「 ’06 クリスマス 」


 サンタさんに何をお願いするか?
 幼稚園児や小学校低学年なら、
素直に考えるのだろうが、
だんだん大きくなってくると、そう単純には、いかなくなる。

 学校で、
「サンタに何たのむ?」
という話題になったとき、
「お前、まだサンタなんて信じてるの?」
という者あり、
「え? いないの?」
と、ショックを受ける者あり。

 ご丁寧に
「あんなの、親が買って枕元に置いてるに決まってるじゃんか」
と説明してくれる子もいる。

 「サンタさんて、夜中どうやって家の中に入るの?」
 「どうしてサンタは、僕の欲しいものがわかるの?」
と、常々疑問に思っていたことに、
一番ごもっともな回答を与えられて、
帰宅するやいなや
「お母さん、サンタってお父さんなの?」
と、ダイレクトに聞く小学校中学年。

 中学生にもなると、幼い兄弟たちの手前、
「サンタさんは親だぜ」
なんて無粋なことは言わず、
「サンタさん、あのゲームソフト買ってくれないかなあ〜」
なんて、親の前ででかい独り言を言ったりする。

 我が家では、数年前、
「サンタさんは、絶対いる」と言う子と、
「サンタってどうやって家に入るの?」と不思議がる子と、
「サンタは親かも?」という子と、
「サンタを語る親に何ねだろう?」という子が、
同時におり、
その全員が居る居間で、そのうちの誰かが、
「サンタさんって、ホントにいるの?」
と聞いてきた。

 実は、私も小さい頃、同じ質問を親にしたことがあった。
 お友達の家では、クリスマスの朝起きると、
枕元に必ずプレゼントが置かれているというのに、
自分の家には、それがなかったからだ。

 そうしたら、うちの親は、即答だった。

 「そんなもなぁいねえ」

 気持ちいいくらいバッサリいってくれたので、
私自身、いろんな想いが浮かぶ前に、
物凄くすっきりした気分で「やっぱね」と思い、
それからは、クリスマスプレゼントをくれだの、何だのとは、
言わなくなった。
 晩御飯に鶏肉料理が出たり、ケーキが出たり、
テレビを消して、クリスマスソングのレコードを聴くだけでも、
充分うっとりすることができた。
 その上、何か物をもらおうなんて気持ちは、起きなかった。

 もちろん、それは、母と子供たちだけのこじんまりしたパーティだったが、
それで満足だった。
 それが、満足だった。

 酔った父親が、最初だけご機嫌で、
だんだん雲行きがあやしくなって、
みんなでご機嫌をとったり小さくなって静かにしていたりするより、
よっぽど素敵な夜だった。

 大人になり、母親になっても、
夫が仕事で留守がちなため、
やはり父親抜きの母子パーティをするが、
子供からは、しっかりプレゼントを求められる。

 プレゼント調達係は、夫で、
毎年、自分の与えたいものをサンタ名義でプレゼントしている。

 それは、必ず、本か、
あるいは、名作映画や名作アニメのDVDだ。

 江戸川乱歩の少年探偵シリーズや、
「海底2万マイル」「指輪物語」などの冒険小説、
「ムーミン」の原作本シリーズや、
「メリーポピンズ」「ダンボ」など、ディズニーのクラシック映画のDVD、
ハリーポッターの原作本や映画のDVD、
宮崎アニメの原点「パンダコパンダ」や「となりのトトロ」のDVD、
親にとっては懐かしいアニメ「家なき子」や、
「母を訪ねて三千里」などの全巻DVDパックなどだ。

 これらは、何度見ても面白く、しかも良質で、
子供らも、毎年喜んでいる。

 しかし、こうなるまでには、紆余曲折があった。


 長男が、幼稚園児だった10年ほど前、
「友達の家は、みんな、ゲームをもらえるのに!」
と言って不満をもらしていた。 
 朝、布団の上で包みを破き、
絵本が出てきたのを見て号泣していた。

 「サンタさんは、見込みのある子には、本をくれるんだよ」
と言い聞かせ、やりすごしていたが、
私が何ヶ月もかけて選んだ「文部省推薦」みたいな絵本などは、
ことごとくがっかりされた。
 心の豊かな人間になって欲しくて、
ケガレの無い、清らかな書籍を与えたが、
毎年うんざりされた。
 で、夫にプレゼント調達を頼むようになると、
子供たちからのブーイングは、スッと消えた。

 同じ本でも、子供が読んで面白いものを選んでくるのだ。
 しかも、大人が子供に向けて、
きちんとメッセージを送っているものばかりだ。

 普段、私は、夫に対して
甲斐性が無いだの、動作がのろいだの、
過保護に育てられた長男の甚六だのと、
散々毒づいているが、
子供へのプレゼントに関しては、
センスがいいじゃねえか、と、感心している。

 夫自身、精神的にまだ子供のままで、
だから、子供の気持ちがよくわかるのではないか、
とも思われるが、
実際子供たちは、もらった作品で心洗われ、
なかなかにピュアな人間に育ってきているのだから、
まあ、結果オーライだ。

