「 心臓の精密検査を受けてみた 」


 初めて自分の心臓に違和感を覚えたのは小学生の頃だった。
 廊下を歩いていたら、突然とがった物で胸を刺されたような痛みを感じて
しばらくその場で立ちすくんでしまった。
 その後、何度かそんなことがあったが、子供だったせいか、
「ま、いっか」
と、そのままにしていた。

 中学生の頃、急におへその周りに見たことのない湿疹ができ、
同時に胸に苦しさを覚えたので保健室に行ってしばらく寝ていた。
 養護の先生に「心臓の検査をしてもらいなさい」と言われたが、
部活などで忙しかったため、医者に行かずじまいだった。

 高校の頃、心電図の検査でひっかかり、
「医者に行くように」という手紙を渡されたが、
親が忙しそうだったので、渡さないままゴミ箱に投げ込んでしまった。

 その後、無事に子供を5人妊娠・出産したが、
その際に問題になることは無かったので、特に気にしていなかったが、
10年前に生命保険に加入するとき、健康診断に行き、
「心音に雑音が混じるが、器質的な問題だから気にしなくていい」
と言われた。

 ところが、5年前、
葬儀屋のアルバイトに行っていたとき、
夜中に突然胸が苦しくなり、息が出来なくなった。
 自分では1分近くもがいていたような気がするが、
実際は数秒だったかもしれない。
 今まで経験したことの無い地獄のような息苦しさで、
まるで、突然水中のように呼吸ができなくなった。
 お産のときのラマーズ法を思い出し、
必死で腹式呼吸で「フーーーフーーー」とやっていたら、
そのうち呼吸が出来るようになった。

 翌日医者に行って調べてもらおうと思ったが、
心電図をとるどころか、聴診器で心音を聞いただけで、
「異常無し。疲れでしょ」
と軽く流された。

 その葬儀屋の仕事があまりにも精神的にきつく、
子供を朝晩預けていた親の体調も悪くなったのでやめた。
 するとその後、そういう発作が起こることはなくなった。

 ところがだ。

 3月の頭に、
小学校の役員の仕事で一番の山場だったイベントを無事終え、
「あ〜〜〜! やれやれ!」
と心底胸を撫で下ろしたとたん、
徐々に胸の調子がおかしくなってきた。

 大根をおろしがねでおろしているだけで、
めまいがするほど息が切れ、
肺に空気がたくさん入らないというか、呼吸が浅くなるというか、
とにかく、常に胸苦しさが続き、めまいがした。

 更年期障害かしら、と疑ったが、
経験者に相談しても、「それはちょっと違うと思うよ」と言われた。

 もう、どうにもこうにも息苦しくてたまらなくなり、
大きい病院の循環器科に行ってみた。

 アカンボを親に預け、長い長い待ち時間の末、
心電図検査とレントゲン検査をした。
 その後の診察では、
「肺などの呼吸器系には問題なさそうですね」
と言われた。
 実際、目の前に映し出された自分の胸の写真は、
素人目に見ても、見事に病巣的なものは皆無であった。
 
 一般的な心電図検査というものは、
胸の数箇所と手首足首に電極を付けて、
ものの数十秒、長くても1分程で終わってしまう。
 安静に寝転んで測ったところで、
異常なんて発見できるのだろうか、と疑問を抱いたが、
やはり、診察の時には
「心電図に異常は無いですね」
と言われた。

 それでも、苦しいことには変わりないので、
「じゃあ、どうしたらいいんでしょうか」
と切実に訴えると、
「ちょっと足の付け根からの採血をしてみましょう」
と言われ、奥の部屋で横になり、
ジーパンを下ろしてパンツをめくり、2人がかりで足の付け根の血管から採血された。

 採血は慣れているが、
そんな皮の薄い、血管の太いところに注射針を刺されるのは、初めてだった。
 おっかないし、実際、痛かった。
 止血のために思いっきり陰毛の上からバッチシテープを貼られるし、
何だかだんだん怖くなってきた。

