「 真ん中の子 」 |
先日、小学校で個人面談があった。 午後2時半に、1年生の四男の担任と、 午後3時に4年生の三男の担任と、 午後3時半に6年生の次男の担任と面談することになった。 個人面談期間中、子供たちは、通常より早く帰宅するので、 面談当日は、私の実家に帰るように言い聞かせてから登校させた。 アカンボは、おんぶして行くつもりだったが、 39度台の発熱で、少しぐったりしていたので実家に預けた。 実家の両親とて、たまの「お預かり」ならまだしも、 連日孫が大量にどかすかどかすか来られてはたまらない。 最近は、はっきりと、 「今日は、来るな」 と言われることも多い。 だから、どうしても、という時以外は、 役員会もアカンボ連れで参加していたが、 さすがに歩き始めのちょろちょろウギャウギャな時期は、 会議の進行を妨げてしまうので、 頼み込んで預かってもらうことにしている。 しかし、やはり、断られる確率は、高い。 両親は、自分の都合のいいときに、 気の向くまま、いきなり我が家にやってきて、 アカンボをちょっとだけ、かいぐりかいぐりしてから、 とっとと帰るのがいいらしい。 あくまで、受け身ではなく、 自動的に孫と関わりたいという方針だ。 あまりあてにしては、いけない。 ああ、それにしても忙しい。 夏休みが終わってから、息つくひまもなかった。 毎日のように、 役員の集まりや子供の通院、 結婚式出席のための団体帰省、 長男の吹奏楽コンテストやら合唱祭の参観、 次男の中学一日入学&説明会、 学校のバザーに、持久走大会時の路上パトロール、 校内パトロールに、運動会の駐輪場管理、 地域の子供会の手伝いなどなど、 目が回るほど忙しく、 アカンボを常時、背中にはりつけたまま、 あっちこっちに飛び回っていた。 2学期に行事が多いのは、じゅうじゅう承知しているが、 就学中の子供が4人なので、イベントも4人分である上、 今年は、アカンボもいて、役員も受けているので、 例年の何倍も忙しかった。 そんな中での面談だったので、 先生と何を話すかなんて、考えるひまも無かった。 ただ指定された日時に指定された場所へ行き、 さっさと、とっとと用事を済ませ、 熱を出しているアカンボを引きとらなくては、 という気持ちでいっぱいだった。 ところが、だ。 「何の問題もありません」 と、2分で終わった四男の面談に対して、 三男の面談は、そうは、いかなかった。 まず、先生は、開口一番、 「もう、はじけまくって大変なことになってます」 と、言った。 聞けば、席の近くのお友達と、 はた迷惑なほど、しゃべり、騒ぎ、取っ組み合いをし、 わさわさわさわさ落ち着かない生活をしているらしいのだ。 三男は、その子と大変気が合うらしく、 思いきりじゃれあえることが猛烈に楽しくて、 家に帰ってきても、その子のことばかり話していた。 私は、てっきり学校では、うまくいっていると思っていたが、 楽しいのは、本人だけで、 周りは結構迷惑しているらしい。 ああ、そうか。 最近、家で暴れなくなってきて、 落ち着いてきたと思ったら、 学校でやってたか。 2学期の初め頃、 ふと三男の顔を見たときに、人相が変わっていたので驚き、 よくよく見てみると、眉毛が無かった。 授業中、じっとしているのが耐えられなくて、 無意識に眉毛を抜いてしまうらしい。 何度注意しても、どんどん眉毛が薄くなり、 いよいよ「麻呂状態」になってきたので、 「どうしても毛を抜くのがやめられないのなら、眉毛じゃなくて、腕や足の無駄毛にしたら」 と言ってみたが、しばらくしたら、 今度は、髪の毛がところどころ禿げていた。 髪の毛を抜いているのだ。 そういえば、前にもこんなことが・・・・・・ そうだ。 長男がこれくらいの頃も、 やはり授業中、自分の毛を抜くくせがあって、 頭のてっぺんが禿げてしまったことがあった。 