「 バチが当たる 」

 日曜の早朝。
 激しい兄弟喧嘩の声で起こされた。
 間違いなく近所迷惑になっていると思い、
飛び起きて階下に降り、
取っ組み合う長男と三男の間に割って入った。

「朝から近所迷惑!」

 そののち、隣の部屋に移って、また、
長男と三男が言い争いをしている。

 耳を澄まして聞いてみると、
お互いの口癖をからかいあっているうちに、
だんだん互いの核心部分を突き合ってしまい、
プライドを賭けた本気の喧嘩になってしまっている。

「人をからかうな!」

 私が部屋に飛び込んで注意すると、
長男は、プイッと子供部屋に入ってしまった。
 やがて三男の怒りは、そばにいた四男に飛び火し、
ほどなく四男の号泣を伴うキックの応酬が始まった。

 キックし合いながら居間になだれ込んできて、
アカンボのすぐ横で激しい蹴りあいがされているので、
「危ない! あっち行ってやりなさいよ!」
と注意すると、四男は、素直に隣の部屋に行った。

 しかし、三男は、いつまでも私の横で、
長男や四男がいかに悪く、
いかに自分はいつも正しく、かつ被害者なのだ、と、
グジグジグジグジ言いつけているので、
私もだんだん腹が立ってきて、
「喧嘩といえば、いつもあんた対誰かだよね。あんた、ホントにいつも悪くないの?」

と言ってやると、それが三男の逆鱗に触れたらしく、
「ギャ〜〜〜〜〜!」
と絶叫し、
「いつもいつも僕ばかり悪者にしやがって〜!」
と、茶の間に置いてあったパイプ椅子を
部屋の真ん中に向かって思い切り投げた。

 それが、オムツを換えている最中のアカンボに
あやうく当たりそうになったので、私は激怒し、
「そうだよ! お前がいつも悪いんだろ!」
と怒鳴り、100円均一で買ったプラスチックのバットで
三男のケツを思い切りパチパチ叩いてやった。

 すると、三男は、
「お母さんがバットで僕を殴った〜!!!」
と、人聞きの悪いことをやけにはっきりと大声で叫び、
洗面所に駆けて行き、
洗面所にあるものすべてを床にぶちまけ、
風呂場にある蓋だの桶だのをこちらに向かってどんどん投げてくる。

 「なにやってんだア! 馬鹿!」

 思わず私は、三男の頭に拳固をくれてやると・・・・・・

 同時に石頭の三男が私に向かって頭突きしてきたからたまらない。

 クロスカウンター!
 スローモーションで見えた。
 その石頭と私のコブシがビッチ〜ンと激突し、
激しい衝撃が手の甲と指の付け根に走った。

 「ポキッ」

 はい、折れた。

 とたんに私は、呼吸困難になり、
水を飲もうと水道の前まで行くが、
モウロウとして水がくめない。

 長男を呼んで水をくんでもらうが、
飲んだとたんに腰が抜けて床に倒れてしまった。

 ああ、これがうわさの「骨折時のショック状態」か・・・・・・

 ふらつきながら茶の間まで歩いていき、
バタッと畳の上に横になった。
 「冷凍庫から冷やすの持ってきて」
 長男が持ってきた二つの保冷剤を、
手のひらと甲に当てて冷やすが、
見る見るうちに手のひらの横が
ひらがなの「く」の字にひん曲がってきて、
激痛が増していった。

 「日曜にやってる整形あるかな」

 長男が電話帳で調べたが、どこも日曜は休診だった。

 市の広報誌で調べて休日当番医に問い合わせたら、
「じゃあ診てみましょう」と言ってもらえた。

 とてもじゃないがハンドルを握れる状態ではなかったので、
実家に電話して事情を説明すると、
母に
「いつも子供をポカポカぶってるからよ!」
と叱られたが、父が車を出してくれることになった。

 アカンボを母に預け、子供たちを家で留守番させて、
父と私は、父の自慢のビッツに乗り込んだ。

 「えっと、電話番号は・・・・・・」

 父は、最近買ったカーナビに入力しようとするが、
操作が実におぼつかない。
 で、病院の番号を入れたが、
病院と違う場所が表示されてしまった。

 「あれえ?」

 「じゃあ、住所で入れてみて」
と、私が言うと、これまたもたつき、
「戻る」を押そうとして「次へ」を押してしまったり、
誤入力の連続で、ちっとも住所が入りゃあしない。

