「 ひとさじの砂糖 」


 6月に入り、長男がしょっちゅう微熱で中学を早退してくるようになった。
 いつも夜9時には、小学生と一緒に就寝していたのに、
受験生になったのを機会に、
頑張って午後10時半まで起きて勉強するようになってからだった。
 もともと体の弱い子だったが、寝不足がたたって、
しょっちゅう熱を出したり、部活中に倒れたりした。

 そのたび、夜の勉強を中断し、
学校を早退したり欠席したりしていたが、
吹奏楽部の顧問の女性教師が、非常に体育会系の人で、
「この軟弱者! 健康管理出来ない者は消えろ!」
というようなキツイことばを連日マンツーマンで長男に吐き続けるため、
精神的なことから具合が悪くなることも増えた。

 長男の相談に乗っているうちに、何だか私自身も体調を崩しがちになった。
 時々、心臓が痛んで身動きできなくなり、
うずくまったまま数分脂汗を流すこともあった。
 そして、もともと風邪気味だったところに精神的なストレスが加わって、
いわゆるひとつの「心労」というやつで倒れてしまった。

 学生時代にも、新婚時代にも、子育て初心者時代にも、
ひどくストレスを受けて悩んでばかりいたが、
そのことで食欲が落ちたり、体調を崩したりすることはなかった。
 若くて、健康体だったのだ。
 しかしいよいよ、年も年なのか、
絵に描いたような「心労で倒れる」という状況になり、つくづく
「これは、ちょっと、今までの生き方や考え方を変えないと死ぬな」
と、はっきり自覚した。

 もしかしたら私は、すべてに関して、いろいろ考えすぎなのかもしれない。
 そして、ひとのうちのことはよく知らないが、
私は、子供に対して甘すぎるのかもしれない。
 子供が学校から帰ってきて話すことばに、いちいち共感しすぎて、
子供自身が悩んだり考えたりするべきところを、
私自身が代わりに悩んだり考えたりしてしまうため、
子供の精神の成長を妨げているのではないか?

 しかも、自分が心配症なために、
毎朝毎朝、
「起きなさい」
「ご飯食べなさい」
「歯磨きしなさい」
「名札つけなさい」
「靴下履きなさい」
「体操服持った?」
「上履き持った?」
「プールバッグ持った?」
「給食袋入れ替えた?」
「もう行く時間だよ」
「気をつけてよ! 本当に気をつけてよ!」
「交差点では下がって待つんだよ」
・・・・・・・などと、無数の注意警告申しつけを、
キーキーキャーキャーヒーヒーするアカンボの世話をしながら、
4人の子供すべてにひっきりなしに浴びせまくっているのだ。

 私は、自分の発するひっきりなしの警告音に、
すっかり神経を疲弊されてしまっているのに、
当の子供たちは、母親の声をすべて聞き流す癖がついている、ときている。
 悪循環が固定化し、
子供はどんどん能天気になり、
私はどんどん気苦労症に拍車がかかる、
という始末だ。

 ぼんやりしていても、「お母さんがやってくれるだろう」という考えが
ヤツラのどこかにいつもあるため、
ちゃんと支度もできないし、自分の頭で何も考えない。

 ひとりの人間をちゃんとさせて学校に送り出すだけでも大変なのに、
そんな甘ったれた考えの人間を4人もちゃんとさせて
毎日外に送り出すとなると、私の神経も磨り減るばかりだ。

 おまけに、私自身は、しっかりした人間ではない。
 学生時代は、物凄く一生懸命宿題や勉強を頑張っても、
カバンも何も持たずに学校へ行ってしまったり、
忘れ物の常習犯として有名だった。
 気をつけても気をつけても、
肝心なところがガッポリ抜けてしまう性質の人間なのだ。
 ひとつのことに気を取られると、
もう他のことは一切わからなくなってしまうし、
物事をきちんと分類したり整理したり処理したりする力が、
他の人と比べると、圧倒的に不足している。
 あっちもこっちもやらなきゃならないとなると、
頭の中がパニックになり、錯乱してくる。

