「 いじめられても大丈夫 」 |
毎日ニュースで、いじめられて自殺した子のニュースをやっている。
私は、あらゆる人の立場を思い、複雑な気持ちになる。
小中学校で、いじめられた事、
自分では自覚なしだったけど、結果的に誰かをいじめた事。
高校での陰湿ないじめ。
友達に相談しても「暗い話題やめて」と拒否されて、
卒業までの700日間、ひとりで我慢しているうちに心を病んでしまったこと。
そのせいか、就職してからウツになってしまい、
せっかく入れた希望の会社を辞めてしまったこと。
「自殺なんてなんでするの?」
と言うのは、たやすい。
でも、毎日毎秒、逃げ場の無い密室で、
けなされ、嘲笑され、無視され、殴られ、蹴られ、
「死ねよ」「何で死なないんだ」「早く死ね」「まだ生きてたのか」
と言われ続け、誰にもそのことを言えないくらい
心がつぶれてしまったとき、
生きることより死ぬことのほうが自分に近いような気になってしまうのは、
私には、よくわかる。
でも、私は死ななかった。
親にも友達にも助けてもらわなかったから、心が病んでしまったけれど、
でも、死ぬことだけは選ばなかった。
毎日、相手を殺す妄想を続けることで、
自分への殺意を相殺してきた。
それくらい、壮絶な心理状態で、
ギリギリのところで生きていた。
今、親自身がそんな不安定な育ちをしてきた中で、
その子供たちは、もっと複雑で壮絶ないじめの現場を生きているに違いない。
うちの子供が、小学校に上がったばかりの頃、
同級生のひとりに、ちょっと肩がぶつかっただけで
「てめぇ消えろ死ね」
と言われたことがあった。
子供は、へこみまくって帰ってきたので、
私は、
「えらい言葉の通り魔に遭っちゃったね、気にスンナ」
と、フォローしたが、
気になるのは、小1にして、日常的に
「消えろ」だの「死ね」だのという言葉が飛び交う環境にいる、その子の方だ。
こんな調子で、今、子供の間では、毒を吐く子が大勢居て、
それをいかに気にしないようにするかを教えることが大事になっている。
一体、子供たちは、どこでそんな毒を覚えたのだろう。
友達か? 年上の兄弟か?
その友達や、年上の兄弟は、一体誰から教えられたのか?
中には、俗悪アニメやゲームなどで覚えることもあるだろうが、
それらの毒の多くは、
実は、親が自分の子に吐いた言葉が発祥地点ではないのか?
子供のいじめは昔からあった。
今よりひどい差別も、たくさんあった。
いずれにしても、子供のいじめの元をずっとたどっていくと、
きっと未熟な大人の言動にたどり着くのだ。
私は、以前、葬儀屋でバイトをしたことがあるが、
自殺の場合の葬式は、悲惨だった。
親兄弟配偶者は、魂を抜かれたようになり、
残された子供は、真っ青な顔で震え、
みんなで棺に向かって、怯えながら、震えながら、
泣き叫ぶのだ。
そして、残された者たちには、
真っ黒で忌まわしいネバネバが心に張り付き、
一生消えないのだ。
一生「ああ、幸せ」と思えない人生になってしまうのだ。
いじめは、犯罪だ。
いじめるヤツは、犯罪者なのだ。
学校や職場や地域で、
そういう犯罪者が野放しにされ、
弱いものを見れば、血に飢えた野獣のように、
小突き、噛み付き、なぶり殺しにするのだ。
弱い者いじめを好む者が、
人目も気にせず堂々といじめを遂行できる環境は、
治外法権の無法地帯だ。
学校は、教育の場であって、
いじめる者の非道な行為を、指導によって何とかしなければならない。
親も子に、いじめることの卑怯さをちゃんと教えるべきだ。
しかし、実際多くの学校は、
加害者の人権ばかりを気にして、
指導どころか形だけの処理をし、
被害者は雨ざらしだ。
親もいじめの片棒を担ぎ、
「いじめられる方にも悪いところがあるんだ」
と子供に放言する。
これは、賛否両論あるだろうが、
いっそのこと、
「弱い者いじめ」と知りながら、あえていじめをする者は、
逮捕してもらいたい、と思う。
子供だろうが、老人だろうが、
人を、自殺したくなるほど追い詰めるような者は、
牢屋に入って自分の行為が社会的に認められないということを
よく思い知ってもらいたい。
いじめの定義を決めるのに、ごたごたもめているが、
明らかに「子供の喧嘩」を超える、
犯罪に値する行為に対しては、
学校内であっても、犯罪として立件すべきだと思う。
そして、大人は、子供から信頼を取り戻すべきだと思う。
あてにならない大人が多すぎる。
正論ばかり吐いて、何もしない大人ばかりじゃ、
