「 友を送る 」


 隣の奥さんが来て、
「あかじそさん、確か、Tさんと知り合いだったよね」
と言った。
「訃報なんだけど・・・・・・Tさん、亡くなったんだって」

 Tさんとは、ヤクルトで働いていた頃の同僚で、
子供同士が同級生だったということもあり、
10年以上仲良くしている友達だ。

 はじめは、良くない冗談だと思っていたが、
話を聞くと、
今年の1月頃に、めまいやら何やらで体調が悪くて医者にかかったら
「自律神経失調症」と言われたらしい。
 それからもなかなか体調がよくならず、
4月から入院していたという。

 道端や学校で会えば、近況を話し合い、
お互い悩みを打ち明けては、励ましあっていたが、
そういえば、最近は、ほとんど会っていなかった。

 メールしたりランチしたりして年がら年中つるむのは、
お互い好きじゃないので、
お互いの携帯の番号やメルアドすら知らなかったが、
こうしていきなり人づてに訃報を聞かされるとは夢にも思わなかった。

 Tさんは、3人の子供がいる。
 高校2年のしっかり者のお姉ちゃんと、
うちの長男と同い年の中3の男の子と、
小6の男の子だ。

 最近の彼女の悩みは、
中3の息子が学校で問題を起こしたり、
家で反抗的な態度を取ったりしていることだった。
 お姉ちゃんも弟も優等生で手が掛からない分だけ、
いつもいつも困らせる長男に対して、
ここ数年、ずっと悩んでいた。
 私が三男と取っ組み合いをして指の骨を折られたことを話すと、
彼女も同じように足の怪我をしていることを教えてくれた。

 本当に彼女と私は似たもの同士で、
悩むツボも笑うツボも同じなのだった。
 ちょっと変わり者の私の話も、黙ってうなづきながら聞いてくれた。
 「うんうん」「わかる」と、親身になって言ってくれた。

 いつもへらへらと冗談ばかり言ってお茶を濁すばかりで、
実はあまり人に心を開かない私にとって、
数少ない「友達」だった。

 「水曜日に通夜で、木曜日に告別式ね」
と、お隣の奥さんに教えられたが、
本当にピンと来ない。

 「彼女が死んだ」なんて。

 私より2つ年上の43歳。
 いや、まだ誕生日前で42歳だったかもしれない。

 ずっとヤクルトで働き続け、
子供を一番に考え、
優しいご主人と一緒に、温かい家庭を築いていた。

 小柄な彼女と、大柄なご主人、
そして、しっかり者のお姉ちゃんと、反抗期のお兄ちゃん、
サッカーの上手な弟。
 この5人で、紺のステップワゴンに乗って、
いつもいつも仲良く出かけていたのに。

 反抗期のお兄ちゃんと言ったって、
この子のことは4歳の頃からよく知っている。
 ヤクルトの託児所で、うちの息子たちと一緒に
元気に駆け回っていた素直ないい子だ。
 授業参観の時、廊下で迷っていると、
「ケンタのカーチャン、こっちだよ。席は窓側の前から3番目だよ」
と、親切に案内してくれた。

 今は、反抗期かもしれないけれど、
ついこの間の参観日のときだって、
やっぱり迷っている私を親切に案内してくれた。
 きょうび、中学生は、大人に対してろくに挨拶もできないというのに、
この子は、いつも綺麗な目でまっすぐ大人の顔を見る。

 「あの子は、稀に見るいい子だよ。大丈夫だって」
と、私は心から彼女に言っていたのだが、彼女は、
「でも本当にあいつには困ってて・・・・・・・」
と嘆き、それが彼女と話した最後の会話になってしまった。

 さぞかし心残りだっただろう。
 まだまだ手のかかる子供たちを置いて先に逝くのは、
どんなにか心配だろう。
 ましてや、今年は、その「心配な息子」の受験の年だ。
 最後まで自分の体のことよりも、
子供たちのご飯の心配をし、進路の心配をし、
サッカーの試合の心配をしていたに違いない。

 私は、残された子供たちに
彼女に代わって何かしらお手伝いしなければならないと思った。

 しかし、だ。

 頭で考えたそんな使命感が、
時間が経つにつれ、どんどんかすんでいき、
心に、どうしようもない喪失感が満ちてくるのを止められなくなった。

 ひとごとではなく、自分のこととして
重大に胸に迫ってきたのだった。

 「彼女が死んだ?」
 「もう会えないの?」
 「もう話せないの?」
 「何で?」
 「どうして!」

 普通に生きていても、
まじめに生きていても、
何も悪いことをしていなくても、
いきなり死んでしまうことがあるのか。

 みんな普通に80歳くらいまで生きて、
老けて、孫や子供たちに囲まれて、
老衰で死ぬわけではないのか。

 そんなこと、わかりきったことなのに、
頭ではちゃんと知っていたのに、
実感がまるでなかった。

 彼女は、幸せな家庭を築いて、
子供たちのために身を粉にして働いて、
若くして、あっという間に亡くなってしまった。

 でも、一番、女として充実した、
「現役の忙しいお母さん」のまま、
人生の全盛期のまま天国に旅立った。

 家族にとって、
これからいろいろ大変なことが山積みだろうけれど、
このことがまた、この家族の絆を固くし、
子供たちを成長させるのだと信じたい。

 明日、通夜で、あさって告別式。

 ああ、まだ全然実感がわかない。
 しかし、祭壇の遺影に彼女の顔を見つけたときに、
自分がきちんと立っていられるか分からない。

 彼女は、もう1人の私であった。
 悩みながら、一生懸命子供や家族のために働く、
「オカーチャン」の典型だった。

 彼女が死ぬなんて・・・・・・
 家族にとって、無くてはならない人が、
フッと居なくなってしまうなんて。


 「明日の心配」のために「今日の笑顔」を失うのは、
もうやめないといけない。
 今日一日を、くよくよしたまま終わってはいけない。

 今日も生きられた、
みんな無事だった、
なんという幸運!

 このことを、私は、常に忘れないようにしよう。

 自分がハッピーとラッキーに包まれて生きていることを、
いつもいつも、忘れない。

 彼女が教えてくれたことを、
ちゃんと学習しなければならない。

 昨日居た人が今日居ない。
 今日居た人が明日は居ない。

 それは、悲劇でもなければ惨事でもない。
 きっと自然界の摂理で、当たり前。

 諸行無常というヤツなんだ。

 生まれた限りは、生きる。
 生きる限りは、前を向いて生きる。
 Aさんでもなく、Bさんでもなく、
「私」として生まれたからには、
「私」らしく生きなければ、
生きたくても生きられなかった人に
申し訳が立たないではないか。


 私は、彼女の残した子供たちを、
甥っ子姪っ子だと思って、そっと見守って行こうと思う。

 彼らに気づかれないくらいにさりげなく、
遠くからそっとフォローして行こうと思う。

 遠くから経済援助するのが「足長おじさん」なら、
私は、遠くから母性で見守る「足長オバチャン」になろう。


 今日の幸運のお礼として。



     (了)


(しその草いきれ)2007.7.17.あかじそ作