夫婦百態 「チギレルスンゼン」
 

 日曜日の朝、妻は風邪気味ということもあり、
めずらしく8時過ぎまで布団に入っていた。
 子供の学校も休みだし、
明日からまた早起きして朝から晩まで働きづめになる。
 今日くらいは、少し寝坊させてもらおう。
 
 そう思って、また目を閉じた。
 
 すると、いきなり、
近所一帯に響き渡るような男のわめき散らす声が聞こえた。
 夫の声だった。
 
 その後、三男が階段を駆け上ってきて、
何やら兄たちに話すと、
「ええっ?! それだけで?!」
という長男の声が聞こえた。
 
 しばらくして、四男の泣き声が聞こえてきたので、
何か尋常ではないものを感じて起きようとしたとき、
夫がもぞもぞと枕元まできて、
「喧嘩の仲裁をしていて子供に怪我させました」
と言った。
 
 急いで階下に降りていくと、
四男が茶の間の端で横になっていて、
おでこに絆創膏を貼っていた。
 はがしてみると、前髪の生え際あたりがパッカリと3センチほど割れていた。
 
 「あんたがやったんだね?」
 妻は、夫を見ることなく、四男の絆創膏を貼り直すと、夫は、
「喧嘩の仲裁をしていてつい」
と口ごもった。
 
 「これって、虐待じゃないの? つかまるよ」
 妻は、急いで身支度をして、アカンボに乳を吸わせ、
救急病院に電話した。
 四男を車にのせ、アカンボをお兄ちゃんたちに預けて、
急いで病院に向かった。
 
 車の中で、四男に、
「ホントは、ウソついちゃいけないんだけど、
これは、兄弟喧嘩で怪我したって言ってくれる?
 じゃないとお父さん牢屋に入らなくちゃいけなくなって、
みんな路頭に迷うから。いい?」
と聞くと、
「うん」
と、小さい声で返事をした。
 
 四男にとっては、
誰に突き飛ばされて怪我をしたかよりも、
針と糸でおでこを縫われることの方が気になっているのだった。
 
 少しだけ待って、外科の先生におでこを縫ってもらったが、
幸い当直の医者も看護士さんも明るく感じのいい人で、
「縫っても全然泣かないなんてすごいなあ」
「へえ、5人兄弟なんてすごいねえ」
などと話しながら処置してくれていた。
 
 怪我の原因を聞かれたときも、
「兄弟喧嘩で家具に頭をぶつけて」
と言ったら、
「おお、元気だなあ!」
と笑ってくれて、虐待の疑いなど持たれず、
あっさりとスルーされた。
 
 本当は、
「兄弟喧嘩で」
の後に、
「父親が仲裁をしようとして突き飛ばし」
が入るのだが、
ここは、静かにやり過ごした。
 
 無事、縫合が終わり、車で家に帰ったら、
子供たちがアカンボの世話をしながら洗濯物を干したりして待っていた。
 夫は、仕事の時間が来たので出勤したという。
 
 「みんな、聞いて。
 お父さんが突き飛ばしたなんて言うと大変なことになるんだよ。
ウソはいけないんだけど、お母さんがお父さんにきつく叱るから、
今回は、兄弟喧嘩が原因だっていうことにしてくれるかな?」
 
 と言うと、子供たちは、みんな、「いいよ」と言った。
  
 妻と四男が病院に言っている間、
アカンボは大ウンコをし、
更におしり拭きが見つからなくて大騒ぎになっていたらしいが、
何とか切り抜けたらしい。
 洗濯物を干したり、上履きを洗ったり、と、
仕事を分担して、何とか留守を守っていてくれた。
 
 子供たちでさえアカンボの世話も家の仕事もちゃんとできるのに、
どうして夫はいつも、
妻がいない時に、自分ひとりで子供をみていると、
猛烈にイライラして取り乱し、
怪我をさせてしまうくらい暴力を振るってしまうのだろう?
 
