「 さよならマイカー 」


 夜中に小腹が減ったので、
春雨スープを食したのが運の尽きだった。
 春休み最後の昼食は、
豚肉と長ネギの入ったうどんを作ったのだが、
その汁が残っていたため、
汁の中に春雨をひとかたまり投入し、
春雨を麺に見立てた「なんちゃってラーメン」を作ってみたのだった。

 これが意外と美味しかったので、
テレビを見てゲラゲラ笑いながらどんぶり一杯ぺロッと食べてしまった。

 量的にはそんなに多くはなかったが、
いかんせん、春雨は汁を吸う。
 どんぶり一杯、油っぽい汁を飲み干してしまったばかりに、
時間が経つにつれ、どんどん満腹感が増してくる。

 ふと気がつくと、もう、胃が焼けるほどゲプゲプになってしまった。

 「ああ気持ち悪い、ちょっとさっぱりしたいなあ」
と、濃い目のコーヒーを飲んだ直後、
何かいや〜な予感がした。

 あ、よく混じっていない・・・・・・
 胃の中で・・・・・・
 春雨とコーヒーと肉と長ネギが・・・・・・

 そのまま寝てしまったのだが、
朝方、何度も生唾がこみ上げてきて
起き上がってしまった。

 気持ちわる・・・・・・

 子供たちは、今日から新学期。
 次男にいたっては、今日、中学の入学式だ。

 ママンがゲボッている場合ではない。

 新しい雑巾2枚づつとゴミ袋とスーパーの袋と連絡帳と健康カードを持たせて、
それぞれ何とか無事に学校に送り出した。

 いやしかし、ヤバイ。
 体を傾けると、その部分に
胃が焼けるような、酸っぱい液がチャポンチャポン揺れる。
 吐きそう。
 いや、吐く。
 今にも、次の瞬間にも吐いてしまいそうだ。

 午後から中学校の入学式で、
午前中はまだ次男がいたので、
アカンボをみてもらうことにして、
茶の間にごろっと横になって静かにしていることにした。

 横になったとたん、洗濯機が止まった。
 チャポチャポ言う胃を押さえて、
洗濯機のフタを開けると、
干さねばならぬ大量の洗濯物が、輪になってたっぷり入っていた。

 「うぐぐぐぐ〜」

 次男に手伝ってもらいながら、何とかすべてを干し終わり、
再び居間で横になった頃には、もう午前8時半を過ぎていた。
 いつもならとっくに干し終わっている時間だ。

 「ああ・・・・・・食い合わせが悪かったぁ・・・・・・」

 次から次へと湧いてくる生唾をごくごく飲み込んで、
自分が気持ち悪いことに気がつかないフリをしようとしたが、
それは無理なことだった。

 完全に食あたりを起こし、
強烈に酸っぱい肉コーヒー春雨が、
私の胃や腸をチリチリチリチリ焼いてくる。

 「ああ・・・・・・」

 息も絶え絶えの中、
私は、ほんの数分、眠りに落ちた。
 そして、短い夢を見た。

 それは、ここ数日の間に起きた、
小さな小さな感傷的ドラマのワンシーンだった。

 朝、眠くてぐずる4歳、2歳、1歳の子供3人を
必死に連れて通ったヤクルトの販売所。
 2階の託児所に泣き喚く3人を預け、
後ろ髪を引かれながら職場に急ぐ。
 3番目の息子は、ひどいアレルギーで、
みんなと同じオヤツの乳製品が食べられないため、
それに代わる似たようなお菓子を持参して、
オヤツの時間に食べさせてもらうのだが、
「みんなと同じものが欲しい」と大泣きする声が
職場にまで響き渡り、
「ちょっと子供、静かにさせなさいよ」
と、怖い先輩に怒鳴られたりもした。

 それでも、
配達中に交通事故に遭い、仕事をやめるまでの2年間は、
一生懸命働いた。

 子供たちは、
「今思い出しても、お母さんと離れて心細かった」
と言う。
 アカンボの頃から人に預けても大丈夫な子供もたくさんいるが、
うちの次男と三男は、
どうも預けられるのに向かない子供だったらしい。
 最後の最後まで毎日号泣していた。

 そんな思いをさせてまで稼いだお金は、
とてもじゃないが勿体無くて無駄遣いできず、
生活費として補てんした残りをコツコツ貯めて、
80万円ほどになっていた。

 そのお金で、念願のマイカーを買うことにした。
 中古車に詳しい弟に頼んで、
全部コミコミで予算80万円の7人乗りの車を選んでもらった。

 それが、あのいとしのマイカー「旧型シャリオ」だった。
 うちに来たときには、すでに走行距離7万キロを超えたオンボロだった。

 しかし、腐ってもマイカー。
 生まれて初めてのマイカーだ。
 そうだ、名前を「ヤクルト号」とつけよう。

 買って数日後、
四男妊娠中の私と、夫、子供3人を乗せて国道を走行中、
いきなりヤツは停まってしまった。
 スタンドまで私がハンドルを握り、夫が車を押して行って、
プロに見てもらうと、
「ああ、オイルというオイルがドロドロで、
ナンチャラファンにべったりくっついて、何とかカンとかが完全にダメになってます」

と言われた。
 車のことがまったくわからない私と夫は、
言われるがままに修理に出し、
およそ15万円を支払った。

 その後も、後ろのドアに雨水が入り込み、
ランプが点かなくなるやら、電柱にぶつけて思いきりへこますやらで、
ドアを一枚取り替えて13万円、
車検のたびに「ここもダメ」「ここも寿命」と言われて
そのたびに数十万円の出費。

