「 親>子→親<子 」

 先日、中2の長男が言った。

 「最近ばあばの背を越しちゃって何か嫌なんだよね」

 何でも知っていて何でもできるばあばが、
自分より小さくなっていることに困惑しているらしい。

 「そのうちお父さんやお母さんよりも大きくなったら嫌だなあ」

 「何言ってんの、大きくならないとダメだよ」

 私は、長男の背中をドンと叩いた。
 私も夫も、身長が160センチほどだ。
 長男には、中学生のうちにとっとと追い越してもらって、
かっちょいいイケメン青年になってもらいたいものだ。

 先日も、上履きがボロボロになったというので、新調したら、
25.0センチがちょうどよかった。
 ついに大足の私のサイズを追い越したのだ。

 そういえば、次男も24.5センチがきついと言い出したっけ。
 ヤツは、身長は、低いが、横幅は、とっくに私を超えた。

 こうやって、どんどんみんな大きくなって、
数年後には、みんな私を見下ろすことになるだろう。

 最近反抗期の長男次男は、
頭ごなしに叱ると、プイと横を向いてどこかに消えてしまう。
 どう見てもヤツラが間違った行動をしても、
今までのように
「なにやってんだ! こら!」
という言い方では、拒絶反応を起こされて、
叱っている内容についてちゃんと考えてもらえない。
 だから、本当は、
「なにやってんだ! こら!」
と言いたいところを、
「そういうことをするんじゃないよ」
と、極力冷静に言うようにしている。
 静かに諭せば、反抗期とはいえ、
何とか一応、拒絶反応は起こさずに耳だけは傾けてくれる。
 行動を改めるかどうかは別として。

 ところが、小4の三男は、
同じ悪さをしても自分ばかりギャンギャン叱られて、
兄たちは諭されるだけだから、納得できないらしい。
 四男は、ちょっと注意するだけでちゃんと言うことを聞くので、
これまたギャンギャン言われることもない。

 「なんで僕だけいじめるの!」
と、毎日毎日大暴れし、被害妄想が日に日に増してきている。

 「あんただけ叱ってるわけじゃないでしょ!」
と言っても、自分以外の人間が叱られている時は、
まったく無関心で、気にも留めていないから、
ほとんど記憶に無いらしい。
 自分ばかりが目のカタキにされていると思っている。

 三男の場合、
こちらが気を使って、意識的にチヤホヤしてやりさえすれば、
精神的に落ち着いて、穏やかになり、
人一倍優しいし、よく働いてくれる。 
 素直で、誰よりも純粋ないい子なのだ。

 で、チヤホヤ抜きで「普通」に扱うと、「いじめるな」と言う。

 気難しくてかなわない。

 アイツは、国王でも社長でもない。

 これから世の中に出たら、
世の中のみんなが、いつもいつも彼に気を使って、
チヤホヤしてくれるはずなどない。
 「普通」に扱われても、「いじめられている」と思わない、
そういう心の構えを身につけておく必要がある。

 だから、極力感情的にならずに「普通」に扱うことを心がけている。
 私は、それを愛情だと思っているのだが、
彼は、「いじめ」だ、「僕だけにキツイ」、「みんなズルイ」と言う。

 ひがみっぽいのだ。
 ひがみ、ねたみ、そねみ。
 私が一番嫌いな性格の要素をたっぷり持っているときている。

 親戚にもそういう人がいるが、
60をすぎても、相変わらず「自分ばかりが不幸」と言っている。
 そういうのは一生治らないのだろうか?
 嫌な性質だ。

 今まで、
「お母さんの言うことは何でも正しい」と思っていた子供たちは、
反抗期を境に、
「お母さんの馬鹿」が、ベースに流れているようになってきた。

 それでいいのだ。
 反抗期とは、そういうものなんだから、
母の言動を叩き台にして、自分の考えを築いていけばいい。

 しかし、この、
子が「親はいつも正しい」と思う、[親>子]の構図は、
反抗期ごろから、「お母さん、何言ってるの?」と、
だんだん[親=子]的になって、
下手をすれば、「お母さん、アレやっといてよね!」という、
[親<子]という力関係になっていったりする。

 このときの親の反応は、人それぞれで、
「親に向かって何だこのやろう!」
と、取っ組み合いする者あり、
「あ、はい、そうね、○○ちゃんの言う通りね」
と、完全に屈服してしまう者あり、
ここのところで、親としての資質を問われてくる。

 中には、歌舞伎や華道茶道などの家柄とかで、
「親は師匠であり、一生頭が上がらない」
というパターンもあるだろうが、
そうでもなければ、大体の人が、
こういう「親>子→親<子」という局面に見舞われるだろう。

 そのとき、私は、どうしたものか、と、考える。
 いや、今、まさに、
自分にこのときが訪れているのだ。
 さて、どうしましょう。

 あくまで強気で、
子を力ずくで屈服させて、
[親>子]を維持し続けようとする人もいるだろう。
 子と対立するのが嫌で、
心ならずも子の言いなりになり、
[親<子]に甘んじる人も多いだろう。