長男は、自分で気をつけるようにして、 何とか、そのくせをやめることができたが、 三男は、厳しく言っても、噛んで含めるように諭しても、 やっぱり、日に日にハゲが増えていくのだった。 とにかく、授業の間じゅう、じっとしていること自体が、 耐え難いほどのストレスらしく、 それ以外に学校でいじめられている、などの問題はないようだった。 様子をみて、治らないようならば、 先生に相談しよう、と思っていたが、 三男自身が気にするようになって、 無意識に自分が毛を抜かないように、 家でも学校でも、頭にタオルを巻いて過ごしていた。 しかし、授業は、今に始まったことではないので、 じっとしていること以外に何かストレスの原因があるのだろう、と、 気にして見ていると、 どうやら、2学期の頭あたりに、 新しいゲームソフトが次々と発売されて、 今まで公園で一緒に駆け回っていた友達が、 みんな自分の部屋にこもってしまうようになり、 遊びに誘っても断られるようになったようだった。 じっとしていられない三男にとって、 遊ぶ相手がいないのは、拷問に等しく、 そのストレスで、毛を抜いたり、家で弟をいじめたり、 暴れたりしていたのだろう。 また、ゲームを「全クリ」した(全部終わらせた)友達が、 公園に戻ってきたので、また一緒に遊ぼうとしたとき、 友達の会話は、ゲームの内容の話題ばかりで、 三男は、話についていけず、 疎外感から、その仲間から遠ざかっていったのだった。 そういう時、多くの子供は、 「仲間ハズレになるから、ゲーム買って」 と、親にねだるのだろうが、三男は、そういう面は非常に律儀で、 「みんなが飽きてリサイクル屋に出したら安く買えるから」 と言って、自分の小遣いを貯めて、機を待っているのだった。 三男は、大人が「そうしなさい」と言う通りに、 外で元気よく遊び、宿題も自分から進んでやり、 好き嫌いもせず何でもよく食べ、 早寝早起きして、 親の手伝いも先生の手伝いもよくやっているのに、 新作ゲームの発売時期になると、 人間関係が、一からやり直しになってしまうことに、 理屈抜きで疲れ果てているようだった。 自覚なしの理不尽なストレスを、うまく処理できず、 家でむしゃくしゃして暴れても、 親は、理解してくれるどころか、 カンカンに怒って「出て行け!」なんて言う。 三男の心は、行き場をなくしていたのだろう。 そこへ、最近、席替えして急速に親しくなった友達は、 ゲームよりプロレスごっこやおにごっこを好み、 実の無いくだらない馬鹿話を、一緒に笑いながらしてくれる。 嬉しくて嬉しくて、 三男は、はしゃいではしゃいで、はしゃぎすぎて、 先生に連日こっぴどく叱られているという。 面談で、次の人の順番がきても、 先生と私は、夢中になって三男の現状を話し合った。 そして、先生は、少し躊躇しながら、 一枚のプリントを私の目の前に広げた。 [心のアンケート] と銘打たれたそのプリントには、 「自分のことが好きですか?」 「自分は誰かに大事にされていると思いますか?」 などの質問がいくつか書かれてあったが、 三男の回答は、こうだった。 「自分のことが好きですか?」 「好き」に一度丸が付けられていて、消しゴムで消され、 「きらい」の文字を丸で囲ってある。 「自分は誰かに大事にされていると思いますか?」 「いいえ」に丸。 私は、ショックを受けながらも、 まあ、ヤツは、そう書くだろうな、と思った。 年がら年中、 「どうせ僕は」とか「僕だけひどい目に遭う」などと、 被害妄想的は発言をしているのだ。 みんなと同じ扱いを受けているのにも関わらず、だ。 確かに、四男が生まれるまでは、「末っ子のかわい子ちゃん」で、 家族みんなに、ちゅっちゅちゅっちゅされていた。 そのときは、神経質ながらも時々笑顔を見せていたのだが、 四男が生まれてからは、 四男の愛嬌もよかったせいか、すっかり家族の人気を奪われてしまった。 