 しかし、腕から抜く血と足の付け根から抜く血は、
どこが違うというのだろう。
 その日の帰りには、もう一回腕から採血された。

 さて、しばらくその場で休み、足の付け根の血が止まった頃、
今度は、人差し指にプラスチックのサックのようなものをはめて、
「酸素の量」を調べた。
 その後、
「廊下の緑の線に沿って歩いて、またここに戻ってきてください」
と言われて、その通りにすると、
さきほどと同様に人差し指で酸素量を測った。
 その後、
「今度は、赤い線に沿って歩いて、また戻ってきてください」
と言われ、さっきよりも少し長い距離を歩いて戻ると、
同様に人差し指を調べる。
 そしてまた、「今度は、もっと長い距離お願いします」と言われ、
病院の中の受付から検査室から、かなりの距離を歩いてくるように言われた。
 私は、言われた順路通りに歩いていたつもりだったが、
ふと気がつけば、検査室ではなく、
見知らぬ地下のリネン室やひんやりした霊安室の前を歩いていた。
 その暗いひと気の無い廊下で、
この世のものとは思えぬ黒いオーラを放つ女性とすれ違ったが、
ふと振り返ると、もうその人の姿は無かった。

 「ひー」
と小さく叫びながら、何とか元の場所に戻り、
人差し指を差し出したが、
数値を見た看護士さんが、
「ん? 今何かありましたか?」
と首をかしげた。

 何があったのか、こっちが聞きたいくらいだった。
 ナンだったの、さっきの人は・・・・・・

 それは(怖いので)いいとして、
再び診察室に戻り、
「あのう、じっとしているときは苦しくならないんです。
何かのきっかけで急に苦しくなるんですけど」
と言ってみると、
先生は、
「では、激しい運動時の心電図と24時間の心電図をやってみましょう」
と言ってくれた。

 運動時の心臓の状態を調べる「運動負荷心電図検査」は、
胸に電極を付けてウォーキングマシンなどで運動し、
その間の心電図を調べる。
 また、運動後に横になり、その回復状態の心電図を観察する、
というものらしい。
 更に、「ホルター心電図検査」では、
24時間電極をつけたまま過ごし、日常の中での心臓の様子を観察する。

 その日は、もう昼の12時を回っていたので、
後日予約検査ということになった。

 人前で胸に吸盤を貼られる、
足の付け根からも腕からも血を抜かれる、
陰毛に(はがすとき痛そうな)テープを貼られる、
やたらと廊下を歩かされる、
会っちゃならんヤバイ存在とすれ違っちゃう、
と、もう、今日は、本当に疲れた。
 しかしまあ、とりあえず、
今すぐ命に関わることは無いということがわかっただけでも良しとしよう。


 さて、「運動負荷心電図検査」と「ホルター心電図検査」の当日、
病院の心電図室に入ると、
昨日と同じく、見習い検査士らしき若い女の子が出てきた。
 身長140センチそこそこの小さいお嬢さんで、
黒ぶちのビン底メガネとお下げの三つ編みが大時代的で目を引いた。

 黙って何も言ってくれないので、グッと年上の私の方から、
「おばちゃんは、ここでシャツの前開ければいいのかな?」
とリードしてみた。
 すると、いきなりカーテンの裏から指導係らしき白衣の脂っこいおじさんが現れて、

「はい、上全部脱ぐ」
と、当然のように言い切った。

 「あ、はいはい」

 油おやじのいきなりの登場に面食らったが、
ここで40のおばさんが恥らったりするのも、返ってこっぱずかしいので、
「なんでもないわよぉ」
てな感じで、さっさと上半身裸になって座っていた。
 すると、検査室の奥から数人の男性検査士が、無表情を装って
「ここテープ置いておきます」
などと、無用の用を作っては出入りした。