 しかし、どっちも私は、
あまり面白くないなあ、と思う。
 子に対して死ぬまで突っ張り続けるのも疲れるし、
子にアシゲにされるのも違うと思う。

 親も子も、自然な流れの中で、
心地よく世代交代できたらいいな、と思う。

 そりゃあ、反抗期には、
毎日が取っ組み合いかもしれないが、
それが子の成長に必要な取っ組み合いなら、
どんどんやりゃあいいと思う。

 それより、自分が親として、
個人的なプライドとか、意地とか、
そういうものにとらわれないで、
子を育てるという仕事をまっとうするために、
どういう態度を取るべきか。

 子に乳をやり、ご飯を食べさせ、
温かい布団に寝かせてやった。
 確かに、私は、子を育てた。

 だが、この反抗期を親としてどう対応するかが問われる、
「育て上げる」という仕上げの工程がまだ残っている。

 これは、結構大事な仕事かもしれない。

 子の情緒不安定につられて、
親が一緒になってキーキー言っていたら、
きっと、子は親をうまく超えられないんじゃないか?

 ちゃんと大人になれないんじゃないかしら?

 子供に「うるせえな」と言われて、
「何だと、この野郎め!」
と、子をぶちのめしてばかりの一点張りじゃあ、
きっと互いに殻を厚くするばかりだ。

 負けず嫌いな親で、
どうしても[親>子]の構図をキープしたいのなら、
悪い時は「悪いぞこの野郎」と突っ込みつつも、
普段の態度がつっけんどんなことに関しては、
「わお〜、反抗期〜(^◇^)」
と、サラッと受け流すのがいいと思う。

 相手の反抗的態度を、
「お〜う、これがうわさの、子供の一成長過程なのねえ!」
と、面白がる位の余裕が欲しい。

 親がいちいちワタワタうろたえずに、
子の成長を高い場所から見て「わはは」と笑っていることこそが、
本当の[親>子]なんじゃないかしら?


 とはいえ、今朝も、我が家では、
登校前に三男が暴れ、ひとモンチャクあったのだった。

 四男が悪いのに自分ばかりが叱られる、
四男をぶん殴らないと気がすまない、と言って、
四男に飛びかかって行った。
 それを止めようと羽交い絞めする夫。

 「ごめんなさい、ごめんなさい」
と、号泣しながらうずくまる四男。
 身を挺して四男の前に立ちふさがる次男。

 足をばたつかせて夫の顔面を足で打ちつける三男に、
「お父さんが怪我したら大変でしょ!」
と、包帯だらけの両手で三男にかぶさる私。

 三男は、興奮が極まり、目をつぶって暴れていて、
前が見えちゃいない。

 と、思いきや、テレビの時刻表示を見て、
「29分! 遅れちゃう! 学校行かせろ!」
と叫び、あっさり登校した。

 何なんだ、こりゃあ。

 三男は、
家族みんなして自分をいじめている、と叫んだが、
後で冷静になれば、「暴れてみんなに迷惑かけた」と、
きっと思い直る。
 いつもそうだ。

 一方、四男には、
みんなが自分を守ってくれた記憶が残るし、
次男は、
子供を守る父親と、父親をかばう母親を見た。

 長男は、今朝は、部活の朝練でいなかったが、
いじけて部屋にこもり食事を拒否する三男に、
いつも何か食べるものを運んでいる。

 長男が食事を拒否した時は、
三男が、お菓子などを差し入れているのだ。 

 いつもは、喧嘩ばかりの兄弟も、
「強引なお母さん」や「わからずやのお父さん」などという、
共通の障壁が立ちふさがると、
手を組んだりするから面白い。

 だから、親は、
いつも子によく思われようと思わなくてもいいんじゃないか?

 子供同士が結束して何かに向かおうとする、
その対象が、「にっくき鬼母」でも、
結果的にちゃんと大人になってくれるのなら、
時には悪役をかって出てもいいんじゃないかなあ?


 ああ、 反抗期。

 一家に、いちどきに、3人の反抗期。

 疲れるけど、それはそれで、楽しめる。

 トウチャンとカアチャンが、
子供たちを想っていることを、
彼らは、感じているだろう。

 ムッツリしてる子も、暴れる子も、
本当は、トウチャンとカアチャンをすごく好きなことも、
ちゃんとわかっている。

 だから、きっと大丈夫だろう。

 いつか、親がボロボロに年をとって、
子供に邪険に扱われるようなことがあっても、
[親>子]の構えで、
「年取った親に対峙する子供の葛藤と成長」を、
見守ってやればいい。

 他はともかく、愛情に関しては、
いつまでも「親>子」で変わらないでいるつもりだからだ。



   (了)
(子だくさん)2006.9.26.あかじそ作