「 白井先生 」

 以前から本当に私に影響を与えてくれている、
次男の親友白井君。
 彼は、この8月に13歳の誕生日を迎えたが、
私にとっては、人生を変えてくれた師匠である。

 41歳の私よりも、
ある意味、よっぽど人生の知己に富み、
上手に世を渡れる先生なのだ。

 今までの私の考え方は、
「基本我慢」で、
「楽しいこと」や「やりたいこと」「行きたいところ」は、
経済的な理由や、子育て中だということで、封印してきた。

 しかし、だ。

 白井式人生は、そうじゃない。

 「基本楽しく」で、
「大変なこと」や「しなくちゃいけないこと」「厳しい環境」は、
「旨い一皿」の中の「ピリッとした薬味」でしかない。

 つまり、何かつらいことが自分に起きたとすると、
「基本我慢」の人は、
「はい、ストレス一丁追加!」として受け止め、
これもまた我慢我慢、と、
ますます精神的な負担を増やしていく。

 ところが、白井式は、
基本的に毎日楽しいことで頭の中を充満させているから、
同じようなつらいことが起きても、
「ああ、スパイシー」としか感じず、
むしろ、甘いばかりの人生にピリッと薬味をきかせてくれるナイスな出来事、
と受け止めて、旨い旨いと味わってしまうのだった。

 これは、すごいことだ。
 そして、すばらしい生き方だ。
 インド式計算くらい、すごい。

 いつもいつも頑張っていて、
頑張りすぎてテンパッテいて、
イライラして、不機嫌で、
情緒不安定で、哀しくてつらくて、しんどくて、
みたいな毎日を、41年間も過ごしてきた私にとって、
これは、もう、
画期的な生き方の見本なのだった。


 大体、白井先生は、「テツ」(鉄道マニア)で、
常に週末の旅行を予定している。

 旅行、といったって、
いつもいつも贅沢な旅行というわけではない。
 彼は、速い新幹線に興味は無い。
 鈍行列車をこよなく愛し、むしろケチケチ旅行を好む。

 「山手線一周の旅」とか、「江ノ島電鉄で一日回る」とか、
そういうものがお好みらしい。

 もちろん、夏休みは、家族で
「北斗星で北海道、旭山動物園」
とか、そういうこともしている。

 聞けば、白井君のお父さんも「テツ」で、
白井君は、その影響を色濃く受けているらしい。

 この夏休みの北海道旅行のエピソードを次男伝いに聞くと、
「何年も楽しみしていた【北斗星】乗車なのに、
お父さんは家族と離れて店でビールを飲みすぎ、
1人だけ乗り遅れそうになった」
などという、超ゆるゆるな調子である。

 ゆるゆるで、お笑いのセンスがある「テツ」のお父さん。
 そして、影響で、「お父さんの小さい版」になっている白井君。
 また、そのふたりを何も言わず見守るお母さんと妹。

 私は、あくまで、次男がポツッと話すことばからしか、
彼ら家族のことは知らないが、
「心配性のあまり、
こどもの行く先行く先を先回りして禁止し続けてきた私」や、
「それを放置している夫」が構成する家族よりも、
よっぽど健全な家族だと思う。


 さて先日、長男次男白井君の所属する吹奏楽部で、
ちょっとしたトラブルから顧問の鬼教師が激怒し、
次男と白井君をコテンパンにどやしつけたらしい。

 その鬼顧問の叱り方というのが、
教育委員会に訴えたら確実にクビになるんじゃないか、
というくらい、子供の人格を否定し、
自分への忠誠を誓わせるもので、
おとなしく優等生的な長男も、この3年間、
濡れ衣を着せられて一方的に制裁されたり、
顧問の指示で部員たちにシメられたりして、
何度も心身症状を起こすほどだった。

 部員は、大抵、みな、おどおどしている。
 顧問に対して揉み手し、うまく振舞わないと、
顧問の気が済むまで個人攻撃され、
成績とは関係なく、音楽の成績に×を付けられるのだった。