 普段は、虫も殺せないほど穏やかなくせに、
一度ブチ切れてしまうと、
一切力加減無しで幼い子供やアカンボをぶちのめしてしまう。
 
 今まで、何度このことが問題になったかかわからない。
 
 長男が1歳の頃、
妻が近所に買い物に行くちょっとの間、
夫に見ていてもらい、
帰宅したら、ふすまに大きな穴が開いていて、
長男の頭に大きなこぶがあった。
 またあるとき、妻が台所に立っていたとき、
夫は、激しくぐずるアカンボの長男を、
柱に向かって思い切り投げつけ、
またもや頭にこぶを作った。
 
 そのたびに妻は、激しく激昂し、
二度としないようにと夫に約束させたが、
落ち着いた状態の夫は、まるで借りてきた猫のようにおとなしく、
泣きそうな顔でうなだれているばかりだった。
 
 しかし、また、少し経つと忘れてしまうのか、
子供がぐずると音も無くブチ切れ、
何度も子供をぶっ飛ばした。
 
 次男が小さい頃には、
嫌がって泣き喚いているのにも関わらず、
無理やり耳掻きをしようとして、鼓膜を破いた。
 
 三男が1歳の頃には、
幼い子供たち3人を風呂に入れていてイライラし、
風呂の戸を力任せに閉めて、
三男の指を挟み、あやうく骨折させるところだった。
 
 そして、今回は、四男のおでこ割り。
 
 妻は、猛烈に怒りがこみ上げてきた。
 
 「ねえ、どうやって怪我したの?」
と四男に聞くと、
「兄弟喧嘩していたら、怒られて、
ボク、すごく咳が出てきちゃったから
『お父さん水飲みたい』って言ったら、
『何て言ってんのかわかんねえよ!』
って怒鳴ってボクを突き飛ばしたの」
と言う。
 
 えっ?
 話が違うじゃないか?
 兄弟喧嘩の仲裁で割って入ったんじゃないじゃないか。
 これじゃ、気分次第で暴力振るったんじゃないか!
 
 妻は、こらえにこらえていたものが一気に爆発し、
思わず、両の拳をちゃぶ台に叩きつけた。
 
 「もう許さない!!!」
 
 妻は、携帯のメールで
「絶対に許さない! 仲裁なんて嘘ついて! もう離婚だ」
と打っていると、
それを見ていた子供たちが、
「お母さん、そんなこと言わないでよ!」
とみんなしてすがってきて、
「絶対それ送信しちゃだめだよ!」
と言う。
 
 「だっていつもあんたたちがやられているんだよ!」
と言うと、
「僕たちが騒ぐからいけないんだよ。お父さん悪くないんだよ!」
と、みんなで口を揃えて言う。
 
 「でもダメだ! 何度言っても直らないんだから、
子供たちの身を守るために、もうこのままじゃいられないんだよ!」
と言うと、
「お母さん、お父さんをいじめないでよ! これじゃイジメメールだよ!」
と、必死で言う。
 
 何で?
 何でなのよ・・・・・・
 
 妻は、子供たちを見回して、悲壮な気持ちになり、
下唇をかみ締めながら送信ボタンを押した。
 
 「送っちゃった」
 
 すると、子供たちは、
「お母さん! 可哀想だよ! お父さんわざとじゃないんだから」
と、みんなして抗議する。
 
 何時間か後、夫から、
「すみませんでした」
とひとこと、返事が返ってきた。
 
 結婚して17年、子供が生まれてもうすぐ15年。
 仕事と称して家に居つかない夫に
抗議したり、早く帰ってと頼み込んだり、
「いい加減にして!」と切れて暴れたりしてきたが、
最近は、
「ちゃんと生きて、細く長く仕事してくれればそれでいいわ」
「父親として少しづつ成長してくれれば、それでいいや」
と思っていた。
 実際、落ち着いているときの夫は、
牛歩的スピードで、夫として父親としても
成長の兆しが見えた。
 
