「 続 友を送る 」


 十年来の友人を突然失い、
人づてに通夜と告別式の日程を聞き、
長男と次男を連れて通夜に行ってきた。

 主婦友達というものは、つくづく特殊なものだ、と思ったのだが、
個人的に親しくしていた人には連絡が来ず、
彼女の子供の所属するサッカークラブや、学校の同じクラスの保護者には、
夫からの連絡がいく。
 夫には、妻の社会的な関わりしか知りえず、
個人的な交友関係や詳しい連絡先については、
よくわからないのだ。

 おとなしい彼女だったが、
3人の子供がらみのつきあいがたくさんあり、
また、長年勤めていた職場の仲間も大勢いるので、
焼香の列は、外まで長く長く続いていた。

 笑いながら、
また、「死因は何だったの?」などと噂話をしながら、
列に並んでいる「知り合い」程度の付き合いの人たちの、
うすら中途半端な参加態度に、
猛烈に落ち込んでいる私は、腹が立って仕方なかった。

 長い列が徐々に進んで行き、
ついに、会場の入り口まできた。
 祭壇が見えて、彼女の写真が遺影として飾ってあった。
 ご主人と子供たち3人が、
慣れない遺族席で居心地悪そうに並んで座り、
次々と焼香する会葬者たちに何度も頭を下げていた。

 まだまだ手のかかる子供たちが頭を下げる姿に、
子供づれで参列していた母親たちは、みな涙していた。
 しかし、私は、自分の子供たちの手前であったし、
涙をぬぐう人たちの姿を見れば見るほど、
心が硬くなってしまい、まったく泣けない気分だった。

 なぜみんな、他人事のように
「ああ、お母さんが子供たちを残して亡くなったのね、可哀想にね」
という感じで、安いドラマでも見ているように
簡単に涙を流すのだろう。
 彼女の何を知っているというのか?

 彼女の「友人」を自負する私には、
薄い付き合いの人間たちが、簡単に彼女の死を受け入れ、
「ああ、悲しい悲しい」
と、安い涙を流しているように思えて、腹さえ立ってくるのだった。

 確かに彼女たちは、とてもいい人そうだけれど、
泣いた直後に廊下にたまり、
「で? 死んだのいつだって?」
などと芸能ゴシップでも噂するような態度に、
「これは娯楽じゃねえんだよ!」
と、睨み付けたい気分だった。

 彼女の訃報を聞いた晩から、
私は、昼間も夜も、寝ている間さえも、
ずっと、彼女のことばかり考えていた。
 私がダンナのことで苦労していたことも、
仕事で頑張っていたことも、
女の子が欲しくて悩んでいたことも、
子育てで行き詰まっていたことも、
ずっとそばにいて、すべて知っていてくれた唯一の人だった。

 おばあさんになっても付き合っていると思っていたのだ。
 いっときの「子供がらみのお付き合い」なんかではなく、
一生の友だと信じて疑わなかった。

 三日三晩落ち込み続けてきた私には、
面白おかしく彼女の死をおかずに盛り上がる人たちに、
我慢ができなかったのだ。

 ところがだ。

 勤め先の元同僚に声を掛けられ、
10年ぶりに顔を合わせたとき、
私は、ついついいつものおちゃらけた態度を取ってしまったのだった。
 へらへら笑い、
「ひさしぶり!」
なんて笑顔を浮かべてしまったのだ。
 つまらない自分の話題を出しては、
みんなの話を引っ張っていたりしていた。

 (何やってんだ! 私は!)

 結局、私は、人への不信感と、自分への不信感で、
彼女のことをちゃんと考えられなかった。

 このままでは、ダメだ。
 明日こそは、告別式でしっかり彼女にお別れをしなければ、
このまま煮え切らない想いを引きずっていってしまう。

 翌日、子供たちは学校へ行き、
アカンボは、実家に預けた。
 私は、ひとりで参列した。

 何人か知人もいたが、
昨夜に比べたら、本当に少人数の参加だった。

 しかし、参列者は、みな、
昨日の人たちとはまったく違い、
誰とも群れずにひとりで参加し、ひとりで泣いていた。

 私は、やっと純粋に彼女を送る気持ちになれた。
 手を合わせ、神妙にお経に耳を傾けていた。
 すると、今まで何度も聞いていたはずのお経の中に、
突然、きちんと聞き取れた部分があったのだ。

 「迷えば、自らの火に身を入る(いる)が如し・・・・・・」

 これは、
「この世に未練を残し、
いつまでもあの世に行かずにいると、
自らの怨念に焼かれるかのような苦悩が待っているぞ」
ということを死者に説いているのではないか?