子供もむしゃくしゃしていじめのひとつもしたくなるだろう。
自分のためにひと肌脱いでくれる大人が
必ずひとりは、いるということを、
子供たちが実感すれば、
もっと自分も他人も、大事にできるような気がする。
10歳前後で、世をはかなまないで欲しい。
世界の中の、
極東の、
小さな小さな国・日本の、
とある県の、
とある市の、
とある町の、
とある学校の、
とあるクラスの、
とあるグループ内の出来事を、
世界のすべてだとは思わないで欲しい。
そこがダメダメな場所なだけで、
他には、山ほど、くさるほど、
優しくて明るくて、素敵で、
自分が自分らしく生かせる場所がある、ということを、
気づいて欲しい。
一方、大人は、
そのことを子供に教えて欲しい。
そして、小学校、中学校、高校も、
大学のように、科目ごとに移動教室にして、
密室で決まった人間ときまった空間に押し込められるシステムを
今すぐやめて欲しい。
全部移動教室にして、
離れた席で、ひとりでフラッと授業を受けていても、
何も違和感のない、ひとりひとりを縛らない方式にして欲しい。
同じグループや、同じメンバーに弾かれても、
気にせず生きていけるようにして欲しい。
子供に逃げ道を作って欲しい。
どんな小さな子供にもプライドがある。
自分がいじめられっ子だとは思われたくない。
いじめられていることを誰にも知られたくない気持ちがある。
そういうときに、
また嫌な連中にやられないように、
広い自由な空間で、逃げ道を作って欲しい。
これは、現場で私が感じたことだ。
「いくら同じ田んぼで生きているからといって、
ザリガニとメダカを、同じバケツに入れちゃいけないんじゃないですか」
ということだ。
昨日、子供たちが、教育委員会からのメッセージの手紙をもらってきた。
ちゃんと「子供たちへ」「保護者のみなさまへ」と書いてあるのに、
うちの子供たちは、見もしなかった。
捕まえて朗読してやったが、
振り払ってとっとと逃げていった。
私は、保護者へのメッセージを読んだが、
「子供の顔を見てあいさつを」
「生まれてきてくれてありがとう、と言葉にして言おう」
「子供の話をよく聞こう」
などと書いてあった。
子供を大事に育てようと思っていた私さえ、
どれも守れていなかった。
親自身が不安定になることが多い毎日だから、
子供は、もっと不安定にちがいない。
三男は、いつも瞬時にキレて、毎日暴れているし、
長男は、部活の先輩に連日締めあげられてまいっている上、
携帯電話を持っていないのは自分だけだと毎日怒っているし、
四男は、いじめられてもヘラヘラ笑うことしかできないし、
私は、親としてそれらにうまく対応できないでいる。
難しいことはできないけれど、
実は、問題の根っこは全部つながっていて、
ひとつのことで解決できるような気がする。
私の安定した愛情と、スキンシップ。
これがカギだと。
とは言え、男の子たちに
「愛してるわ〜」
といきなり抱きついたら思いっきり逃げられる。
だから、朝、登校前にさりげなく、
ひとり1回、「ポン」と触れよう。
「おはよう」(ポン)
「歯磨いた?」(ポン)
「美味しかった?」(ポン)
「忘れ物ない?」(ポン)
「いってらっしゃい」(ポン)
で、夕方帰ってきたら、また「ポン」とやろう。
ひとり最低1回、全員漏れなくだ。
親子喧嘩ばかりでなかなか機会が得られないが、
相手の機嫌がいいときを見計らって、
相手の顔を見て、
「ニッコリ!!!」
してみよう。
これは、無条件で精神安定剤になるんじゃないか?
照れて、「カアチャン、キモイ〜〜〜」などと言うだろうが、
めげずに、
愛情不足気味の子供たちに、
「ニッコリ!!!」
を投薬してみよう。
そして、時々、子供たちの前でアルバムを開こう。
小さかった自分を、可愛がられている姿を、
しょちゅうマザマザと見せよう。
おちゃらけたカアチャンだから、
こんな方法しかできないけれど、
今ならまだ間に合うだろうから、
今日からやろう。
塾やスポーツクラブにも行っていないし、
流行のゲームも持っていないで、
運動も勉強もイマイチでも、
カアチャンには世界一愛されている、
という子供になってもらおう。
いじめられても何があっても大丈夫、
何とかしてみせる、という、
強くて、柔軟で、広い視野の子に育てなくっちゃ。
私自身も、そうならなくっちゃ。
(了)
|
(子だくさん)2006.11.21.あかじそ作 |
|