三男は、嫉妬に狂い、四男をいじめ始め、 前にも増して「ずるいずるい」を言うようになった。 確かに、私をはじめ、家族全員から 自分の納得の行くような愛情を受けられなかったのは、 可哀想だった。 しかし、私も、兄弟たちも、 それなりに三男に目をかけ、平等に可愛がってきたつもりでいた。 しかし、実際は、本人にとって、足りていなかったわけだ。 放っておいても、すくすく育つ草木もあれば、 常に温度を管理し、温室に入れて肥料を与え、 何度も何度も植え替えをしてやらなければ、 枯れてしまう植物もある。 三男は、きっと後者なのだろう。 先生は、言った。 きっと、彼は、一人っ子の家庭で、愛情を独占できる環境にいたら、 何の問題も無い子だと思います、と。 しかし、兄弟のいっぱいいる家庭に生まれたのだから、 順応していかなければいけません、と。 そして、私も、お母さんも、お互いに、 大勢の子供の中の一人として扱うことしかできないながらも、 彼を大事にしていきましょう、と。 面談を終え、実家にアカンボと子供たちを引き取りに行くと、 父は、立ったまま、眠るアカンボを横抱きにして揺らしていた。 母は、「夕飯作る時間ないでしょう」と、 大鍋にポトフを煮ておいてくれた。 ありがたかった。 実際、いつも心の中では、 (勝手気ままな人たちだ) と、両親を信用していなかったが、 父も母も、彼らなりのやり方で、 その愛情を、もう40を過ぎた娘にかけつづけてくれているではないか。 片手に風呂敷包みの鍋をさげ、 背中にアカンボを背負い、 小さな子供たちをぞろぞろ引き連れて、 シュンとしながら夕焼けの中、家路につくと、 「やだな。もうすぐ席替えなんだ」 と三男が言う。 (騒ぎすぎるから離されるんだな) と、ピンと来たが、 しらばっくれて、 「あ、そうなんだ。せっかく席近かったのにね」 と言うと、 「うん」 と、三男は、足元の石を蹴った。 家に帰り、雨戸を閉めに子供部屋に入ると、 相変わらずの散らかりまくった状態だったので、 思わず大きなため息が出た。 いつも自分で片付けなさい、って言ってるのに・・・・・・ 何なのよ、このロッカーの中は・・・・・・・ 三男のランドセルを入れているロッカーの中を整理すると、 中から、3年生の教科書や、3年生の頃の作文、 理科の実験結果をまとめたレポートや、 社会科見学で行った工場のメモや、 友だちが書いてくれた「きみのいいところ」という手紙などが、 ごっそり出てきた。 そこには、私の知らない三男がいた。 きっと彼が、これらを 「お母さん見て」 と持ってきたとき、 私は、オムツを換えていたり、 他の子の相談にのっていたりして、 「ああ、後で」 とか、 「その辺置いておいて」 と、三男を振り向きもせずに言い放ってしまったのだろう。 三男は、黙ってそれらのプリントを引っ込め、 自分のロッカーに突っ込んでいったのだ。 何枚も、何十枚も。 それらの紙切れに書かれていた、 キラキラした三男の心や生活を、 私は見ようともせず、 暴れて母親に自分を発見してもらおうとする三男に、 「そんなことをするヤツはうちの子じゃない」 などと、怒鳴り散らしていたわけだ。 4年生もそろそろ終わりに近づいた頃、 やっと発掘された3年生の三男。 ずいぶん前から、お前を見ていなかったね。 ごめん。 一番上の子や、一番下の子を、一番見ていた母です。 真ん中辺の子は、いいことをした時だけ、向き直っていた母です。 真ん中の子が、本当に困って、悩んで、淋しいとき、 一番母親に見つめて欲しいときに、叱り飛ばしてばかりいた母です。 火にかけたポトフの鍋を、 誰に言われるでもなくお玉でかき混ぜていてくれた三男に、 「ありがとな」 と声をかけたら、 自分の声が泣いているのにびっくりしてしまった。 (了) |
(子だくさん)2006.12.5.あかじそ作 |