 病院に行けば、必ず「○○症候群」という名前が付く、という自信がある。
 今のところ肩書き(病名)を受け取らずに生きているが、
そろそろ病名をつけてもらった方が、
自分の取るべき行動や、生きる上での注意点を指導してもらえるかもしれないな、
と思い始めてきた。
 学生時代や勤め人時代に感じ続けてきた、自分と社会とのひどい隔たりを、
「ああ、私、病気のせいで苦労したのか、私が悪いわけではなかったのか」
と分かって安心したいような、
「病気だろうがナンだろうが、のたうち回りながらでも生きるしかねえんだよぅ!」
と、ど根性を振り絞る方がいいような、
そんな迷いが頭をぐるぐる回っている。

 ああ、こんな混乱した頭で、
よくもまあ、ひとんちの2倍量の家事育児をやってこられているものだ。
 いや、やってこられていないのだ。
 もう、自分の中で、何かが破綻しかかっているし、
子供にも悪影響が出始めているではないか?

 どうすんの?
 どんするんだい、「○○症候群(未定)」の私!


 そんな迷えるある朝、長男から電話が掛かってきた。
 中学校の公衆電話からだった。
 修学旅行に必要な「保険証の写し」を、今すぐ持ってきてくれ、と言う。
 「自分で取りに来なさい」
と言うと、
「先生が『今すぐ親に持ってこさせろ』って言うんだよ」
と言う。

 まだ午前8時で、夫が出勤前だったので、
アカンボを見ていてもらい、
急いでコンビニで保険証をコピーして学校へ持き、
昇降口で待っていた長男に手渡した。
 長男は、友達の手前、母親の私に無表情で接し、
サッと写しを受け取って階段を駆け昇って行ってしまった。
 朝から気温30度近い中、自転車で走りまくった私は、
体じゅうから流れ出る汗をぬぐいながら、
ぼんやりと長男の背中を見送った。

 (甘いんだ。私は、甘々なんだ。だから子供がしっかりしないんだ)

 子供のためにいつもいつも頑張っていたけれど、
実は、過保護過ぎるんだ。
 この頑張りこそが、子供をダメ人間にしてしまう原因なんだ。
 今突き放さないと、子供も私もダメになる。
 保護するべきところはもっと要所要所に絞って、
普段はもっと自分でさせなくちゃいけないんだ。

 がっかりして家に帰ったとたん、電話が鳴った。
 中1の次男の担任の先生からだった。

 「ユージ君、高熱を出して保健室にいますので、迎えに来て下さい」

 (え! 今中学から帰ってきたばかりなのに!)

 さすがに「イラッ」と来たが、
具合が悪くなった次男に罪は無いので、
買ったばかりの軽の中古車に乗って中学に向かった。

 次男は、真っ青な顔で保健室のベッドに横になっていた。
 養護の先生が、
「今日は金曜日だから、週末ゆっくり休んでね」
と優しく声を掛けてくれる中、私たちは、礼を言い、
車に乗り込んで家路についた。

 さて、次男を子供部屋のベッドに寝かせた。
 普段丈夫な次男もまた、
中学に入ってから宿題に追われ、
午後10時半まで起きているようになったために、
体調を崩してしまったようだ。
 よそのうちは、小学生の頃から11時過ぎまで起きている子も多いのに、
うちの血筋は本当に「寝ないとダメ」な体質なんだなあ、と痛感する。

 そういえば、私自身も一日8時間は寝ないと体調が維持できないクチだが、
ここ数年は、毎日5時間ちょっとしか寝られていない。
 家事も育児も要領が悪いため、いつも夜中までぐずぐず働いていて、
いつも疲れ果てている。
 夜中の授乳も、まだ続いているし。


 さて、翌日の土曜日。
 三男の両手に出来たイボを取るため、
三男の他にもアカンボと四男も連れて皮膚科に行った。
 イボの治療は非常に痛い。
 冷却スプレーやドライアイスなどで患部を低温ヤケドさせ、イボを焼き取るのだ。
 三男のイボは、数も多く、なかなかしぶといため、
「週に一度」を、もう3週間も通っている。
 さすがに我慢強い三男も、
毎週「両手にヤケドを負わされに行く」のを少し渋る。
 しかし、イボは気持ち悪いので早く取りたいらしく、
我慢して泣きながら両手をあちこち焼かれている。

