「 ぐやじ〜! 」

 先日、こんなことがあった。
 悔しくて悔しくて、いまだにジリジリしている。

 祭日に、小1の四男の友達が「公園で遊ぼう」と誘いに来た。
 「行ってらっしゃい」
と送り出したが、少ししたら、青い顔をして帰ってきた。

 (あ、喧嘩したな)
と思ったが、さりげなく、
「どした?」
と聞いてみると、
「大人の人に『あのダサいヤツ誰?』って言われた」
と言って号泣し始めた。

 「大人に?」

 詳しく聞くと、
四男が、公園に来ていた近くの託児所の子供たちと、その先生を見て、
お友達に
(あれ保育園の先生?)
と小声で聞いたら、
いきなりその先生が怒って、
「あのダサいヤツ誰?」
と四男に言ったという。

 「ダサいヤツ」?

 大人が子供にそう言ったのか?

 私には、思い当たるふしがあった。
 前に、近所の託児所がバイトを募集していたので、
応募し、2日ほど勤めたが、
オーナーがあまりに横柄な女性だったので、
具合が悪くなってやめた、という経緯があった。

 そのオーナーというのが、
四男に「ダサいヤツ」と言ったというのなら、
充分ありえる。

 彼女は、とにかく、口が悪いのだ。
 そして、勝気で高飛車だ。

 私がバイトの面接に行ったとき、
血液型や星座を聞かれ、
「それだったら従順ですね」
みたいなことを言われ、不審に思っていたら、案の定、
採用したとたん、
「おい、あかじそ!」
と呼び捨てなのだ。

 とにかく、女王様状態で、
吐く言葉吐く言葉、毒にまみれていて、
びっくりするほどいつもイラついていた。

 従業員は、みな、イエスマンばかりで、
彼女がいるときは従順だが、
いなくなったとたんに、彼女の悪口大会だった。

 私は、そんな職場にいて、
一日で具合が悪くなり、
2日目に祖父の看病を理由にやめさせてもらった。

 とにかく、彼女と同じ空間にいると、
息が出来なくなり、貧血を起こすほど、
生理的に受け入れがたく、
頑張りようも耐えようもなかった。

 祖父の看病という理由があったし、
実際祖父の入院先に通っていたのだから、
何も後ろめたいことはないのだが、
彼女は、私と道で会うと、
遠くにいてもわざわざ近寄ってきて、
「こんにちは〜」
と、満面の笑みを私の顔面に押し付けるようにして挨拶してくるのが、
物凄くストレスだった。

 そんなイヤな「近所づきあい」が数年続いており、
「あの先生、いつも、
くわえタバコで公園で子供たちを遊ばせながら、
子供を口汚くののしってるのよ」
といった悪い評判もたくさん聞いた。

 (ああ、イヤだなあ)
と、心の隅にいつもひっかかっていたが、
ついにわが子にまで実害がきた。

 私は、ここ数年の彼女から受けたストレスが、
一気に破裂し、四男に向かって、
「お母さんがやっつけてきてやるから待ってな」
と言って、公園に走りこんだ。

 すると、私を見つけた彼女は、
「あら〜、こんにちは〜!」
と、またわざとらしく笑うので、
「うちの子が大人にいじめられたって言うからきたんですけど」
と言うと、
「だってこそこそ話するんだもんね〜」
と、四男の友達に言った。
 その友達もキョトーンとしている。

 「『あのダサいヤツ誰』って言ったんですか?」
と聞くと、
「だって、こそこそ話聞こえちゃったんだもんね〜」
と、大声でゲラゲラ笑いながらおどけて見せたので、
私は、完全にブチ切れてしまった。

 「大人が子供をいじめていいのかなあ!」

 そう言って、公園を後にした。

 すると、少ししてから彼女は我が家に怒鳴り込んできた。
 私が面接で提出した履歴書で、
前もって我が家を突き止めてあったのだ。
 ずっと前からうちの前を通るたびに、
こちらを覗き込んでいるのは知っていたが、
いよいよ自宅にまで来たか。

 彼女は、町内じゅうに聞こえるほど大声で怒鳴った。

 「自分の子供の言い分だけ鵜呑みにして一方的に何ですか?
私がいきなり『ダサい』とか言うわけ無いでしょう? お宅の子供がこちらをみてコソコソ話しているから
『そういうダサいことしちゃダメよ』って言ったんですよ。それなのに、何ですか!」