 初めて顧問の鉄拳を浴びた次男は、打ちのめされ、
がっくりと落ち込んでいると、
後ろから白井君が「だ〜れだ?!」と言って、
自分の両手で次男の耳をふさぎ、
「あ、ふさぐトコ間違えた」
と笑ったらしい。

 白井君の方がこっぴどく叱られたというのに、
次男は、「もうダメだ、退部しかないのか」と沈んでいて、
当の白井君は、
「聞く耳持ちませ〜ん」
と、ヘラヘラ受け流しているのだ。

 そして、白井君は、次男に対し、
「お前はいつも暗いんだよ。
もっと人生楽しく明るく生きろ」
とズバリ言う。

 そのことを次男に聞いた私と長男は、
いたく感心し、
「白井君の言うとおりだ」
と言った。

 さらに私が、
「白井君は、列車で言ったら、『物凄く硬いボディ』って感じかな」
と言うと、長男が、
「いや、柔らかいんだよ」
と訂正した。

 そうかもしれない。

 固い意志や、強い想い、というものは、
案外、内外からの強い力に対して、
ポキッと簡単に折れてしまうものだ。
 私の今までの人生は、これだった。

 しかし、白井君の心は、柔らかい。
 心を強い弱い、という基準で測っていない。
 柔軟でしなやかで、そして屈託が無い。

 いつも楽しい旅の計画で満ち満ちていて、
大事な心の局所をコーティングされているから、
外敵の攻撃が、直接精神的深部に加わることは無い。
 加わったとしても、心自体がクッション性に富んでいるため、
必死に自衛しようと思わなくても、
勝手に力が跳ね返って去って行ってしまう。

 「白井君は、お母さんの心の師匠だよ」

 私が言うと、長男と次男は、うなづいた。

 「うちは、みんな肩に力が入りすぎの一家だから、
先生の方針に素直に従った方がいいね。
 お母さんは、今までずっと、
文学や哲学書や心理学に心の持ちようを探してきたし、
『どうしたら心が強くなれるか』ばかり気にしてきたけれど、
それ自体、もうガチガチなんだよね。
 師匠を見習ってさ、
毎日好きなこと楽しいことで心を満たしてさ、
スカーンと気楽に構えて、
その楽しいことと現実社会との折り合いをつけていく工夫を、また楽しんで、
そういうことの方が、案外大事なのかもしれないよ」

 息子たちは、黙ってうなづいた。


 週末ごとにどこかに出掛けて、
小さな発見をたくさん経験し、
その土産話を次男にしながら、
体験を反芻し、二度三度楽しむ白井先生。

 私も先生のようになろうと、
つねに心に楽しい計画をひとつ持つことにした。

 そしてこの夏、
私は、人生の方向転換をしようと、
大きく舵をきった。


 夏休み中、子供たちを引き連れて、
ふらりと鈍行列車に乗り、日光まで行ってみた。

 激安バスツアーにも参加してみた。

 行きたいところに、行きたいときに行ってみた。
 いたずらに我慢するのをやめてみた。

 すると、別に何をどうした、というわけではないけれど、
ここ数ヶ月、心が軽いったらない。

 いつも心にべったりと張り付いていた、
あの不安やあせりや憂鬱やイラつきが無い。

 どんなにもがいても解けなかった、
40年間心を縛っていたロープを、
通りすがりの13歳の白井君が、
気まぐれにポロッとほどいて、
スキップして行ってしまった。

 ありがとよ〜〜〜!
 本当に、ありがとよ、白井君!
 いや、白井先生!

 あなたは、ボロボロの時刻表を片手に、
クリクリの瞳で「ちわ〜す」なんて挨拶してくるけれど、
友達のお母さんの人生を変えたなんていう自覚もなければ、
自負もなく、
今日も週末の旅のことで、
頭がいっぱいなんだろうなあ。



   (了)
(しその草いきれ)2007.9.11.あかじそ作