 しかし、時々、
子供たちの騒ぐ声に耐えられなくなり、
猛獣のような雄たけびを上げて
子供を殺さんばかりの勢いで暴力を振るってしまうのだった。
 
 そして、その後、
怪我をした子供を見て我に返り、
妻に怒鳴られて土下座までし、
しばらくはおとなしくしている。
 
 妻は、夫の帰宅後、
子供が寝静まったことを確認した後、
「ちょっと・・・・・・」
と夫を自分の目の前に座らせた。
 
 「朝、何を叫んでいたの?」
と聞くと、
「興奮して覚えていない」
と言う。
 「どうやって子供を突き飛ばしたの?」
と聞くと、これもまた
「覚えていない」
と言う。
 
 ああ、そうか。
 これがいわゆる
「事件当時正常な判断力の無い状態」
「心神喪失状態」
ってヤツか。
 精神鑑定で「心神耗弱状態で判断力無し」とみなされ、
無実になる、アレか。
 
 ああ、そうかい、そうかい。
 ふ〜ん、アレね?
 
 が、しかし!!!
 妻の「お裁き」では、そんな特例は認められないのだった。
 
 「狼男がさあ」
 「はい」
 「月見て変身した後に、人ごみの中にいたら、どうなるの?」
 「・・・・・・」
 「周りの人間食い殺しちゃうでしょう?!」
 「・・・・・・」
 「あんたの暴力は、あんたが切れた時にだけ起こるわけ。
 イライラが頂点になった時、虐待しちゃうわけ!」
 「・・・・・・」
 「狼男は、月が出てきたら逃げるでしょ? 人を殺さないように」
 「・・・・・・」
 「あんたもイラついてきたら、即、家族から離れなさいよ」
 「はい・・・・・・」
 「完全にイラついちゃうと心神喪失しちゃうんでしょ? 人殺しちゃうんでしょ?」
 「・・・・・・」
 「『イラッ』ときたら、即刻ひとりでどこかに行って!
 叫んだり、物壊したりもしないで、深呼吸するなり顔洗うなりして、
人心地取り戻してから帰ってきて」
 「はい・・・・・・」
 「今こうして落ち着いているときに、いくら叱っても諭しても、
興奮したら、頭飛んじゃうんでしょ? 病気だよ。
 病気なんだから、発作が出そうになったら、出る前に予防してよ」
 「はい・・・・・・」
 「はっきり言って、へこんだ状態のあんたに言うことは無い」
 「・・・・・・」
 「ただ、今度からあんたが絶対にしなくちゃいけないことは何か、言ってみ!」
 「・・・・・・子供に手を上げません」
 「違う!」
 「・・・・・・子供に・・・」
 「違う! 違うだろ! 『イラついてきたら人から離れる』だろ!」
 「あ・・・は・・・い」
 「もう一回言ってみな!」
 「イラついてきたら人から離れる」
 「もう一回!」
 「イラついてきたら人から離れる」
 「もう一回!」
 「イラついてきたら人から離れる」
 「もう一回!」
 「イラついてきたら人から離れる」
 「よし、やめ!」
 
 「わかったか! 二度と忘れるなよ! 最終宣告だからな!」
 「は、はい・・・・・・」
 
 妻は、トイレに立った。
 夫は、その後姿の足元をそろそろと見つめ、
深く深く頭を垂れ、
背中や腰から折れるほどに、うなだれるのであった。
 
 トイレから帰ってきた妻は、さっきとは打って変わって、
静かな口調で言った。
 
 「今回は、私的にはもうアウトだった。
 子供に免じて今回だけは許すことにしたんだよ。
 子供は、あんたのことが好きなんだよ。
 あんたのことが好きなんだってよ。
 そんな子供たちに、暴力振るうなよ。
 人に愛されていることを、当たり前だとは思うなよ。
 こんなありがたい状況なのに、何やってんだよ」
 
 妻は、涙をぬぐった。
 夫は、何かを感じたのか、強く目を閉じた。
 
 
 (つづく)
 
 
 夫婦の絆、チギレルスンゼン!
 どうする、夫!
 どうするよ!
 
 
 (つづく) 


(夫婦百態)2007.2.27.あかじそ作