 たまたま私だったから「なんだよおい?」だけで済むが、
明らかに「仕事ですから何にも感じませんけど」を装って
入れ替わり立ち替わり人の裸をチェックしに来ているのは明白だった。
 まだまだこういうハラスメントは存在しているんだなあ、と、
いや〜な気持ちになった。

 さて、数分半裸で放置された後、
ベテランおじさん検査士は、見習い女史に対して
「ここと! ここと! ほらここと!」
と、私の胸のそこここをビシバシ指差して、吸盤を貼る位置を指示していく。

 しかし、昨日は慣れないながらも何とか1人で出来ていたことが、
おじさんが見ているとアガッテしまうのか、彼女は失敗ばかりしてしまう。

 私は、5人完全母乳ですっかり垂れ下がったイカのような乳を、
ペロンペロン、ピロンピロン、
持ち上げられたりめくられたりしながら、
吸盤をつけられたり、はがされたりしていた。
 屈辱感をあらわにせぬように、
「別に〜」という表情のまま静かに作業が終わるのを待っていた。

 ところがだ。

 吸盤を装着し終わり、
胸からパソコンへとつなぐ長い電線をたくさん付けたまま、
半裸で医者が来るまでかなり待たされた。
 何人もの人間が普通に行き来する検査室の中で、
これは、かなり人権無視な扱いであった。

 4月とは言えども、まだまだ肌寒い日であった。
 散々放置された後、
「へ〜くしょ〜い」とくしゃみをひとつすると、
「ああ、そうだった」
と、肩から一枚のぺらぺら粗品タオルが申し訳程度にかけられ、
ほどなく医者がやって来た。

 みんなしっかり白衣を着込んでいる中で、
私ひとり、半裸でタオルイッチョを肩に掛けた状態で、
ジムによくあるウォーキングマシンのベルトの上を歩いた。
 見ている限りでは、結構楽しそうでラクそうに見えるが、
実際やってみると、どんどんへっぴり腰になり、足が置いていかれる。
 スピードが上がるにつけ、
私のへっぴり腰が尋常でなくこっけいになっていっているらしく、
誰が言うとも無く、というか、みんなで声を揃えて
「もっと上体を起こして」
と失笑交じりで注意された。

 これが、数分で終わると思っていたら大間違い。
 どんどんどんどんスピードが上げられていき、
はっきり言って死にそうにきつくなってきた。

 はあはあはあはあ言って汗だらだらの半裸のおばさんを囲んで、
みんなでクールにパソコンのモニターを覗き込んでいる。
 「これって、ほとんどイジメじゃないの?」
と、大声で言いたくなるほどの状況だったが、
数分ごとに自動的に血圧が測られ、腕に圧を掛けられているうちに、
「これってどんだけ変な状況なの!」
と、可笑しくなってきた。

 「これ、心臓の悪い年寄りがやったら、死にますよ」
と、はあはあ言いながら医者や検査士たちに冗談を飛ばしたりしてみた。
 実際、心臓の悪い人にこんなことしたら、
ホントにトドメをさしてしまうではないか、と思う。
 何のための検査なのか、誰のための検査なのか、
まったくあまりにもこっけいで、笑うしかなかった。

 15分ほど高速で歩かされて、やっと止まることを許可された。
 座った状態で血圧を測り、
寝た状態で数分間、血圧や心電図を測られ続けた。

 すると、モニターを見ていた先生は、
「問題無いですね! というか、平均よりも回復も早いし、むしろ健康な方ですよ」
と言われた。

 「はあ、そうですか」
 喜んでいいのか、異常が見つけられなくてがっかりなのか、
複雑な気分だった。

 その後、今度は、24時間の固定電極を付けられた。
 電極が寝たり動いたりしても24時間はがれないように、
シールでバッチリ貼り付けられ、
携帯用の機械本体は、不織布の袋に入れ、胸に貼り付けられ、
更に、首からストラップで提げられ、固定された。

 「この紙に、歩いた、走った、食事した、排泄した、などのことを細かく記録してください。
 心電図の波形と照らし合わせて異常を発見します」 
「それでは、24時間後にこちらに機械を外しに来て下さい」
と、おじさん検査士に言われ、その日は家に帰った。

