「 からんだひもがほどける 」


 こんがらがったひもや糸をほどこうとして、
根気強く「あっち引っ張りこっち抜き」をやっていても、
どんどんこんがらがっていき、
しまいには短気を起こして「キーッ」と引っ張り、余計に固結びにしてしまったり、
あちこちをブツブツハサミで切って、短くしてしまったりすることがある。

 しかし、永久にほどけなくなった固結びや短くなったひもの破片を
ゴミ箱にポイと放り込む時、
「もったいなかったな」という気持ちと、
「ええい、イライラするから、もう金輪際私の目の前に現れるでない!」という気持ちが
瞬時に混じって、また瞬時に消える。

 そして、ゴミ箱の中に入った時点で、そのひもや糸のことは忘れる。

 生きている中で、
いろいろなできごとがごちゃごちゃにからまり、
理屈や感情が整理できなくなり、処理不能になることは時々起こるもので、
こういうことは、ひもや糸がこんがらがるのと非常に似ているなあ、と思う。

 これもまた、短気を起こして、
「キーッ」と、無理矢理力まかせに引っ張って、
家族や友人と関係がこじれることも経験したし、
ブツブツちょん切って、縁が切れた親戚や友人もいる。

 しかし、私は、また、
周りの人間みんながどうにもできなかった「からまったひも」を、
「どれどれ貸してみい」
と言い、根気よく爪の先や楊枝などを使って
はらはらはら〜っ、と魔法のようにほどいた経験も持ち合わせている。
 その「はらはらはら〜っ」の瞬間の快感は、何とも言えず、
ほどいている最中の
「んぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ〜〜〜」
という、ムカムカイライラが一瞬で解消されるのも、えも言われぬものだ。

 この快感が、つい最近、私の身近に突然訪れた。

 長年、情緒不安定で、
家で暴れまくっていた三男(現在小5)が、
今年度に入ってから、どんどん落ち着いてきて、
勉強も運動も家の中の生活も、
素直に前向きに取り組み、快活になってきたのだ。
 この劇的な変化は、
「単なる成長による自然な変化」と言うには、
あまりに急激すぎる。

 なぜだろう?
 どうして急に三男は、
今まで悪霊でも憑いていたかのような表情から、
キラキラした目の色に変わったのだろう。

 ちなみに、私を含めて、家族の三男に対する態度は、
何も変えた覚えがない。
 いつもちょっとしたことで怒り狂い、暴れ、号泣し、
兄弟を殴ったり、家のガラスを割ったりしていた三男が、
ニッコニコして学校であったことを話しているのだ。

 そうだ。
 学校のことをよく話すようになった。
 テストでいい点を取って先生にほめられた、とか、
先生がこう言った、ああ言った、ということを、
のべつまくなし私や兄弟たちに語っている。

 学校だ。
 いや、先生だ。
 きっと先生との出会いが三男の何かを変えているに違いない。

 先日たまたま用事があって学校に行ったとき、
何気なく三男の教室を覗き、
私のその予想がズバリ的中しているのがわかった。

 就任2年目の若い男の先生が、
白いワイシャツの袖をまくりあげて、
汗をかきかき、真っ赤な顔で、
一生懸命教室の中を走り回って、
子供たちのノートを見て回っていた。
 ある子供の前ではしゃがみこみ、子供の目を真剣に見つめ、
何かを熱く語っていた。
 その子供は、その後「ハッ」とした顔をして、真剣にうなづき、
自分のノートに顔をうずめ、必死に鉛筆を走らせていた。

 教室の後ろには、
三男がこの前夕食の時に言っていた「メダカの水槽」があった。
 誰かがメダカの話をちょっとしたら、
「じゃあ飼ってみよう」
と、先生は言い、
翌朝子供たちが登校すると、
教室に水槽が置かれていて、中でメダカがすいすい泳いでいたという。