 唾を激しく飛ばしながら、目をむいて叫んでいる。
 
 「ええ、うちの子は、
『あれ保育園の先生なの?』
って友達に聞いたら、
いきなり『あのダサいヤツ誰だ!』って言われたって・・・・・・」

 「そういう風にコソコソ話してからいけないんでしょう?そっちから悪いことしたから注意したんでしょう!
それなのになんですか!私は、教育者として心外です!」


 「教育者ぁ?」

 言い返そうとしたら、彼女はきびすを返して帰って行ってしまった。

 (子供同士の喧嘩かよ・・・・・・)

 それにしても、言うに事欠いて「教育者」って!
 「保育者」でしょうが。
 しかも、無資格無認可の・・・・・・。

 言いたいことは山ほどあったが、
きょうび、親への恨みでその子を殺す時代、
あのような偏執で興奮しやすい人間に目を付けられて、
まだ小さい四男はじめ、うちの子供たちに手をかけられたら困る。
 あの託児所は、もろ通学路にあるのだ。
 待ち伏せされて子供が連れ込まれても、誰も怪しまないだろう。

 だから、ここは、いったん、
彼女の恨みを私自身に思う存分吐き出させ、
子供たちを守らなければならない、と思った。

 私は、託児所に行き、
彼女に「謝りに」行った。

 「すみません。先ほどのことを謝りに来ました」

 そういうと、彼女は、目をむいて、
「大体ねえ、最近の小学生の親はみんなそうなんですよ!
自分の子供の言い分だけを来ていじめられたいじめられた、って大騒ぎして!
でもねえ、私は、事実しか信じませんから! 私は事実を大事にしますから!」


 (何が事実だよ・・・・・・子供に『ダサいヤツ』と言ったくせに、『そういうダサいことしちゃだめよ』なんてセリフ、後から作りやがって)

 しかし、私は、そんな反論をおくびにも出さずに、
「はい。はい。はい」
と、目を見て真顔でずっと返事していた。

 「まあ、相手が子供だったらよかったんでしょうけど」
 彼女は、ふっと笑ったが、私は笑わなかった。

 その後、彼女の「教育論」だの、「最近の親のダメなところ」だのを、
キンキン声で延々怒鳴り付けられたが、
私は、ひたすらその「音」が止むまで
「はい。はい。はい」
と、厳しい眼光で目をそらさずに彼女を見据えながら返事していた。

 大体言い終わったようだったので、
「すべて先生のおっしゃることが正しいと思います。
二度とこのようなことをしないように気をつけますので、申し訳ありませんでした。忙しいお仕事中に失礼しました」
と言い、頭を下げた。

 彼女が、勝ち誇ったように。
「は〜い」
と言ったので、私は、静かに家に帰った。


 私は演劇部だった。
 あやまるお芝居なんて、何でもない。
 「役」で頭を下げ、「役」で愚弄されたのだから、
悔しくも何ともない。
 まんまと下衆な人間をだましてやったんだ。
 何とも思わない。
 何とも思わないんだ。
 返って、子供を守ったという使命感で嬉しいくらいだ。
 ああ、人間、プライドをちゃんと持つと、何を言われても傷つかないものだなあ。
 プライドは、人を強くするんだ、って、気づけたから、
これは、いい勉強 だったよ。
 よかった、よかった。
 何とも思わないし。
 何とも・・・・・・


 「役」が解けて、素になった自分に向かって、
そう私は、大きな声で言った。
 
 何とも思わないし・・・・・・

 しかし、子供の部屋に行き、
毛布にくるまり泣き寝入りしている四男の紅い頬を見たとたん、
「まだすべての大人を信じているのに」
「いきなり知らない大人から中傷されて、この子はどれだけ傷ついたか」
「ほんとの教育者なら、こそこそ話している子に
『ダサいヤツ』なんて言葉は使わず『内緒話は良くないよ』と言うものだ!」
「子供相手に本気で中傷して」
「自分の都合のいいように事実を曲げて汚いヤツ!」
「何であんな悪いヤツに頭を下げたんだろう」
「あんなふうにあやまりに行って・・・・・・なんて卑屈なことしちゃったんだ!」
「くやしい! くやしい! くやしいよ!!!」