 物凄く疲れた。
 最近息苦しかったせいで安静にしていて、運動不足だったのに、
いつもの数年分くらい激しく運動させられた。
 その上、密室の検査室の変な感じが、私の神経をかなり疲れさせた。

 また、これも嘘のような話だが、帰り道、物凄い夕立ちが起こり、
凄まじい稲光と轟音と大雨の中、自転車で帰ったのだった。
 「胸の電極に落雷したら、まず助からないだろうな」
と、びくびくしながら必死にペダルを漕いだ。
 帰宅後、すぐに、
「3時30分〜40分:落雷の恐怖におののきながら猛スピードで自転車を漕ぐ」
と記録紙に記入した。
 記入した後、
「『おののきながら』は要らないだろ」
と、自分で突っ込んでみた。

 その日は、入浴はできないが、授乳は普通にできた。
 ごちゃごちゃにからまる電線をアカンボがいじらないように、
夜中の授乳で引きちぎらないように、
線も機械本体も腹巻で巻いて隠してしまった。
 そのおかげで、24時間検査もまったく気にならなかった。

 翌日、例の検査室で、
頑固に張り付いたシールをはがしてもらい、
蒸しタオルを渡されてシールのあとを拭かせてもらったが、
敏感肌の私の胸は、しばらくシールの形に赤く腫れて、かゆみも残った。

 4月の末、担当医の診察を受けに行くと、
開口一番、
「異常なしです! というか、血液も健康そのものだし、心臓もむしろ模範的です」
と言われた。
 「はあ・・・・・・」
 それでも実際、胸苦しさが起こっているという事実をどうとらえたらいいのか、
そのことを聞いてみると、
「疲れや精神的な部分からの狭心症的症状も考えられますね」
と言われた。
 「ストレスから命に関わる発作が起こるということもあるんですか?」
と聞くと、
「ありますよ」
と、医者は即座に断言した。

 「疲れやストレスは尋常じゃなく溜まっていると思います。
おまけに、気分転換とか体力温存とかが苦手で、
常にあせっているんです」
と言うと、医者は、

 「そういう気質の人が心臓を悪くするんです。
これからは、ゆっくり休むことも大事にしてください。
せっかく健康な肉体を持って生まれたんですから」

と言った。

 「はは〜〜〜あ!」

 私は、深々と頭を下げて退室した。

 子供の頃からたびたび私を苦しめていた呼吸困難は、
実は、心因性の発作であったか!

 心因性の発作でも、立派に死んでしまうのだから、
「病は気から」と肝に銘じて、
ちゃんと肉体の疲れや精神状態をコントロールしなくては!

 不安やイラツキが、死に直結するお年頃なんだわ!
 体にいい食べ物を摂ったり、早寝早起きするだけでは、
健康オタクとしては不備そのもの!
 本当の健康志向、自然志向を目指すなら、
自分の心や体に今、負荷が掛かっているか否かくらいはちゃんと自覚して、
定期的に空気の入れ替えをしなければね!

 私が、私のマネージメントをさぼったばかりに、突然死んでしまったら、
親や夫や子供たちに、えらい迷惑が掛かっちゃうのだから!

 これからは、心臓と相談して、
自分の心身を思いやることにしよう。
 それが、真の意味で自分を律することになるんだから。

 「自分が我慢さえすれば事は済む」
とか、
「無理をしてでも、今これさえやってしまえば」
とか、
そういう自己犠牲の精神は、実は、自律できていない行為なのだ。

 本当に自律できていたら、
心も体もラクで楽しいはずなのだ。
 そして、自分も周りの人間も、
ラクで楽しくできるはずなのだ。

 無理して頑張っている行為は、美しくないのだ!
 格好悪い迷惑行為なのさ〜!!



      (了)


(しその草いきれ) 2007.5.8.あかじそ作