 家庭訪問の時は、慣れない道で途中で迷子になったらしく、
40分以上遅れて家にやってきて、
汗をぬぐいながら必死でメモをとり、
家での子供の様子を聞いたり、学校での子供の様子を話していた。
 しかし、時間が押しに押してしまい、
この後十数軒の家に早く行かねば、という焦りがはっきりと見えたので、
物凄く気の毒になり、
「先生、時間がないでしょうから、どうぞ次に行ってください」
と促すと、顔を真っ赤にして、
「ありがとうございます、すみませんすみません」
と、頭を下げながら後ずさりし、深々と一礼した後、
凄いスピードでダッシュして、向こうの通りまで走っていった。

 若い。
 そして、一生懸命。
 そして、けなげ。
 そして、未熟。

 しかし、そこが何とも彼の魅力であり、
何だか応援したくなるのだった。

 三男の担任の先生は、今までずっと、ベテラン、というか、
例えて言うなら「おばちゃん」や「お父さん」「お母さん」といったタイプの人ばかりで、
はしゃいだり、飛び出したことをすると、
「静かに!」
と一喝するような先生ばかりだった。

 落ち着きが無く、はしゃぎすぎたり落ち込みすぎたりする三男は、
こういう「きちっとしなさい」的なノリの空気の中では、
単なる問題児としか扱われず、
教室に居場所がなかったのだろう。
 だから、授業中髪の毛をむしってしまったり、
家でストレスを爆発させて暴れてばかりいたのだ。

 この先生に受け持たれて、三男は、明らかに落ち着いた。
 「勉強は嫌いだけど、でも頑張りたい」と言い出した。

 張り切りすぎてしょっちゅう失敗し、
学校のエライ先生たちに叱られている先生。
 それでもめげずに
「校長先生には言うなよ」
と言って、家庭科の授業の時こっそりゼリーを作って、
給食中にみんなでクスクス笑いを殺しながら食べたりする。

 そういう、元気でやんちゃな「若いお兄さん」の先生を、
三男は大好きなのだと思う。

 こういうタイプの人間が、
今まで三男の周りに皆無だったために、
三男は、いつも、
「何か違うノリ」の集団の中で浮いてしまっていたし、
いつも退屈だったのだろう。

 水を得た魚のように、急に元気になり、
明るく屈託無く生活する三男の姿を見て、
私は、「からまったひもがほどけた瞬間」を感じたのだった。

 今までの三男との格闘の日々が、
こんなにちょっとしたきっかけで、
スルスルスル〜ッ、とほどけた。 

 ああ、こんなことがあるのだなあ、
努力や忍耐の先だけに、出口があるのではないのだなあ、
と、しみじみ思った。


 そしてまた。

 入ったばかりの中学校で、何かの課題を出され、
ある原稿を何十枚とコピーしなければいけなくなった次男。
 とある日曜日に、夫の開いている小さなパソコンスクールに行き、
コピーを取らせてもらってきた。
 土曜も日曜も、もちろん平日も、いつも家に居ず、
どこにも連れて行ってくれない父親をどう思ってたか知らないが、
夫と次男とは、よく衝突していた。

 しかし、次男は、コピーした後、家に帰ってくるなり、
「お父さんがしょっちゅう生徒さんにお菓子や野菜をもらってくる理由がわかったよ」

とポツリと言った。
 「どうしたの?」
と聞くと、
「お父さん、お年寄りに物凄く親切に教えているんだよ。
同じところを何度間違えて聞き返しても、
ニコニコして優しく丁寧に教えているんだもん。
 お父さん、立派だったよ。
 あれじゃあみんな、何か渡したくなるって」
と言った。

 「そうなんだぁ」
私は、ニヤニヤして
「そのこと、お父さんにも言ってあげたら」
とすすめると、
夫の帰宅後、次男は、口ごもりながら夫に同じことを言っていた。

 こっちでも、ひとつ、
何かがほどけてますなあ、と思った。



   (了)


(子だくさん)2007.5.22.あかじそ作