「 アナフィラキシー ショック 」 |
子供たちはみんなアレルギー体質で、
アトピー性皮膚炎や喘息、じんましんや重症の鼻炎で
生まれてから今まで、ずっと大変な思いをしてきた。
私自身もそうだが、私の両親も弟も、親戚も、
みんなひどいアレルギー持ちなのだ。
長男三男四男は、3歳までは卵や乳製品がダメだった。
三男にいたっては、小麦もダメ。
卵がダメということは、鳥のもの全般がダメで、
鶏肉も鶏がらスープもマヨネーズもダメ。
乳製品がダメということは、牛のもの全般がダメで、
牛肉、ヨーグルト、チーズ、バターもダメ。
母乳を通して成分が出てしまうので、
5人とも完全母乳で育てている私自身も、
断乳するまでそれらを食べられない生活が何年も続いた。
そして、5人目の長女。
生まれてすぐ、母乳が足らず夜中に空腹で泣くアカンボに対し、
産院で気を利かせてミルクを与えてくれたらしいが、
そのたび物凄く激しく吐き、
まるまると太っていたにもかかわらず、
数日間保育器に入っていた。
卵は、アレルゲンとして気をつけていたが、
やはりミルクにもアレルギーがあるらしい。
産後3ヶ月を過ぎるまでは、
血液検査をしても数値がちゃんと現れないということで、
調べないままなんとなく11ヶ月の今まで来てしまった。
どうせまた、卵と牛乳でしょう、
と、軽く考えて、慣れた調子で除去食をやっていた。
卵に関しては、私が食べても
母乳を通して湿疹が出たので気をつけていたが、
乳製品は、私が食べても湿疹は出なかった。
だから、アレルゲンとしての牛乳をなめていたのだ。
生後半年ごろ、
長男が牛乳を入れたコップをテーブルに置き、
飲み終わったからと、コップを片付けたのだが、
テーブルには、わずかにコップの底に付いた牛乳が輪になって残っていた。
長男が「あっ」と思って台布きんを流しに取りに行ったその数秒の間に、
アカンボはその牛乳の輪をぺろりとなめた。
30分も経たないうちに、
アカンボの顔は、パンパンに赤く腫れ上がった。
原因ははっきりわからなかったが、
考えられるのは、そのほんの少しの牛乳しかなかった。
そのときは、塗り薬を塗ってしばらくしたら
あっという間に治まり、何ともなくなってしまったので、
「何だったんだろう」
で済ませてしまった。
それで、それから半年が経ち、
11ヶ月になった、先週の水曜の夜、
子供が作った卵抜きクレープを
「ちょっと食べてみるか?」
と、アカンボの口に入れてやったのが大きな間違いだった。
牛乳が入っているが、ちょっとだから大丈夫だろう、
と思っていた。
今までも、脱脂粉乳入りのパンを食べさせて無事だったからだ。
ところが、だ。
深夜11時ごろ、
アカンボの異常な泣き声にびっくりし、
その顔を見てみると、
顔面全体が真っ赤で、耳をしきりに痒がって暴れた。
おっぱいをやって寝かそうと横にすると、
大暴れして起き上がった。
横になると、息が出来ないようだった。
激しいくしゃみが延々と続いた。
そのうち、顔面蒼白になってきて、
両方のまぶたが、お岩さんのように腫れて来て、
呼吸困難になった。
「やばい! ショック状態だ!」
蜂に刺されたり、ハムスターに噛まれたり、
そばやピーナツを食べて、
全身アレルギーを起こし、呼吸困難で死にもいたることがある、
怖い症状だ。
「吸入、吸入!」
激しく苦しがるアカンボを私が立て抱きにし、
背中を叩いてやっている間、
喘息のときに使う気管支拡張や抗アレルギーの薬を、
夫が吸入させた。
その薬の霧をアカンボの口元に近づけると、
アカンボは、狂ったように吸入器にかじりつき、
激しく呼吸をした。
すぐにそれも嫌がって暴れたが、
顔を背けるのを追いかけるように、
吸入器の霧を口元に持って行き、薬を吸うように吹きかけた。
それでも激しい咳が収まらなかったので、
常備していた喘息の薬を飲ませ、
背中を叩いて痰が絡まないようにしていた。
「ダメだ! 夜間救急に電話しよう!」
夫にアカンボを預け、
私が救急病院に電話すると、
夜間受付が出て、
「今、看護婦さんが他の電話に出ているからちょっと待って」
と言われた。
電話口で10分以上待たされた挙句、
看護師に症状を伝えると、
「ちょっと待ってください」
と言われ、数分後、
「先生は、病棟で処置中で忙しいので他を当たってください」
と言う。
「どうしても診ていただけないのですか?」
と食い下がると、
「そういう緊急性の強いのはちょっと・・・・・・」
と言って電話を切られた。
緊急性が強いから診て欲しいのに!
テレビでは、ちょうど、
意識不明の産婦が、
たくさんの病院に受け入れを拒否されて亡くなったニュースをやっていた。
「もう!」
救急車を呼ぼうかと思ったが、
電話を掛けている間に、
さっきの薬の効き目が現れたのか、
呼吸困難は治まっていた。
ただ、全身が真っ赤に腫れ上がって、
まぶたがさっきよりも腫れ、目が開かなくなっている。
受診できる救急病院を紹介するセンターに電話をかけた。
すると、両隣の市なら診てくれるところがあるという。
どちらも車を飛ばして30分以上かかるが、
呼吸は安定しているから大丈夫だと思った。
快く診てくれるという隣の市立病院に行くことにした。
時間は、深夜0時を回っていた。
私がアカンボを抱き、夫が車を運転して、
慣れぬ道を飛ばした。
途中、夫が、運転中に、
アカンボの顔をチラっと見て、
車が路肩の電柱に向かってグラッと寄った。
「前見て! アカンボは私がちゃんと見てるから!