 と、一気に本当の思いが噴き出してきた。

 涙がにじんできて、胸が焼けてきた。

 子供を守るためとはいえ、悔しい。
 これでうちの子たちが直接仕返しされる確立は下がったかもしれないが、
彼女と道で会ったとき、
私は、さげすんだ目で見下され、
子供たちは、
「あんたの親、最低だな。あんな親に育てられて可哀想」
くらいは言われることは必須だ。

 でも、恨みを持たれて殺されるよりは、よっぽどいい。
 私さえ我慢すれば。
 私さえ。

 ああ、親になるって、こんなに苦しいことだったのか。
 こんなご時世だと、フェアに喧嘩することさえ危ぶまれる。

 隣人が変質者、隣人が人殺しかもしれないのだ。
 力弱き幼子やお年寄りが、
傲慢な狂人に簡単に気分次第で殺されてしまう時代。

 理不尽な報復を避けるために、
理不尽な陳謝をしなくてはいけないとは。

 ああ、それにしても、悔しい。

 私は、最近さぼっていた、
「じいちゃんばあちゃんへのお線香」
を久しぶりに上げてみた。

 ろうそくに火をともし、線香に火をつけ、
手を合わせていると、
どこからともなく子供たちが集まってきて、
一緒に手を合わせていた。

 この騒ぎを聞きつけ、私に同情したらしい。
 「ぼくも、くやしいよ」と言って、一緒に怒ってくれ、
並んで手を合わせてくれた。

 「ありがとね。お母さん、あんたたちを守るためなら、何でもするから。
悔しくても、頑張るから。
 あのバカ女に意地悪言われても気にすんなよ。
『こっち来て』って言われても、やられちゃうから、絶対そばに行くなよ」

 「うん」

 子供たちは、神妙にうなづいて、
自分たちの部屋に帰った。

 私は、ひとり、もう一度手を合わせた。

 (じいちゃん、ばあちゃん、子供たちをどうか守って)

 そして、まだろうそくの火はついたままだが、
洗面所に行こうとして体の向きを変えようとしたとき、
ゆらっ、と、ろうそくの火が大きく揺れた。

 (え? 返事してくれたの?)

 ろうそくの炎が、一層大きく長く伸びた。
 
 (私、すごく悔しかったの。でも、これでよかったのかなあ? 私、これでいいの?)


 すると、炎が、ゆらゆらと優しく揺れた。

 (じいちゃん、ばあちゃん、その他ご一同様、ありがとう。がんばるよ。私、頑張るから!)

 ろうそくは、風もないのに、また、揺れた。

 涙がにじんできたが、
今度は、さっきの悔し涙じゃなかった。
 甘えん坊の涙だ。

 線香を上げるときは、いつも、甘える幼な子のような気持ちになる。
 だっこをせがむ孫になる。


 その晩、夫にことの顛末を告げると、
気の毒そうにはしていたが、
大して気にもしていないようだった。

 近所に住む親には、このことは言わないつもりだ。
 喧嘩ッ早い両親のことだ。
 私がせっかく頭を下げて事を納めたのに、
必ず相手に怒鳴り込むだろう。
 私が頭を下げた意味が無くなってしまうのは、ごめんだ。

 その晩は、悔しくて一睡も出来なかった。
 翌日は、胃が痛くて、
翌晩は、悪夢を見た。
 その翌日は、大声で独り言を言っていた。
 時々、ひとりで怒鳴っていたりもした。

 これでよかったのかわからない。
 でも、これしかできなかった。
 でも、次、道端で彼女に出会ったら、どうしたものか。

 「先日は、すみません」と、頭を下げるのか?

 いや、下げない。もうすでに下げた。

 無視か?

 いや、また恨みを買っては、意味がない。

 目を合わさずに会釈か?

 無視されたらまた悔しさが噴き出しそう。

 気づかぬフリで通り抜け、声を掛けられたら、真顔で会釈しようか?

 よし、それで行こう。

 でも、今度我が家の敷地内に足を踏み入れたら、もう承知しないぞ!
 あたしゃ、かみつくからね!
 骨折しているコブシで殴っちゃうかもしれない。

 ああ〜〜〜あ、ぐやじ〜〜〜っ!!!


   (了)

(子だくさん)2006.11.7.あかじそ作