「給付金」


 我が家に、その金が届けられるようになったのは、結婚10年目だった。
 夫婦と子供2人で、いわゆる中流の生活を営んでいたとき、
夫が突然のリストラに遭い、失業している時期に、それは始まった。

 銀行口座に30万円。入金者は、<平成の足長おじさん>と書いてあった。

 夫の両親からだろうと思っていた。
きまって毎月25日の朝一番に、30万円は振り込まれていた。
それは、夫が就職した後もずっと続いた。
 
 当初、「いつもありがとう」と、夫が両親に連絡していたが、
「何のこと?」
と、本当に全然知らないようだった。

 さては、私の実家からか。
実家に聞いたが、知らない、と言う。
 とぼけている、という風でもない。

 では、誰から?

 リストラした会社が、退職金として支給しているのかとも思ったが、
だったら、<退職金>だぞ、と、恩着せがましく言うにきまっている。

 誰? <平成の足長おじさん>って!

 最初の2〜3ヶ月は、気持ちが悪くて気にしていたが、次第に誰でもよくなり、
今や、家計簿の収入欄にも<足長より30万>などと、何も考えずに書き込んでいる。

 毎月30万円。

 夫の失業中こそ、生活費として大いに有意義に使っていたが、
夫が一定収入を得るようになってからは、それは、住宅ローンの繰上げ返済に使われたり、
海外旅行に使われたり、健康ランドにハマったり、と、形ないものにどんどん消えていった。

 特に贅沢もしていないし、相変わらず中流の中にとどまっていた。
ただ、生活には、少しづつ、贅肉がこびりついていき、家の中には、物があふれ、
子供の部屋には、新しいゲームソフトが山積みにされていた。
 
 そして、突然、夫が死んだ。

 そのとたん、<仕送り>は、突然途絶えた。

 月々50万円をコンスタントに支出していた我が家は、突然収入がゼロになり、
生命保険の保険金を切り崩していくうちに、貯金も心細くなってきた。
 
 私は、15年も専業主婦をしていて、勤めに出る決意もなかなか出来なかったが、
子供の進学もあり、やむなく、生命保険の外交をやることにした。
 半年の研修期間は何とか勤めたが、人に頭を下げることがどうしてもできず、
ノルマをこなせずに連日上司にけなされて、結局やめてしまった。
 どこに勤めても、同じようなことの繰り返しで、どこも長く勤まらなかった。

 家庭の中で、いつしか私は「女王様」となり、自分中心の生活に慣れすぎて、
人の都合が考えられなくなっていた。
 いくつかの職場を転々とした挙げ句、夜中の工場の清掃係に落ち着いた。

 月収15万円。
家賃も住宅ローンもないから、子供と3人で何とか暮らせているが、
暮らしぶりは、随分変わった。
 
 家の中は、すっきりと片付き、新しいものは何一つ無い。
買い物も、あまりしなくなった。
 金もないが、不満もなかった。

 夫が養ってくれているときは、不平不満だらけで、
<仕送り>の30万円も、まるで何かのノルマをこなすかのような気持ちで使っていた。
 金は、「使うもの」だった。
「使わなければならないもの」だった。

 今、毎日、体を動かして、疲れはするが、ストレスはない。
金は、「稼ぐもの」で、自分の頑張りを示すバロメータだった。
 使うときも、さわやかな気分で使えた。

 夫が亡くなって5年。
私は、遅まきながら、自立した生活を手に入れた。
自立する喜びを知った。

 そんなある晩、夫が夢枕に立った。

 オレはこれから、28歳の男として、オマエの前に現れるから、
また結婚しようぜ、と言った。

 変な夢だ、と、一瞬でそのことを忘れ、息子の個人面談のために学校に行くと、
教室には、若い男性教師がひとり、待っていた。
 
「結婚しましょう」

彼は、第一声、普通に言った。

 彼は、息子の担任教師であるけれど、何故か、明らかに夫であると、私は確信した。

 私は、28歳の彼と結婚し、そして、仕事も続けた。

 2度目の結婚生活は、まるで夫との生活の続きのようだった。
子供達も違和感なく馴染んだし、私も、何の無理もなく、マイペースで暮らせた。
 いや、むしろ、前よりもうまくいっているようだった。

 夫婦とも、低収入ながらも好きな仕事をして、気持ちが落ち着いていた。
<足長おじさん>の仕送りがなくても、清貧の暮らしができた。

 再婚後、数ヶ月経ってから、彼が変な寝言を言った。

「オレもオマエも、生まれ変われたし、よかったよ。神様からの苦労手当ても受給できたしね」

「苦労手当て?」

「月々30万円、夫急死に備えた給付金だったんだよ、知らなかったろ?」

「はあぁぁぁぁっ?!」

 彼は、寝ながら応答している。
私は、彼を揺り動かして、起こした。

「どういうことよ? 神様からの給付金って」

 彼は、寝ぼけたまま、私を不思議そうに見た。

「何のこと?」

 何にも覚えていないようだった。

(足長おじさん、って神様なの?!)

彼は、すぐにまた眠ってしまったが、私は、朝まで眠れなかった。

(私を自立した大人にしてくれたのも、神様ってわけ?)

「それは、オマエが頑張って成長したせいさ」

またもや、寝言で彼が応答した。

(こいつ、何者?)

「オマエの夫よ」

また答えた。 私が心で思ったことに、寝言で答えた。

 何だか知らないけど、ま、いいや。
私は、いろんな何かに守られている、ってことなのだ。
 誰かを当てにせず、自分の足で歩いていれば、見守ってくれる何かがある、
ってことなんだろう。

 私は、あまり深く考えないことにした。
明日も仕事があるし、寝なくちゃならない。
 小難しい屁理屈は、生活には邪魔なだけだもの。


                     (おわり)
 2001.08.30 作:あかじそ