 それからずっと耳を済ませて聞いていたら、
今までただの「南無南無南無」としか聞こえなかったお経が、
「成仏しなさい。そうすることが正しい道だよ」
「次の世に行くのです。今生にさよならをしましょう」
などと、切々と説得しているように聞こえる。

 坊さんの読経は、
「あの世へ渡るための引導を渡す」
という意味があるらしいが、
そうか、こういう意味があったのか、
と、生まれて初めて気がついた。

 そう考えると、
「何で死んじゃったの?!」
とか、
「子供を残してさぞかし心残りだろう」
とか、
「ずっと友達でいたかった」
とか、思っていた私の想いは、
この世から未練という糸で彼女を引っ張って、
天国へ行くのを妨げている行為ではないか?

 「どうか安らかに」
と手を合わせ、涙を流し、
そして、笑いながら精進落としの寿司を頬張り、
酒を飲んで彼女の思い出を語る方が、
実は、正しい送り方だったのか。

 ああ、そうだったのか。

 読経が終わり、会葬者は一旦控え室で待つように言われた。

 知人もいたが、私は、声を掛けなかった。
 黙って、ひとりで下を向いて座っていた。
 誰かに声をかけたら、また私は、いつもの癖で、
へらへらと浮わっついた世間話でその場を盛り上げてしまうだろう。

 今日は、ちゃんと、彼女とお別れをしに来たのだ。
 よそ行きのお面は付けずに、
正直な気持ちで彼女と対峙したい。

 「お花入れの準備ができました」
と係の人の声に促され、
遺族や親族の人たちに続いて、白い菊の花をお棺に入れた。
 親族の女性たちが、
「みいちゃん!」
「みいちゃん!」
と号泣し、彼女の頬をなでていた。

 お棺の中にある顔は、確かに彼女の顔だった。
 ここで私は、はっきりと実感を以って
「彼女は亡くなったのだ」
とわかった。

 そして、
声を上げてわんわん泣いた。

 今までは、「葬式」なんて、
形骸化した古い儀式だと思っていたが、
そうじゃなかった。

 大事な人が「確かに亡くなったのだ」と確認し、
しっかりお別れし、残された者の気持ちを
「さようなら」というものに持っていく、という、
大事なけじめとして、必要なことだったのだ。

 たくさん泣いて、
手を合わせて霊柩車を見送った後、
私は、ある意味、晴れ晴れとした気分になった。

 これが「お祭り」ということか。
 これが「冠婚葬祭」の意味だったのか。

 その晩、テレビで末期の乳がんの女性のドキュメンタリーを放送していた。
 亡くなった彼女と同じ状況だった。

 テレビの中の女性は、薬の副作用で頭髪が抜け、カツラをつけていた。
 そして、鼻の下に酸素を送る管をつけていた。

 そうか。
 お別れの時に見た彼女の顔にも、
鼻の下にかすかに赤い跡が付いていた。
 彼女も鼻の下にずっと酸素の管を付けていたのか。
 そういえば、髪も作り物のようにツヤツヤだったが、
あれはカツラだったのか。
 彼女も髪が抜けてしまっていたのか。

 病に苦しんでいた彼女の姿がリアルに浮かび、胸が詰まった。

 「闘病」という単なる頭の中だけのイメージが、
五感の実感として迫ってきたのだ。

 「苦しかったけど、やっと楽になれたんだね」
 「ゆっくり休んで、のんびりやってね」
 「来世でも友達になろうぜ!」

 私は、友を気持ちよく送れた。
 胸の奥にある、どうしようもない淋しさは、拭いきれないが、
ちゃんと「さよなら」を言えた。

 そして、

 人生は短いんだから、今を楽しく生きること、
ウジウジと後ろ向きになったり、人を批判したりしていないで、
気持ちよく前向きに生きること、
ちゃんと真面目に生きていれば、子供たちは、まっとうに育つのだ、
ということを、

彼女に教えてもらった。

 ありがとう!
 かけがえのない友よ!

 そして、爽やかに、

 さようなら!


       (了)


(しその草いきれ)2007.7.24 あかじそ作