 オンボロで、ポンコツだけれども、
そのたび直してやれば、けなげにも直り、
また私たち家族全員をぎゅうぎゅう乗せて、
うんとこせ、うんとこせ、と、目的地まで運んでくれた。

 四男が生まれ、またまたまたまた男児だったということで、
親も親戚もはっきりと
「また男か! がっかりだ!」
と表明してきた。
 冷遇された私とアカンボは、
1ヶ月健診も2人きりだった。
 いや、ふたりと、「ヤクルト号」の3人だった。
 冷たい真冬の風の中、
私は、アカンボをベビーシートに乗せ、
オムツや哺乳瓶など、アカンボ用の大荷物を後部座席に積んで、
足を引きづりながら産院に行った。
 私は、四男を産んだ直後に股関節が少しずれて、
足の長さが微妙に違ってしまって、ちゃんと歩けない状態だったが、
誰にも言えなかった。
 夫の両親も自分の両親も、みんなみんな女の子を欲しがっているのに、
私が男の子しか産めないからバチが当たったのだ、といじけていた。

 ところが、「ヤクルト号」は、そんな私を叱った。
 健診を終え、大荷物を背負って、
ビッコをひきながらアカンボを抱いて歩く私に、
サイドミラーからキラリと日の光を反射させて、
スポットライトを当てた。

 小さな小さなアカンボの頬に、
まぶしい日の光を反射させて、
「こんな可愛いアカンボを産んで幸せじゃないのかい?」
と教えてくれた。

 子供が喘息の発作で死にそうになったとき、
誰かが大怪我をしたとき、
母が腸閉塞で倒れたとき、
長女がアナフィラキシーで危なかったとき、
いつもいつも、「ヤクルト号」は、
壊れることなくちゃんと動いてくれて、
みんなの命を助けてくれた。

 待望の長女を身ごもったときは、
少し家から遠い産院に、
ドライブがてら爽やかに走ってくれた。

 お葬式やお通夜の案内をする仕事をしているときは、
深夜の帰り道、霊感の強い私が、
何者かよからぬ者を連れて帰ってしまったことがあった。
 大きな交差点でラジオが途切れ、
ブレーキが利かなくなったこともあったが、
「じいちゃん助けて!」
と祈ったおかげか、「ヤクルト号」の頑張りか、
間一髪、ブレーキ機能を取り戻し、助かった。

 買ってから8年、いろいろあった。
 ありすぎたが、
あの頃7歳、5歳、3歳だった息子たちも、
まもなく15歳、13歳、11歳になり、
もう、泣き喚いて3人一緒に道路にひっくり返ることもなくなった。
 あの頃お腹にいた子も、小学2年生になり、
陰も形もなかった女の子が生まれ、今年の末には2歳になる。

 「ヤクルト号」が、どこをどうやっても動かなくなった先日、
ディーラーに見てもらったら、
コンピューターの大元の部分がダメになっていると言われた。
 関連する周辺の機器をすべて交換すると、
総額12万円はかかる、と言う。

 12万円払えば、おそらく「ヤクルト号」は、
まだまだ頑張って走ってくれるだろう。
 ぜいぜいと咳き込みながらも、
私たち家族を目的地まで無事連れて行ってくれるだろう。
 自分はボロボロになりながら。

 私は、
「もうお別れの時がきた」
と直感した。
 「ヤクルト号」の仕事は、もう終わったのだ、と。

 周りの「もったいないんじゃない?」という声も聞こえたが、
マイカーに「さよなら」を言うことに決めた。

 もう充分、彼は頑張ってくれた。
 私や私の家族を守ってくれた。
 命に関わる大ピンチの時も、
新しい命が生まれた瞬間のことも、
彼は、知っている。

 それでもう、充分だった。
 「ヤクルト号」は、私の戦友であり、親友であった。

 ディーラーの駐車場に、冷酷なまでにポツンと放置された
オンボロの旧式自動車は、
廃車手続きに来た私に、無言で別れを告げていた。

 あの車体の傷は、
子供が自転車の補助輪を取る練習をしていてぶつかった跡。

 あのシートの落書きは、
幼い子供たちが高い高い声で、絵描き歌を歌いながら描いたもの。

 あの窓のゆがみは、
見送る田舎のばあちゃんにバイバイを言うために、
手を出していつまでも振り続けたときできたもの。

 さようなら!
 さようなら、マイカー!
 ありがとう!
 ありがとう、「ヤクルト号」!

 次男の声で「お母さん」と呼ばれ、
目を覚ますと、入学式に出掛ける時間だった。

 ついさっきまで、起き上がれないほどの気持ち悪さだったのに、
短い夢を見ている間に、それは少し治りかけていた。

 目じりからちょっと流れた涙を、
「あ〜あ〜あ〜、よく寝た!」
と大あくびでごまかしたけれど、
やはり、
マイカーを廃車にした淋しさは、否めない。



 何年か後、ニュースで外国の映像が映る時などに、
うちのあの「ヤクルト号」が街を走っているのを見られたらいいな。
 私たちが一生行かないであろう遠い国で、
違う民族の人たちの暮らしを乗せて、
異国の風を切って走っていたら、いいなあ。


     (了)


(しその草いきれ)2007.4.10.あかじそ作