 「じゃあ、病院名で入れようよ」
 
 ところが、ジャンル別にすると、
公共機関だの大型店舗だのは出てくるが、
一向に病院という項目が出てこない。

 「だめだこりゃあ!」

 私は、業を煮やして
携帯電話で病院に問い合わせると、
病院職員の答えもしどろもどろで、はっきりわからない。

 右手は、どんどん変形してきて、
半端でない激痛が脈を打っている。

 「とりあえず、住所をたどって行ってみよう。近くになったら、人に聞こう」

 そう言って、走りだしたが、
探しても探しても、一向に病院は見つからない。
 通りすがりの人に聞いても、
的外れな答えばかりで、ちっとも目的地に着かない。

 「何でだ〜!」
 父もいい加減癇癪を起こし、
激痛もますます激しさを増した頃、
やっと田んぼの向こうに真新しい病院の姿が現れた。

 走りこむように受付し、レントゲンを撮った。

 診察室に呼ばれて中に入ると、
中年の、人のよさそうな医者が、
まん丸の目をしてこちらを見た。

 「これ、ボクサー骨折だよ!」

 と、嬉々として言う。

 「ボクサーが、強いパンチしたときにしか、こういう折れ方しないよ。
 40歳女性が、何したらこうなるの〜?」

 心底興味深そうだった。

 「子供とクロスカウンターです」
とは、さすがに言えず、
「ちょっと転んで・・・・・・・」
と、ごまかした。

 すると、私の左手のサポーターを見て、
「その左手は?」
と言うので、
「こっちは、ひどい腱鞘炎です。アカンボがいるので」
と言うと、医者も看護師も、ものすごく同情的な目で私を見た。

 「この骨折はね、90度に小指を折り曲げて固定しないと手が変形しちゃうから、物凄く痛いんだよ」
と言いながら、私の小指をゆっくり曲げた。

 「ああ〜〜〜っはっはっはっ〜い!」

 思わず笑うほど痛かった。

 「痛いよねえ・・・・・・麻酔してから固定しようね」

 医者は、言った。

 「これ、3週間固定なんだけど、
はっきり言って、右手は親指と人差し指しか動かせないよ。
赤ちゃんいるのに、両手動かなくて大丈夫?」

 「いやあ・・・・・・わかりません」

 「でね、言いにくいんだけど、授乳中だから痛み止め出せないんだよね」

 「あ、はい。我慢します」

 「家族総動員で家のことやってもらいなさいね」

 医者が私の両手をまじまじと見て、ため息をついた。
 私も、深い深いため息をついた。


 帰りの車の中で、父が言った。

 「馬鹿だなあ、子供を素手でぶつヤツがあるかよ。棒使えよ」
 「そういう問題じゃないでしょう」
 私は、しょんぼりしながら言った。
 「大体、私が、いつも子供をポカポカ叩きすぎるからバチが当たったんだよ」

 「確かにお前は、長男は全然叱らないのに、三男には、厳しすぎるんだよ」

 「だって、性格が悪いんだもん、アイツ・・・・・・」

 「俺も昔よく母ちゃんに座敷ほうきでぶったたかれたなあ」

 「・・・・・・思い出モードかい・・・・・・」

 
 そうだ。
 絶対、バチが当たったんだ。

 この間も、宿題も家の手伝いもしないで
一日中居間でゴロゴロしていた次男に
「そうやって寝てばかりいるからブタになるんだよ!」
と言って、次男を泣かしてしまった。

 次男が、太めの体型をクラスメイトにからかわれて
気にしているのを知っていながら、
あえてそういうことを言ってしまった。

 その直後、口の中に違和感を覚えた。
 口内炎がいきなり5個も突然できてしまったのだ。

 毒をこの口が吐いたので、バチが当たったのだろう。

 ああ、私の悪いところを戒めて、よりよい私になるために、
この怪我が必要だったのなら、甘んじて受け止めよう。

 食事も作れず、皿も洗えず、
アカンボも抱けず、雨戸も開けられず、
ご飯もよそえず、お茶も淹れられず、
洗濯物も干せず、取り込めず、
ただただ痛い。

 そして、自分のおろかさを思い知り、改めるんだ。


 家に帰ると、子供たちが心配して駆け寄ってきた。
 「骨が折れてた」
と言うと、長男が、
「イクミのせいだぞ!」
と、三男に怒鳴った。
 「違うよ、イクミはぶたれただけだよ。悪いのは、お母さんだからさ」
 すると、三男は、しょんぼりしながら、
「お母さん、本当にごめんなさい」
と言った。
 「いいんだよ。もし、反対にイクミの頭が割れてたら、
お母さん、今頃虐待で逮捕されて、もっと悲惨だったよ。
 もう殴らないよ。」
 私がそう言うと、三男は、
「洗面所、片付けておいたから」
と言って、頭を下げた。
 「ごくろうさん」
 私は、三男の頭をなでた。
 「痛かっただろ、ごめんな」

 三男は、照れくさそうに四男を突っつきながら、
子供部屋に逃げていった。

 こうやって、失敗を何度も何度も繰り返しながら、
ひとりひとり育てていくんだろう。
 5人で1回の「バチ→反省」ではなく、
ひとりにつき1回、いや、何度も、
それぞれ反省させられる。

 食事や洗濯は、5人分いっぺんにやっつけられるけど、
人間関係の模索は、5人分。
 誰も省略できないし、どこも省力できない。

 この骨折がきっかけで、
今までねじれてしまっていた三男との関係がまっすぐになるのなら、
これは、記念の骨折だ。
 いい骨折だ。



 追記

 夫と子供たちが、
「お母さん寝てなよ」
とみんなして言ってくれる中、
両手の甲を並べて立てて見せながら、
左手のサポーターを口で引っ張って抜く。

「ほら、スチュワーデス物語のマリコ! 片平なぎさがやってたヤツ! 見て!」
と、言うと、夫に
「どんな状況でも楽しめるあんたがうらやましい」
と言われた。


                        

           (了)
(もうどうにでもして)2006.9.11.あかじそ作