「 じじいを歯医者に連れて行く 」

 私は、子供の頃から、
父が楊枝で奥歯を突付いて、
シーシーやっている光景をよく見ていた。

 そしてまた、時々、頬を押さえて
「いてててててて」
と言っているのもよく聞いていた。

 ここ数年、母が、
「お父さん、歯を痛がってうるさいのよ」
と、よく言っていたので、そのたび父に、
「うちのかかりつけの歯医者予約してあげようか?」
と持ちかけていたのだが、
「行かねえ!」
と、即答され、ずっとそのままになっていた。

 夏休みのたび、子供たちが歯医者に通うので、
父に「一緒に通う?」と聞くのだが、
「バカヤロウ、今、歯やり始めたらどこも行けなくなるぞ!」
と、烈火のごとく怒られた。

 「何で? 毎日通うわけじゃないんだよ」
と、言うと、
「削られて、歯が痛くなっちゃったら、
夏休みにお前んとこの子供、
どこにも連れて行けなくなっちゃうんだぞ!」
と、怒鳴るのだ。

 「いやいやいや、歯医者は、痛いのを治すところだから、それは逆だよ」
と、私が言うと、
「お前のダンナは、夏休みに子供をどこにも連れていかないんだから、
可哀想だと思わねえのか!」
と、論点をずらされ、あげくの果てには、
「大体なんであんなヤツと結婚したんだ!」
と始まっちゃうので、私も、面倒になって、
その話は、いつもそこで打ち切ってしまっていたのだ。

 ところが、冬に「歯医者行こうか」と言うと、
「寒いから痛みが増すからいくもんか」と言い、
春や秋に「そろそろ行こうか」と言うと、
「忙しいから行けない」と言う。

 そんなこんなで、もう5年くらい
「行く行かない」を繰り返している。

 その間も、父の虫歯は時々痛むらしく、
買い物に一緒に行くときなど、
「歯医者いいとこねえかな〜?」
とか、
「『今治水』って、今売ってねえのかな〜?」
などと、聞こえるか聞こえないかの小声で言ってくる。

 で、私が、
「歯医者行く?」
と聞くと、また烈火のごとく怒って、
「行くわけねえだろ!」
と、怒鳴る。

 そのことを母に言うと、
「いつもそうなのよ!」
と、母もカンカンだ。
 聞けば、ここのところ、
父は、あまりの歯の痛みに耐えかねて、
趣味の彫刻に使っている電動彫刻刃を口に突っ込み、
自分の奥歯を削り始めたらしい。

 「うっそでしょ〜〜〜?!」
 私が叫ぶと、母は、心底あきれたように、
「バカすぎてイライラするわよ!!!」
と吐き捨てるように言う。

 これは、放ってはおけないと思った。

 その日、私は、歯医者の帰りに実家に寄って、
「あそこの歯医者、最新式の治療やってるよ。
 虫歯だけを溶かす薬を塗って、光を3秒当ててさあ、
で、綿でそれをふき取るだけだから、ガリガリ削らないの!
 仕上げにちょっと削るだけだから、全然痛くないんだよ!
いやあ、今の技術は、凄いよね! 昔とは違うわ!」
と、大声で言ってやった。

 そのとき、父が、
「俺も行こうかなあ・・・・・・」
と、小さくつぶやいたのを、私は聞き逃さなかった。
 「じゃあ、じい、行くよ! 今予約入れてあげるよ!」
と、私が携帯電話を取り出すと、
「やだよう・・・・・・」
と背中を向けた。

 「ほらまた! どうせ行かないのよ!」
と、母が怒った。
 「いや、今度は行くよね! 電話するよ!」
 私には、確信があった。
 本当に行きたくないときは、
「行かねえ!」
と怒鳴るのに、
「やだよう・・・・・・」
という言い方をしているということは、
かなり行きたがっているに違いない。

 父の場合、
激しく怒鳴るときが「NO」で、
弱弱しく否定するときは、「YES」なのだ。

 一見、いつも人の問いには否定形なのだが、
実は、その中にも
「絶対ダメだ!」
とか
「ちょっといやだなあ」
とか、
「やってもいいけど・・・・・・」
などの段階がある。

