「命の平均台」

 アカンボが昼寝している隙に買物を済ませてしまおう、と、
私は、ママチャリにまたがって、全速力でスーパーへと急いだ。
 「食パンと、マーガリンと・・・・・・」

 次の瞬間、右のほうから、物凄く凶暴な金属の塊が私の体を自転車ごと
ぐぐぐぐぐう、っと左の車道上へと押し出し、
「ああ・・・・・・」
という間に、私は、車に轢かれて死んでしまった。

 そして、まるでバンジージャンプの跳ね返りのような勢いで、
私の魂は、私の体から引き剥がされて、上空へと飛び上がっていった。

「うわっ! うわわわわっ!」

 どんどん、どんどん体は上へ引っ張られ、雲をいくつも突き抜け、
小雨に一瞬打たれたりしながら、突然、果てしなく広がる青空の中へ放り出された。

「浮いてる浮いてるっ! こんなの、ドラえもんの道具にあったなあ」

と、思っていると、すぐ横に、人がいた。
 懐かしい感じの、昭和の不良女子高生が、足首まである長いスカートを、
風で、パラシュートのように膨らませたり、足にへばりつかせたりしながら、浮いていた。

「ちいっす!」

 不良女子高生は、上目遣いで、私を見据えながら、軽くお辞儀をした。

「ちいっす・・・・・・・」

 私は不良ではなかったが、かつては、やはり昭和の女子高生だったので、
割と自然に挨拶を返せた。

 彼女は、バサンバサンと激しくハタめくスカートに閉口し、
「チッ」と舌打ちしながらも、私に、この状況の説明をしてくれた。

「えっとぉ、あちしはぁ、今日、当番なんでぇ、説明さしてもらうけどぉ、
えっとぉ、一応ここはぁ、天国の入口なんすね」

「はあ」

「んでぇ、下、見てもらえますぅ?」

「はい」

 私は、雲の隙間から、下の方を覗き込むと、下界では、
数え切れない程たくさんの棒が横たわっていた。

「あの棒は?」

「棒じゃないっす。平均台っす」

 よく見ると、地面に隙間無いくらいにびっしりと平均台が置かれ、
そのそれぞれの平均台の上に、人が歩いている。

「あれは?」

「命の平均台っす」

「命の平均台?」

 不良女子高生は、かったるそうに首をぐるぐる回して、ゴリゴリゴリ、と音を立てた。

「えっとぉ、もう、朝から600人位に説明してるんでぇ、すっげえタルイんだけどぉ」

「あ、はい、すみません」

「人生はぁ、<平均台の上を歩いているようなものである>、なんだそうですぅ。フ〜」

「ああ、はいはいはいはい」

「そんでぇ、ほとんどの人は全然、平均台に気づいてなくてぇ、へらへら歩いてますけどぉ、
平均台なんでぇ、足滑らせれば落ちるンす」

「はいはい」

「で、落ちると死ぬンす」

「ああ・・・・・・そうなの・・・・・・」

「で! 結構、神経質な人なんかは、うっすらと自分の平均台が見えちゃったりして、
びくびくびくびく歩いてるンすよね、ほら!」

 彼女の指差す方を見ると、何人もの人が、平均台の上をへっぴり腰でよろよろ歩いている。
中には、ぶるぶる震えて、その場でうずくまってしまっている人もいる。
 
「ああいう連中はぁ、毎日生きているのが怖くて心配で、びくびくしてるんだそうっす」

 ずっとうずくまっていた中年のおじさんが、思わず、その平均台から自ら飛び降りた。

「あっ、あれ、自殺っすね。地獄行きっすから」

「あ、そうなの?」

「平均台の上を歩くのが不安で不安で、落ちるのが怖くて、たまんなくなって、
自分でキーッ、って飛び降りちゃう人、結構多いンす」

「なるほど! ・・・・・・で、私は?」

「バタバタバタバタ、足元も見ないで突っ走ってたから、踏み外してましたよ」

「やっぱし!」

「でも、天国行けますから。ダイジョブっしょ!」

「はあ、そうですか・・・・・・」
   
「子供、気になるんでしょ? 見てみますか?」

 彼女は、ある方向を指差した。
うちに置いてきたアカンボが、目を覚ましてひとり、
母親を探してギャンギャン泣きながら、部屋中を這いまわっている。
 胸の中で、熱い鉄球がピンボールのように弾けた。
両方の目から、だあだあと涙があふれ出てきた。

「ゴメン! 勝手にいなくなっちゃって・・・・・・」

「ダイジョブっすよ、あの子は。ほら」

 彼女は、私の背中を乱暴に小突いて、もう一度アカンボを見るように促した。
アカンボは、ピタッ、と泣き止むと、へらへらと笑って、平均台を凄いスピードで、
はいはいして進んでいる。