 負けず嫌いなため、声を殺して泣いている三男を見ると、
「こんなにたくさんイボが出来る前に医者に連れて行けばよかった」
という自己嫌悪に襲われる。
 日常の中のチマチマした細かい注意ばかりしていて、
肝心なことを見てやっていなかったことに、
また改めて反省する。

 親として、もっと「肝心要」を見極めないといけないんだ・・・・・・
 ただ朝から晩までキーキー言ってるだけじゃ、
大事なポイントを外してしまう。
 健康管理だってそうだ。

 子供がみんな持病持ちで、虚弱体質なら、
保護するだけでなく、鍛える方向に持っていかなくちゃいけないんだな。

 反省点が次々浮かぶ。

 もう心労で倒れまい。
 もう、今後は、生き方を変えて、
親子ともども成長するんだ!


 夕方、急に左のリンパ腺が痛み、腫れだした。
 そして、起き上がれなくなった。
 次男の風邪がうつったか?

 翌日も、同じ状況。
 その翌日は、右のリンパ腺が痛み、
頭の皮膚によからぬ痛みが走りっ放しだった。
 しかし、熱が出ないから、逆になかなか治らない。
 結局、5日間寝込んだ後、やっと起き上がれるようになった。

 車にアカンボを乗せて買い物に行き、
銀行に行き、実家にも行った。
 2日間は、まあまあ元気だったので、
たまっていた用事を一気に済ませた。

 しかし、3日目の夕方、
いきなり、尋常じゃないだるさが全身を襲った。
 本当に尋常じゃなかった。
 起き上がれない。
 まったく起き上がれないところを、無理に起きて、
母が作って持ってきてくれたおかずを子供たちに食べさせた。

 食後、自分の両腕と両足が、真っ赤に腫れ、
熱をもって痒くなっているのに気付いた。

 「何これ・・・・・・」

 ジンマシンには何度もなったことがあるが、何か違う。

 そのうち、次男が、
「お母さん、僕、体にボチボチが出来てきたんだけど」
と言うので、見てみたら、私と同じ症状だった。

 「ジンマシン? 何か変なもの食べたっけ?」
 しかし、思い当たるものはなく、
むしろ、ひどい食物アレルギー持ちの子供たちが、
何の症状も出ていないことから、
「食べものじゃないな」
ということはわかった。

 しかし、もう、これ以上、どうにもならなかった。

 起きていられないし、体がつらすぎて、物を考えられない。
 アカンボを元気な子供たちに見てもらって、
私と次男は、布団に入った。

 翌日、救急外来をしている皮膚科に行って見てもらったが、
「溶連菌でもないし、原因不明ですね。小児科で検査してもらってください」
と言われて帰された。
 その日は、ただ寝ていることしかできず、
夫に早めに帰ってもらって、ひたすらうんうんうなりながら寝込んでいた。
 次男は、私ほどひどくはなかったが、
私も次男も、微熱が出たり引っ込んだりを繰り返し、
一向に良くなる兆しが見えなかった。

 そのうち、腰が折れるかと思うほど痛むようになり、
横にもなれなくなって、
苦しさに泣きながら、壁にもたれて布団をかぶっていた。

 (ナンなのこれ? 死ぬほどつらいぞ。入院か? 不治の病か?)

 翌日、かかりつけの内科小児科の先生に診てもらうと、

「症状を総合して考えると、これは間違いなく『りんご病』だね」

と言う。

 「はぁ?! りんご病って、あの、小さい子の、ほっぺが赤くなる?」

 「自分は原因不明の病で死ぬのか」
とまで思いつめていた私は、拍子抜けした。

 すると、先生は、
「年齢が小さければ小さいほど症状は軽くて、
ほっぺが赤くなるだけで終わることが多いんだけど、
大人がかかっちゃうと、重篤化しちゃうのよ。
 大体2週間から1ヶ月は、激しい関節の痛みで寝込みますよ」
と言う。

 「あ、関節?! 腰が死ぬほど痛いんです!」
と私が言うと、
「あ、間違いないね。りんご病が重篤化してるね」
と先生は言う。

 そういえば、次男も私も、
具合が悪いのに、妙に顔色が良かった。
 といういか、りんごのようにほっぺが真っ赤だった。

 そうか!
 りんご病か!
 りんご病ね!