 母は、「物事すべて白か黒か!」の人なので、
その辺の微妙な人の心の機微はわからない。
 いいぞ、と思えば、「YES!」と言い、
思わなければ、「NO!」と言って、
言葉に裏の意味がないし、人の言葉の裏も考えない。
 そこが母の長所でもあり、愛すべき短所でもある。

 だが、私にはわかる。
 ややこしいことに、私にも、
父と同種の「心の裏メロディ」があるからだ。

 「早くしたくして! 行くよ!」
と、父を急き立てると、
「これからドライヤーかけてズボン取り替えたりするから、
すぐには無理だよ・・・・・」
などと言いながらも、
ぐずぐずと半纏を脱ぎ始めているところを見ると、
だいぶ行く気になっているようだ。
 もう一息。

 私は、歯医者に電話を掛け、
「うちの父、今から連れて行っていいですか?」
と聞くと、
「今すぐにはちょっと・・・・・・」
と断られかけたので、
「何年もかけてやっと説得できたんです! 気が変わらないうちにお願いします!」
と、ごり押しすると、受付のお姉さんも折れて、
「じゃあ、1時間後にどうぞ」
と言ってくれた。

 「さあ! 予約取ったよ! 1時間後に行くよ!」

と、私が高らかに宣言すると、
父も観念したように、おとなしくしたくを始めた。

 「お父さん! 早く着替えなさいよ!」
 母も、この奇跡に興奮し、声を弾ませて言った。

 「何十年ぶりにやっと歯医者行くか!」
と、感嘆した。

 「何十年ぶり?」
 私がびっくりして母の顔を見ると、母は、
「だって、結婚してから一回も行ってないんだから!」
と言って大笑いした。

 「じゃあ40年以上歯医者行ってないの?」
 私は、大きく向き直って、
洗面所でしおらしくドライヤーをかける父の背中を見た。

 「40年以上、いてえいてえ、って、本当にうるさくて仕方なかったのよ」
 母は、とほほ、と笑った。

 ああ・・・・・。
 母よ、ご苦労さん。
 母はこんなにも「男前」なのに、
父は、おそろしく「女々しい」男だ。
 さぞかし、結婚以来41年間、
随分イライラしただろうし、ご苦労なさったことだろう。

 父は、背中を丸めて、靴下を指差した。
 「こんな毛玉だらけの靴下じゃだめだろ?」

 すかざず母が、
「新しいのあるわよ!」
と、新品のソックスを箪笥からほじくり出して、
正確なコントロールで父の足元に投げつけた。

 「でも、これ、ゴムのところがきつくていやだなあ。
靴下いいのないから、行けないなあ」
と、父がほざくと、
「関係ない!」
と、母と私は、声を揃えてピシャリと抑えた。

 「何かちょっと食べていけば」
と母が、テンポよく食パンをトーストして出した。
 父は、緊張してなかなかパンがのどを通らなかったが、
「もうすぐ昼だから、ちょっと胃に入れておいた方がいいよ」
と、私が言うと、
「歯医者の後じゃ、痛くて何にも食べられなくなるかもしれねえ」
と、父が泣きそうになった。

 「痛けりゃ痛み止めくれるから大丈夫!」

 私と母で、ぐずる父をなだめるのに大変だった。

 いつもなら、父がちょっとでもぐずると、
母は、それ以上にキレて、大変な騒ぎになるのだが、
40年に1回のチャンスを逃すほど母はバカじゃない。
 見たことも無いような優しい調子で父をなだめ、
ひとつひとつしたくを手伝っている。

 「エライエライ、じゃあ行こうか」
 私も、まるで子供をなだめるように父をおだてた。

 行く道すがら、
「あ、カメラ屋行かなくちゃ」
と、たびたび脱走しそうになる父の袖口を引っ張って、
いよいよ歯医者のドアの中に入っていった。

 「無理言ってすみません、父です」
と受付のお姉さんにあいさつすると、
お姉さんは、
「そこにある問診表に記入してください」
と苦笑しながら言った。

 お姉さんは、当初、
いつも大勢の子供をぞろぞろ連れて来たり、
しょっちゅう診察日を忘れては、また予約を入れなおす私を、
若干苦々しく思っていたようだった。
 しかし、うちの子たちが毎年毎年、
律儀にたくさん虫歯をこさえて、
大勢で何回も通ってくれるお得意さんであることに免じて、
「私とあなたはナイスなお知り合い」
というところまで関係を持ち直した、という経緯がある。