「あっ! 危ない!」

 私は、下に手を伸ばした。

「だぁいじょうぶだ、っつーの! あの子は、落ちないから。平均台の最後まで、
ニコニコニコニコしながら渡りきれるから。心配なし!」

「そうなの?!」

 不良女子高生は、面倒臭そうに、しかめっ面で何度も頷いた。

「あの子は、天寿をマットウするらしいっすよ。うまくいけば」

「ああ、そうなんだ!」

 私は、ほっと胸をなでおろした。
 
「でも、わかんないっす」

 彼女は、そっぽを向いて吐き捨てるように言った。

「え? え? え? え? え?」

 私は、彼女の袖をキツくつかんで、自分の方へ思い切り引き寄せて聞いた。

「わかんないって? どういう事?!」

「平均台っすから! 何の脈略もなく落っこちても、全然、不思議じゃないんで」

「そうなのぉ〜〜〜〜〜〜?!」

 私は、自分の命はさておき、子供の危なっかしげな平均台渡りに不安になった。

「でも、生きているものは、みんな、平均台渡ってるンすから。
みんながみんな、危なっかしいのには変わりないんで」

「でも、平均台なんて、落ちちゃう方が多いでしょ?」

「そうっすよ」

「危ないじゃない!」

「だって、しょうがないじゃないっすかぁ! 生きる、ってそんなもんすよ」

「ええ〜〜〜〜〜っ!」

「そうっすよ。あんな細い棒ッ切れの上を歩いてンのに、落ちない方が不思議っすよ」

「それで、いいの?!」

「いーいーンーすー!」

「走ったら?」

「たいてい、落ちますね」

「あんなに平均台と平均台がくっついて混みあってるけど、ぶつかって落ちないの?」

「ぶつかって落ちますよ。あちしも、隣のバカとぶつかって落ちたクチっすから。・・・・・・チッ」

「そんなあ・・・・・・じゃあ、生き続けるのって、大変じゃないの!」

「あったりまえじゃないすか! 生きてる、ってのは、ラッキーなんすよ! 偶然なんすから!」

「なぁんだ、そうなのぉ・・・・・・・やだあ・・・・・・」

 私は、毎日、自分が死ぬなんて、考えもしないで生きてきた。
でも、台風で死んじゃう人もいる。
 前の晩、
「台風来るのかぁ?」
なんて、ビール飲んでた人が、屋根から落ちて、雨水に飲まれて、
あっけなく死んじゃうことも、よくあるのだ。
 彼は、まさか自分が、そんなことで死んじゃうとは、思いもしなかっただろう。

「それにしても、あんたは、オッチョコチョイな割に、よく生きた方っすよ、マジで」

 突然黙りこんだ私に、彼女は、なぐさめの言葉を掛けてくれたようだった。
私は、少し落ち着いて、下界をゆっくりと眺めてみた。
 楽しそうに平均台を歩いている人は、案外少なく、ほとんどの人が、おっかなびっくりだ。
ゆっくり、慎重に歩きすぎて、ついに歩けなくなって痺れて落ちている人もいる。

 (こりゃ、ハラくくるしかないんだね)

 私は、悟った。

 どんなに自分が気をつけたって、完璧に死を防ぐことなんて出来ないのだ。
ゴキブリや、ダニを退治するように、殺虫剤を噴霧したって、死は退治できない。
 これで安心、なんて保証は、どこにもない。

 忌まわしい事柄を、死を連想させるもの全てを、生活から遠ざけたって、
原始だって現代だって、死というものは、防ぐことはできないのだ。
 
 じゃあ、安心とか、安全とか、そういうものに完璧はない、という事で、
どんなに不安でも怖くても、生きている間は、死の恐怖はついて回るのだから、
まず、一旦、あきらめたほうがいい。
 
 人間、死んじゃう。すぐ死んじゃう。だけど、今、自分は、生きている。
スンゲエ、ラッキー!

 と、思う方が、「いつ死ぬか、いつ死ぬか」という、あの嫌な不安からは開放されるだろう。

 「運を天にまかせる」という言葉があるが、天どころか、道を歩くのにも、
全然知らない車の運転手やら、ちょっとアブナイおじちゃんやらに、
運や命をまかせているようなものなのだ。
 
 私は、生前、人間不信気味だったが、ちょっと損した気分だ。

 生まれちゃったら、生きてるなら、もう、ある程度、人や運やらを信じて、
どうとでもして、というスタンスで生きないと、苦しいだけなのだ。
 
 人に対して、バリアを張ったって、張らなくたって、やられちゃう時は、やられちゃう。
平気なときは平気なのだ。

 人生は平均台なんだったら、走り抜きたい人は、落っこちたっていいから走り抜けりゃいいし、
ゆっくり景色でも見ながら歩きたい人は、ゆっくり歩けばいい。
 
 必要なのは、いつかは落ちるけど、落ちるまでは歩こう、という「覚悟」なのだった。


 ・・・・・・と、人生を悟った途端に、天国への門が開いた。
不良女子高生が、あごで私を導き、私は、その青空の彼方の門へと、平泳ぎで進んだ。

 生きることも、死ぬことも、特別なことじゃなかった。
大げさに考えないで、ラクにいこう。

 私は、くるっと上を向き、まぶしいお日様を見上げながら、
今度は背泳ぎで、天国の門へと泳いだ。

「イテッ」 

ゴツン、と思いきり門柱に頭をぶつけて、慌てて自分の頭をさすった。

「ホントにバカだねえ・・・・・・」

 不良女子高生は、せせら笑いながら、優しい目で私を見た。

「じゃ、あちしは、これで」

 天国の門の奥の方では、老若男女が、キャッキャ、と嬌声をあげて円陣バレーボールをしている。
私は、今度はクロールで、円陣に向かって、泳いで行った。


                    (おわり)
 2001.09.6 作:あかじそ