ここで事故ったらバカだよ! 大丈夫だからゆっくり行こう」
道に迷い迷いして、やっと病院に着いたのは、
1時を過ぎていた。
アカンボはすっかり落ち着いて、
うとうとし始めていたが、
見る影も無く腫れ上がった両方のまぶたのせいで、
尋常じゃない人相をしていた。
廊下で体温を測り、小児科医を待っていると、
向こうから背の低い中年の医者がテクテク歩いてきて、
「さ、どうぞ」
と、やさしく微笑みながら診察室に招いてくれた。
「体見せて」
と言われ、アカンボのシャツをめくってびっくりした。
真っ暗な車の中にいたので気がつかなかったが、
明るいところで見ると、アカンボの体は、
腹も背中も、足も、真っ赤になっていた。
顔面は、まぶたを中心にパンパンに腫れ、真っ赤だった。
そして、おそらく、内臓も、
同様に激しく炎症を起こし、
腫れまくっているのだろう。
「軽度のアナフィラキシーだね」
医者は、アレルゲンについてや、家族のアレルギー歴を
詳しく聞いてきた。
私たち親の体質から、病歴から、
兄弟のアレルギー歴まで、時間をかけて、じっくりと聞いてきた。
時間は、深夜2時近くだ。
こんな時間に、ニコニコと、
時間をかけて問診してくれるなんて・・・・・・
救急には数え切れないほどお世話になったけれど、
こんなにちゃんとした診察を受けられたのは、初めてだった。
医者が、神様みたいに思えた。
「長男三男四男は、卵と乳製品のアレルギーで、三男は、小麦もです。
3歳までアトピーでそれ以降は、喘息に移行しました。
長男と三男は、5年前から3年前まで薬で発作管理をしていましたが、
今は、薬は発作時のみになっています。
台風が来ると必ず発作が出ます。
次男は、食物アレルギーはありませんが、
寒冷ジンマシンなどのじんましんが出ます。
私も父もアレルギー性のじんましんと蓄膿です。
弟は、アトピーと喘息でした。
母方は、アレルギーの皮膚症状が激しくて、
父方は、喘息と鼻に出ます。
今のアレルゲンは、ハウスダストと花粉ですが、
太陽光線でも時々出ます。
動物もダメですし、急激な温度差もダメです。
風邪から、結膜炎にも中耳炎にもなりやすいです。
それから子供の入院歴は・・・・・・」
今まで壮絶な闘病が十年以上あったことを聞き、
医者は、「ほえ〜〜〜!」と言ってのけぞり、
大きく向き直って私を見た。
「お母さん、大変だったでしょう!!!」
「はいっっっ!!!!!」
彼は、同情と共に、
アレルギーを専門とする者として、
ぜひ一家揃って研究に協力してもらえないかしら、
みたいな誘い水をかけてきた。
「研究でもなんでも、親身になって診ていただけるのなら喜んで協力します」
とは言ってみたものの、
家から遠いため、めったに来られない旨を告げると、
「そうか・・・・・・ちなみにかかりつけの病院は?」
と、本当に真剣にデータが欲しいようだった。
熱心な研究者としては、
うちの家族は、よだれが出るほど魅力的な研究対象なのだろう。
5人兄弟で、それぞれ少しづつ違う症状と、その経過。
母親の一族も重症のアレルギー体質で、
その経過を聞くだけでも、いいデータになるにきまっている。
「今度昼間来てまた診せてね」
「はい」
抗アレルギー薬と強めの塗り薬をもらい、
家に着いたのは、午前3時を過ぎていた。
やれやれ・・・・・・
疲れて眠ったアカンボの顔は、
相変わらず人相が変わったままだった。
2日後、腫れが引いて元に戻ったが、
翌日は、笑顔も出ないほど体調が悪そうだった。
ろくに眠らないまま翌日の午前中から小学校の役員会に出席し、
ふらふらになりながら家に帰った。
ああ、万感の想いで授かった大切な長女を、
あやうく自分のミスで死なせるところだった。
怖い。
アレルギーをなめたらアカン!
明るく朗らかに普通の日常生活を送りながらも、
アレルゲンを完全に除去し、管理していかなければいけない。
普段の食事を作る過程で、
アレルゲンとなる食材を入れる前に、
アカンボの分だけ取り分けて、
混入しないように気をつけて調理しなければ。
食物アレルギーは、ほとんどの場合、
3歳までには、治まる場合が多い。
うちはみんなそうだった。
だから、このアカンボもあと2年くらい気をつければ大丈夫だろう。
それにしても、
今元気だった子供が、次の瞬間死にそうになってしまう、
そのことを忘れてはいけない。
生きているのが当然、
元気に学校に行くのが当然、
そう思ってはいけない。
本当に偶然に偶然が重なり、
幸運と幸運が合わさって、
今、この子供たちひとりひとりが、
無事生きて笑っているのだ。
子供に高い課題を課す前に、
まずは、「生きているだけでありがたや」と、
手を合わさねばなるまい。
それにしても、
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜あ、びっくりした。
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜あ、怖かった!!!
(了)
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(子だくさん)2006.10.24.あかじそ作 |
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