 「なんせ40年ぶりなんで」
と言うと、お姉さんの笑顔は凍っていた。

 父は、問診表をなぜか自分で書こうとしないので、
私が住所から氏名から何もかも書き込んだ。

 「ねえ、じい、『痛みはありますか?』だって」
 「40年ずっと痛かったけど、もう痛くねえ」
 「『水やお湯は沁みますか?』だって」
 「40年ずっと沁みてたけど、もう沁みねえ」
 「もう神経死んだか?」
 「死んだだろ」

 父と私のやり取りを聞いていたお姉さんは、
下を向いてぷるぷる震え出した。

 「『抜歯したことはありますか?』だって? ある? じい」
 「あ、あるある。ばあさんにやられた。80過ぎたばあさんに」
 「そのばあさんは、ただのばあさんなの? 歯医者のばあさんなの?」
 「なんだかわかんねえばあさん」
 「じいの話は、全体的になんだかわかんないな」
 「おう、バカだかんな」
 「バカだもんね」
 「でな、近所で歯抜く子は、
みんな、そのばあさんにやってもらうの。 
 奥歯にでっかい杭打って、歯をカチ割ってよう、
それをばらばらに一個一個はがしていくんだよ!
ペンチで引っぺがすんだけど、
年寄りだから力がなくてひっくり返っちゃってよ」
 「ふうん」
 「だから、兄貴たち呼んで来て、
みんなでヨイショ〜ヨイショ〜ってカワリバンコに引っ張ってよう」
 「お〜おきなカブが〜抜けました♪ ってか!」
 「まあ、そんなとこだな」
 「それって、いつの話よ、子供の頃?」
 「10歳くらいかなあ?」
 「大人になってからは?」
 「俺、いつから大人になったかなあ?」
 「あ、ごめん、まだ大人になってなかったよね」
 「うん」
 「バカだしね」
 「うん」

 父は、下手すると生まれて初めて歯医者に来たのかもしれない。
 私が言いたい放題言うと、いつもなら激怒するくせに、
初めてのことに舞い上がってしまって、
バカだの大人じゃないだの、と、言われ放題なのに、
ニコニコしていた。

 受付のお姉さんは、完全に撃沈され、
カウンターの下に顔を突っ込んで笑っていた。
 ドリフの馬鹿兄弟のコントを彷彿とさせるバカ会話が、
完全にツボにはまってしまったらしい。

 さらに父が、
やっと顔を上げたお姉さんに向かって、少女のような瞳で、
「ばあさん怖かったの〜!」
と、言ったものだから、
お姉さんは、思いっきり「ぶ」と正面に吹き出してしまった。

 散々大騒ぎしてから診察室に入ったものの、
中でもなにやら騒いでいるようだった。

 レントゲンがどうとか、もう神経が、とか、
「今はそんな野蛮なことしませんよ」とか、
大きな声で先生と父が話す声が聞こえてくる。

 そのうち、キーーーーーーーーーーーン、と、
激しく歯を削りまくる音が、延々聞こえてきた。
 ああ、「削らないから」と聞いて、安心してやってきた父が、
散々削られている。
 まあ、あれだけ虫歯がひどければ、
やっぱり削られまくられても仕方あるまい。

 それにしても、延々削っている合い間合い間に、
父の苦しげな咳が聞こえてきた。
 激しくむせているようだ。

 この扉の奥で苦悶している父!