 ああ、間抜けだ!
 何が「不治の病でもう死ぬ」だ。
 りんご病だってよ!

 「でも、特効薬は無いんだよ。
ひたすら寝込むのみだからね。
 ユージにはかゆみ止めを、
お母さんには授乳中でも飲める鎮痛剤を出しておくね。
 いやあ、子供いっぱいいて大変だろうけど、頑張ってよ」

 先生は、そう言って、励ましてくれた。

 ホッとした。
 かかりつけの先生が名医でよかった。

 家に帰って気力を振り絞ってそうめんをゆで、
次男とアカンボに食べさせ、自分も少し食べてから、
もらった薬を飲むと、30分後には、思いっきり体がラクになった。

 体じゅうがだるいのは、
完全に内臓がどこかおかしくなってしまったのだ、と思っていたが、
実は、全身の関節が同時に全部痛んでいた、ということだったのか。
 どこか一ヶ所が痛ければ、
「どこどこが痛い」
と自覚できるものの、
体じゅうの関節がいっぺんに痛くなると、
それは、「尋常じゃないだるさ」という、
「総合的な、わけのわからない具合の悪さ」としか感じられなくなってしまう。
 その「わけのわからない不安」がまた、
気分を憂鬱にし、どんどん具合が悪くなっていくのだ。

 それにしても、
立っても座っても寝てもいられなかったひどい腰痛も、
いきなりラクになっている。
 凄いな、鎮痛剤。

 ああ、とりあえず、これからまだ2週間はつらいけれど、
薬ももらった。
 「何だかわからない不安」も取れた。
 体はつらいが、気持ちは軽くなった。

 ああ、健康って大事だ。
 普通に暮らせるだけで、宝物だ。

 痛いと何も考えられない。
 冷静になれない。

 尋常じゃないだるさは、得体の知れない怪物などではなく、
全身の関節の痛みと、不安な気持ちが合体して生まれた現象だった。

 きっと、私がいつもモヤモヤと憂鬱なのも、
実は、得体の知れない怪物などではなく、
心のそこここにたくさんの痛みと不安が散りばめられているだけだ。
 その小さな痛みや不安が合体して、
憂鬱怪獣に化けているように見えるだけなんだ。
 本当は、ただの現象にすぎない。
 頭を冷やして対策を練れば、
きっと、あっさりといっぺんに解決できるはずだ。


 5人の子供の心に添って生きるのは、
幸せだけれども、多少の痛みも伴う。
 もともと赤の他人だった夫と、ひとつの家庭を築くのにも、
気難しい両親と上手くやっていくのも、
やはり少なからず痛みを伴うことがある。

 でも、得体の知れない怪獣を相手にしているのではなく、
ちゃんと原因もあるし、対症療法もある。
 まずは、痛みを取って、不安をなくせば、
体も動くし、心も軽くなるはずだ。

 自分の気分の波に振り回されて疲れ果てていたけれど、
逆に考えれば、
「気分さえ良ければ、キツイ状況でも幸せに感じられる」
という、単純な性格じゃないか。

 メリーポピンズも言っていたしね。
 「ひとさじの砂糖があれば、苦い薬も飲めるのさ」と。

 私の人生に足りなかったのは、「ひとさじの砂糖」だ。

 健康を突き詰めて考えるあまり、
自分にも子供にも親にも夫にも、
苦い薬ばかり飲ませていた。

 人生をクソ真面目に考えすぎるあまり、
いつも必死になりすぎて、
自分にも人にも、必要以上の要求を課していた。

 ああ、よく考えたら、そんな人生、つまんないわ!
 全〜然、楽しくない。

 「ひとさじの砂糖」は、気休めかもしれない。
 根治とは関係ない、対症療法だ。

 でも、それでいいじゃない。
 人生を楽しみたいのなら、
ちゃんと最後まで笑って生きていきたいのなら、
心が糖尿病にならない程度の、
「ひとさじの砂糖」は、世界一素敵な対症療法ってヤツさ。

 子供が人生の葛藤をしているときに、
一緒になって頭を抱えていないで、
ニコニコ笑って抱きしめてやりゃあいいのさ。

 それが、「苦い薬にひとさじの砂糖」ってヤツなんだから。


      (了) 

(しその草いきれ)2007.6.23.あかじそ作