「 一服つけよう 」

 父方の祖父が、余命いくばくも無く、
都内の病院に入院していたときのことであった。
 三男の嫁である私の母は、
千葉市内の自宅から、日曜日以外の毎日、
病院に通って身の周りの世話をしていた。

 祖父をこよなく慕い、
「じいさん無しでは生きていけないよ」と口にする祖母は、
当時、まだ健在だったが、
家から遠い病院だったために、ほとんど「じいさん」と会えない状態であった。

 愛し合うジジババを裂く祖父の寿命の終わりは、
刻一刻と迫ってきていた。
 ここ数年、話しかけても反応が鈍くなり、
目の光が年々失われていくのを、
私は、ひそかに心細く感じていた。


 頭がよく、何に関しても思慮深い祖父は、
子供の頃からの私のあこがれであり、
一家の長として男らしく親戚をまとめていた人であった。
 私の名付け親である祖父は、
私の結婚式の時にはマイクを握り、震える声で挨拶してくれた。

 「この子の名付け親は私です。
頭がよく、情愛のある人間に育つよう願い、この名をつけました。
 新郎のご親戚の皆さま、
どうか、この願いを成就させてくださいますよう、
この子のことを、どうぞよろしくおねがいいたします」

 実は、「結婚式なんか挙げなくていい」と思いつつ、
親の希望でいやいや披露宴をしてみたが、
あらためて祖父のこんなことばを聞き、
式のはじめから思わず号泣してしまった。

 私は、ヤンパパ・ヤンママだった両親からは、
とても荒っぽく育てられていて、
なかなか愛情を実感できない日もあったが、
父方の祖父母からは、惜しみない愛の視線を浴びせられていた。

 何をしても、何を言っても、
この祖父母は、私をいとおしそうに見つめ、
「お前は利口だ」
「お前は面白い子だ」
と、目を細めて何度も言ってくれた。

 若くして嫁に入り、
兄嫁からさんざんいじめられていた母を、
不器用ながらもかばってくれていた祖父母。

 大酒のみで、パチンコに給料のほとんどを使い果たし、
幼稚なわがままを言い、母に暴言を浴びせていた若き父は、
姉嫁にいびられていた母を助けるどころか、
連日連夜酔っ払って帰ってきていた。

 はたちそこそこの母が、
財布ひとつ握り、サンダルで家を飛び出し、
「もう我慢できません。実家に帰ります」
と、家の近くのバス停から電話を掛けると、
祖父が、これまたつっかけひとつで駆けてきて、
「みっちゃん、あのバカんとこに来てくれるのは、みっちゃんしかいないんだ、
頼むよ、どうか戻ってくれないか」
と言い、頭を下げて迎えにきてくれたという。


 あれから40年。

 祖父の病状は、深刻だった。
 86歳の祖父は、若い医師の方針で、
連日検査検査で弱り果てていた。
 甘いもの好きで、ヘビースモーカーの祖父は、
高カロリー点滴で飲食を禁止され、
もちろん、喫煙も禁止されていた。

 入院当初は、頭もしっかりしていたが、
長く入院し、キツイ検査が続くうちに、ぼんやりし始めた。
 「みっちゃんいつも悪いね」
と言っていたのに、
最後の方は、母のことが誰だかわからなくなっていたらしい。

 母が、
「シンさん、私、誰だかわかる?」
と聞くと、
「ああ、いつもの看護婦さんだろ」
と、すっとぼけたことを言っていたらしい。

 母は、
「何も食べちゃダメですからね!」
と、キーキー言う本物の看護婦さんの目を盗み、
「シンさん、プリン買ってきたよ、今のうちに食べちゃいなって」
と勧めたり、
「シンさん、私、屋上にタバコ吸いに行くけど、一緒に行かない?」
と誘い、祖父を車椅子に乗せて
「病院内を散歩しますから」
と看護婦をだまし、屋上に繰り出していた。

 ヘビースモーカーの祖父は、
一服つけると、今までの「ボケ」も吹き飛び、
すっきりと目を覚まし、
屋上の爽やかな風に吹かれながら
「みっちゃん、やっぱりタバコはうまいねえ」
と笑っていたという。

 ゲホゲホ咳をしながら見舞いに来た親戚に
「じいちゃんに風邪がうつるから出直してきて!」
と追い返した母は、親戚から
「遺産狙いだ」
「じいちゃんに何か吹き込んでる」
と陰口をたたかれたりもしたが、まったく気にしなかった。

 「舅」と「三男の嫁」という立場ではあるが、
いまや戦友のようなふたりであった。
 一方は、「まじめなボケじいさん」、
もう一方は、「不良おばちゃん」としてではあったが、
確かな友情で結ばれていたのだった。

 ある日、私が育児の合い間をぬって見舞いに行った時のこと。

 どんなにか、祖父は、つらい治療に苦しみ、
どんなにか、母は、キツイ介護に疲れているだろう、
と、悲壮な思いで駆けつけたのだが、
屋上の大量の洗濯物の陰で、
不良高校生の様に隠れてタバコを吸うふたりを見つけ、
思わず吹きだしてしまった。
 強い風のせいで、激しくはためくシーツの向こう側で、
「おっと、やばい、やばい」
と、ふたりして急いで煙を片手で扇ぎ、
おどけた表情で肩をすぼめる姿は、とても楽しそうだった。

 今にも死にそうなじいさんに「一服つけよう」と気さくに声を掛ける母。
 あんたは、すげえヤツだ。
 あんたのおかげで、じいさんは、
最後まで「シンさん」らしく生きられた。

 父や母が死にそうになったときは、私も、そうしてあげたいと思う。

 最後の最後まで、両親の悪友であり続け、
「あんたらしさを手伝うぜ」
と、最期を笑い飛ばしたいと思う。



  (了)


(小さなお話)2007.5.15.あかじそ作