「 母親 」

 正月、実家に弟一家が泊まりに来ていたのだが、
一晩あけたら、弟が消えていた。
 嫁さんと幼いふたりの姪っ子を置いて、
急な仕事で会社に飛んでいったとのことだった。

 午後になって、私が実家に顔を出すと、
母は、
「昨日の夜中にアイツに言い過ぎちゃった」
と、ブツブツ言っている。

 弟一家の財布は、弟が握り、
少しの生活費を嫁さんに渡すだけで、
残りは、好き放題自分のことに使ってしまっている、
という事実を、母が嫁さんから聞き、
「とんでもないことだ!」
と、猛烈に怒ったらしい。

 「あんまりにもアタシが責めたから、アイツ逃げちゃったわよ」

 母は、少ししょんぼりして言った。

 私も以前から、弟一家のやりくりについて、
嫁さんから相談を受けていたので、
弟に会ったら意見してやろうと思っていたのだが、
私たち一家が、夜、自宅に帰っている間に
事件は起きたのだった。

 「なになに、説教したら逃げたの?」
 私が、母にそっと耳打ちすると、
「説教どころか、思いっきり怒鳴りつけてやったのよ」
 母は、タバコを力なくふかしながら言った。

 そういえば、弟は、昔から、
性格は優しいのだが、
金にやらしいところがあった。

 独身時代、私が家でぼんやりテレビを見ていると、
弟が、いきなり帰宅するなり
「お姉ちゃん、大変大変大変大変! 千円千円千円千円!」
と猛烈にせきたててくるので、急いで千円を渡してしまう。

 後で、
「何だったのあれ? 千円返してよ」
と言うと、
「え? 貸してなんて言ってないよ。くれたんでしょ?」
なんて言う。

 「チクショ〜やられた!」
と、地団太踏んで悔しがるのだが、
忘れた頃にまた、
「お姉ちゃん、急いで急いで急いで急いで千円千円千円千円!」
と、突然せきたてられると、
私もバカだから、
反射的に、また千円渡してしまうのだった。

 被害総額がいくらかは、見当もつかない。

 後で聞いたら、
母も同じ手口で何回もヤラレていたのだった。

 弟は、高校を中退してから、ピザ屋でアルバイトを始め、
なかなか見所があるからと言われ、店長になった。
 その後、社長が経営から身を引くことになり
オーナーにならないか、と持ちかけられた。
 親は、家を買うために貯めていた1000万円を出資し、
弟は、10代にして店のオーナーになったのだった。

 母は、
「大学に行かせてやれなかったから学費だと思えば安いものよ」
と言っていたが、
確かに、社会という学校で学ぶための、
少し高めの学費だったかもしれない。

 弟は、数年間、順調に経営していたが、
バブルとともにはじけ、
店は、出資金もろとも泡と消えた。

 今は、その経験が武勇伝として気に入られ、
とあるファミリーレストランのナンバー3にまでのし上がっている。

 しかし、朝も夜もなく働きまくり、
無茶な営業ノルマを達成させられ、
年上の部下に嫌味を言われながら、
常に心身ともに疲れている弟を見ていて、
「コイツ、とことん金に振り回される人生だな」
と、私などは、同情してしまう。

 弟は、弟で、
常に「貧乏子だくさん」の姉を見て、
「コイツ、とことん金に振り回される人生だな」
と思っているに違いない。

 つい最近、
「娘の幼稚園に払うから10万円貸して」
と、弟の見え見えのウソに引っかかった母。
 嫁さんに聞いたら、やっぱりウソだった。

 「アイツまだそんなことやってるのか!」
と、私は、激昂したが、母も負けていなかった。

 毎年、弟の会社から
ひとつ3万円のおせちセットを2セット買わされている母が、
「今年は、あんたに貸してある10万から払ってよね」
と言ってやったらしい。

 3万円×2セット=6万円
 10万円−6万円=4万円

 というわけで、36歳の「僕ちゃん」は、
母親に散々怒鳴られ、
姉や嫁にしろ〜い目で見られながら、
ママから4万円のお年玉をもらったわけだ。

 ああ、割に合わなかったねえ〜。

 ところで、
「言い過ぎちゃったわよ」
と、淋しそうに言う母の気持ち、
私もこの年になってよくわかる。

 反抗期の息子に、
言うべきところをビシッと厳しく言ってしまうと、
プイ、と背を向けて出て行ってしまう、淋しさ。
 わかるよ〜。

 お前が道を外れそうになっているから
母は、こんな言いたくもない苦言を言っているのだよ。
 お前のためを想っての説教なのだよ・・・・・・

 わかってもらえるのは、何年後か。
 いや、死ぬまで「口うるさい母親」ということで
終わってしまうかもしれない。


 母は、弟をとても可愛がっていた。
 きっと今でも、物凄く可愛いと思っているだろう。

 半年ぶりに弟に会うのを、ずっと楽しみしていたのに、
彼を正そうと怒鳴ったことで、たった数時間で追い返してしまった。

 母は、後悔していた。

 ああ、母よ、後悔するなかれ。
 弟にうるさがられたかもしれないけれど、
それで、今回、弟は、道を外れずに済んだのだよ。
 それでいいじゃないか?
 大成功よ。

 ママ、グッジョブよ!



    (了)

(しその草いきれ)2007.1.23.あかじそ作