 人は、それぞれ向き不向きというものがあるが、
我が家では、
道徳および義理人情担当は、私で、
ハートウォーミング担当は、夫なのかもしれない。
 私が送るものは、ダイレクトに倫理を問う、教科書みたいな本で、
読んでも「良書ですな」とは思っても、
面白くもクソもないものだった。
 一気にしつけ効果を狙う、お説教本など、
もし私がもらっても読まないだろう。
 その点、夫は、のんきなせいか、心に余裕があるチョイスだ。


 ちなみに今年のプレゼントは、
中2の長男には、星新一の単行本を20冊、
小6の次男には、アーサー・ランサム全集・全6巻、
小4の三男には、ガンバの冒険シリーズ3冊、
小1の四男には、「長靴を履いた猫」の東映映画版(「80日間世界1周」)DVD、
1歳の長女には、クラシックディズニー「わんわん物語」だった。

 次男などは、午前2時に枕元のドデカイ赤い紙袋に気づき、
深夜の寒い居間で開封し、飛び上がって喜んでいる。
 かつては、名作を1冊づつだったが、
年々読むのが早くなってきて、
何冊も欲しいと言い出し、
最近は、「古本でもいいから全集を」というノリになってきている。


ところで、うちのサンタさん、なぜか私にもプレゼントをくれる。
 子供の頃、家にサンタさんが来なかった子供に同情してか、
毎年律儀に、大人になったその子の枕元に置いてくれる。

 数年前までは、服やバンダナなどだったが、
いかんせんセンスが合わず、あんぐりしてしまった。
 また、買ったものを夫の方が愛用してしまう、という、
詐欺みたいなことが起きているので、若干腑に落ちなかった。

 しかし、ここ数年は、
私の口から延々と出てくる世間話の中から、
敏感にキーワードを聞き取り、
それに即した本やDVDを選んでくる。

 去年は、
「昔は、子だくさんものの漫画がいっぱいあったね〜」
「私、知らないうちに影響受けてたのかしらね〜」
という言葉を覚えていて、
川崎のぼるの「てんとう虫の歌」と、
ちばてつやの「1、2、3、の4、5、ロク」という、
大家族もの漫画をプレゼントされた。

 子供の頃、アニメでやっていたのを、
楽しみに見ていたものだったが、
大人になってからあらためて読んでみると、
実に奥が深く、素晴らしい作品だった。
 いかんせん、子だくさん作品の親は、
病気で早死にしたり、事故で突然亡くなったりして、
子供たちが苦労する、
というお約束になっているのが気になるが、
それは、子供たちが兄弟手を取り合って厳しい世間を生き抜く、
という名場面を作る上で欠かせないディティールなのだろう。

 しかし、私はまだ死なないぞ。
 夫も、もうちょい生きてくれ。

 今の時代は、子供が大人になるのに時間がかかる。
 周りに本当の大人が少ないために、
学習する機会に恵まれないことが多い。

 もうちょい生きるぞ、もうちょっと。
 せめて子供が成人するまでは。


さて、話は、元に戻り、
「サンタさんって、ホントにいるの?」という
子供からの質問に答えるシーンに戻ろう。
 サンタクロースなんてウソっぱちでしょう、的なムードの中、
それでも、サンタさんを信じる小1の四男の目がこちらを見つめている。

 ファンタジーと現実感のちょうどいいところを答えねばならぬ。

 私は、とっさに、こう答えた。

 「うちには、三田(みた)さんが来る」

 「三田さん?」

 「そう、三田さん。『さんた』と書いて、『みた』と読む」

 「それ何者?」  

 「国連日本支部児童福祉課埼玉地区担当の三田さんね」

 「何だそりゃ」

 「本部は、ノルウェーね」

 「またかよ。お母さんノルウェー好きでしょ」

 「え? そう?」

 「何か素敵な感じのことは、すべてノルウェーで起こってると思ってるでしょ」

 「う、図星」

 「あ、そうだ、悪い子には、ブラックサンタが来て懲らしめるっていうじゃん? うちは?」

 「あ、ああ、黒三田さんがくるよ」

 「黒三田さん?!」

 「そうそう。喧嘩ばっかりしていた子や、人を傷つける子のところには、
北欧簡易裁判所から夜中、黒三田さんが枕元に来て、
一晩じゅう会社の愚痴や上司の悪口を言い続けるからね。
ちゃんと相づち打って、寝ないで聞かなくちゃいけないんだからね」

 「うそだあ」

 「それだけじゃないよ。
朝方酔ってつぶれて布団の上に寝ゲロ吐くからね、ヤツは。
その後片付けもしなくちゃいけないんだよ」

 「最悪だ」

 「だから、いい子でいましょう」

 「はいはい」


 あまりの話のくだらなさに、すべてうやむやになった。
 よっしゃ。
 これを子供が学校で言いふらさなければ完璧。




    (了)

(子だくさん)2006.12.26.あかじそ作