 基本的に善人ではあるにしろ、
いつも家族のことを好き放題に罵倒し、
言いたい放題、やりたい放題の父!
 それが今、娘に強引に歯医者に連れてこられて、
生まれて初めてキンキン削られ、おえおえむせている。

 それはそれで、哀れでは、ある。

 大体、治療は、いつも、
ひとり5分から10分で終わるのに、
父は、30分経っても出てこなかった。

 「大丈夫ですよ〜、いいんですよ〜」
と言うガングロ歯科助手に手を取られ、
父は、ふらふらと診察室を出てきた。

 「どした〜? 泣かなかった〜?」 
 私が聞くと、父は、まん丸な目で、
「つばが溜まっちゃってよう、
ずっと我慢してたんだけど、
もう我慢できなくなって飲み込んでたらな、
気管支に入っちゃって苦しかったよ〜」
と言う。
 「バキュームしてもらえばいいんだよ!」
 「ああ、ダメ! 俺の唾はそんなんじゃ効かないから! 凄いから!」
 「どんな唾なんだよ!」
 「それでよ、むせてたら、『鼻呼吸しろ』なんて言われてよ」
 「じい、蓄膿なんだから無理でしょ!」
 「生まれてこの方鼻で息なんてしたことねえよ」
 「だろうね」
 「へたすりゃ、鼻に穴開いてねえんだ」
 「つけっぱなだよね」

 受付には、もう、お姉さんはいなかった。
 いや、いた。
 カウンターの下にうずくまっていた。 
  
 お姉さんは、震えながらパソコンを操作し、
「次の診察予約をお取りします・・・・・・」
と言い、極力父の顔を見ないように努めていた。

 「じい、次から一人で来られるね?」
 「うんっ!」
 「よく頑張ったから、お姉さんにシールもらおうか?」
 「子供じゃないんだからよう」
 「大人でもないけどね」
 「じゃあ、ご褒美に帰りに飴買って〜」
 「はいはい」

 お姉さんは、遠くを見ていた。
 何か、違うことを考えて、気を紛らわそうと頑張っていた。

 会計を終えて歯医者を出ると、
父は、実に晴れやかな表情で大またで歩いた。

 「ね、痛くないでしょ」
と、私が言うと、
「ありがとな!」
と気持ち悪いくらい素直に言った。

 そして、胸ポケットからなにやらくしゃくしゃの紙切れを取り出し、
私にそれを見せた。

 そこには、

60歳・・・・・・定年退職 失業手当受給→終了
61歳・・・・・・新車購入→ビッツ
62歳・・・・・・庭リフォーム→車庫との兼ね合い
63歳・・・・・・肺の陰検査→子供の頃の肋膜の後
64歳・・・・・・歯→(      )
65歳・・・・・・台所直し→サイドテーブル製作
66歳・・・・・・風呂ペンキ→
67歳・・・・・・屋根直し→
68歳・・・・・・陶芸個展→

など、ここ10年くらいの自分のプランが書いてあった。

 「歯」が、64歳のところに書いてあったということは、
本当は、去年治すつもりだったのだろう。
 勇気が無くて、ひとりでは歯医者に行けず、
まわりの人間も連れて行ってくれなかった結果、
「俺の人生設計」に狂いが生じて困っていたらしい。

 「1年遅れたけど、ま、ありがとな!」

 私は、久しぶりに
絵に描いたような「善行」をしたことに満足していた。
 が、まだまだ安心はできぬ。
 靴下のゴムがきつくて行かない、と言い出しかねないので、
速攻で洋服屋に行き、紳士用ゴム無しソックスを買って、実家に届けた。

 「おりこうさんだったからご褒美だよ〜」
と言って、父に渡した。

 その晩、母から、具沢山のカレーとサラダが届けられ、
我が家の食卓を飾った。
 
 「ホントに助かったわよ〜!」

 母も大喜びだった。

 これから親がどんどん年をとっていくと、
こういうことがどんどん増えていくだろう。
 なんだか淋しい気もするし、
そんなことひとつひとつを、楽しめそうな気もする。

 ああ、それにしても、このじじい、
いつ本気でボケても気づかないと思うよ、みんな。
 どんなにボケても、
家族じゅうで大笑いして死ぬまでやり過ごしちゃったりして・・・・・・

 ま、それもいいかな。



    (了)

(あほや)2006.10.17.あかじそ作