は、破壊されたのだ。

 私が、半べそで立ちすくんでいると、
担任の先生がふいに「それ」を取り上げ、
高く掲げてみんなに見せた。

 「赤木! これは素晴らしい出来だなあ!」

 クラスのみんなから、「わあ〜」という歓声が上がった。

 私は、昨日国語で習った
「冷たい水を浴びせられるような」というのが、
こういうものなのかな、と、思った。
 辞書で調べただけでは、よくわからなかったが、
今、よくわかった。

 集められたみんなの作品は、
どれもこれも、へたっぴなものばかりで、
父が手を加える前のホームズでも、
充分みんなのものよりも秀でているように思えた。
 それだけに、余計に悔しく、
(なんで! なんでよ!)
という、狂わんばかりの怒りの感情がこみ上げ、
体の震えが止められなかった。

 友達にも言えなかった。
 こんなこと!
 「ズルした」って言われるだけだもの!

 悲しくて、悔しくて、
そして、親に対する激しい懐疑心に苦しんで、
私は、その日一日、授業も上の空だった。

 そして更にその上、
放課後に職員室に呼ばれ、
もっともっと苦悩することになった。

 友達の萩原さんと、私の作品が、
市内工作展の候補になり、
二人で話し合いをすることになったのだった。

 萩原さんの作品を見て、
私は、息をのんだ。

 凄い!

 鳳凰が、板の上狭しと羽を広げ、
体をうねらせて、今にも飛び立ちそうなのだ。

 羽毛の一本一本が動いているようだった。
 鳳凰の目が、生きているようにこちらを見ていた。

 それは、もう間違いなく、代表作品だとわかった。

 しかし、その場にいた多くの先生は、
こともあろうに、
「萩原のもいいが、今回は赤木のを出そう」
と言うのだ。

 (ダメ! ダメだって!)
 (萩原さんの方が凄いよ!)
 (私のホームズは、もっと下手だった!)

 萩原さんは、大家族の一番お姉ちゃんで、
古くて小さい家に、大勢でごちゃごちゃ住んでいたが、
いつもニコニコ笑っていて、とてもやさしい子だ。
 運動と図工が、半端じゃなく上手かった。

 私は、しょっちゅう萩原さんの家に行き、
萩原さんのお母さんに冷たい麦茶をもらっていた。
 やさしいお母さんに、やさしい萩原さん。
 弟や妹も、みんな人懐っこくて、いい子ばかりだ。
 萩原さんは、あの狭い茶の間の真ん中の、
小さなちゃぶ台の上で、
兄弟たちに囲まれながら、
あの凄い鳳凰を彫ったに違いない。
 「姉ちゃんすごいね」
と、肩に小さな手を回されて、
にっこりと微笑みを返しながら、
あの鳳凰を彫ったのだろう。


 「じゃあ、萩原、代表は赤木でいいな?」
先生にそう言われた萩原さんは、
苦笑しながらも、
「はい。赤木さんの方がうまいと思います。また今度頑張ります」
と言った。

 私は、ひとりで必死に、
「萩原さんのを出してください!」
「萩原さんの鳳凰が出なきゃダメです!」
と、半べそで懸命に言ったが、
「まあまあ、謙遜するな」
と先生に言われ、結局、ホームズが代表作に選ばれてしまった。


 その後、母が先生に促されて、
家族で市内工作展に出向いたが、
私の気持ちは、暗かった。


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 それから数十年が経ち、私にも子供が生まれた。
 私がいつも何かしら手作業をしているため、
子供たちもみんな図工が好きな子に育った。

 夏休み、子供たちは、工作の宿題を張り切ってやっている。
 毎年、凝った貯金箱を作るのを楽しみにしている。

 おととしのことだったか。
 長男は、以前旅行で行った
世界遺産の白川郷にあった、合掌造りのかやぶきの家を 
リアルな箱庭風に作ろうとしていた。

 ところが、難しくてなかなかうまく作れない。

 そこで、図工名人の「じい」(私の父)のところに、
作り方の相談に行ったのだが、
いつまでたっても帰って来ないので、迎えに行くと、
実家の玄関先で父がかやぶきの家を作っていた。
 長男は、その傍らで、
「触るな、じゃまするな」
と父に言われて、じっと、「祖父の工作」を見ていた。

 ああ。
 またやっちゃったんだ。

 「祖父の工作」の手元を見る長男の目が、
実に悲しそうに潤んでいた。

 「なっ、上手くできたべ!!」

と、誇らしげに胸を反る父に、
長男は、かすれた声で「ありがとう」と言って、
しおれた。


 この工作泥棒。

 子供の手伝いじゃなくて、自分が作りたいから作っちゃう。
 人のいいところ全部取っちゃう。

 「やってやる」とか言って、
いいところだけ全部持って行っちゃう。

 そして、恩を着せる。

 馬鹿!
 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!

 嫌いだよ、馬鹿!


  (了)

(青春てやつぁ)2006.8.8.あかじそ