「 職人ファイブ 」

 数年前の中越地震のとき、
うちの方は、震度5強だった。
 新潟に近い石川県に住む夫のふるさとでは、
ほとんど揺れなかったのに、
関東地方にある我が家の方が大揺れだった。

 地震の次の朝、
ふと、台所のコンセントに電子レンジのコンセントを挿そうとしてびっくりした。
 コンセントカバーが、真ん中から真っ二つに割れていたのだ。
 そのコンセントの裏側には、風呂場があった。
 もしやと思って、風呂場に入って壁を見ると、
壁という壁のタイルに、ひどい亀裂が入り、
気持ち内側に壁全体が膨らんでいるのだった。

 「地震で壁が割れた!」

 ただでさえ地盤沈下で風呂場方面が沈んでいたのに、
この地震で、危機的状況になってきた。
 それでも、予算的な関係で、ずっと直せずにいて、
「いつ家が壊れる」「いつ2階が落ちる」と、
おどおどして数年間暮らしていた。

 そこへ、また、新潟の地震。

 朝起きたら、風呂場の床のタイルが
直径30cmほど盛り上がり、割れていた。

 「来た! いよいよヤバイ!」

 壁は見て見ぬ振りできたが、
床はそうはいかなかった。
 水が漏れるから一応応急処置をしてセメントで埋めておこうと思ったが、
もしかしたら、これはもう、一刻を争うほどの危なさかもしれない。

 いつまたグラッと来て、
家族が入浴中に家の下敷きになるかわからない。

 ヤバイヤバイヤバイヤバイ。

 夫の知り合いの水道屋の社長さんに電話して、
どうしたらいいか聞くことにした。

 夫は、以前、地元の不動産屋の総務で、パソコン管理をしていた。
 そこの社長がバブル時代の感覚で強気強気で強引に事業を拡大し、
結局不渡りを出して夜逃げしたため、
会社はつぶれ、夫ら、社員一同は路頭に迷うことになったのだった。
 傲慢な社長は、下請けの工務店や中小業者をあごで使い、
王様気分で踏ん反り返っていたが、
社員たちと下請け業者のおじさんたちは、
「社長という共通の悪者」がいたため、
妙に仲良かったという。

 そんなわけで、築30年の我が家があちこち壊れ、
屋根が壊れた、といえば、かつて下請けだった瓦屋さんに見てもらい、
水道の調子が悪いと言えば、水道屋の社長に相談し、
床が沈んだ、といえば、工務店のおじさんに見てもらっていたのだった。

 そのおじさんたちは、みな、
社長と言っても、ほとんどが個人事業主で、
いつもどこか大手の会社の下請けの仕事をもらっている。
 
 下請けというのは、辛いもので、
親会社のめちゃくちゃな要求に応えないと、
すぐに切り捨てられ、次の仕事がもらえなくなるので、
泣く泣くしんどい仕事を強いられている。
 薄い利益で腰低く、
それでも、きっちりと職人の意地で仕事を仕上げていく。

 親会社の傲慢さに、耐えがたい屈辱を感じることも多いだろう。
 職人気質の性格で、きっちり仕事をしているというのに、
金に物言わせるヤツにプライドを傷つけられるのは、
本当にしのびない。
 
 しかし、仕事をもらうために、
明日も、生きていくために、
家族を食わせていくために、
ぐっとこらえて、泥だらけになって働くのだ。

 私も葬儀屋の下請け会社で働いていたが、
親会社にミスをなすり付けられ、
上役にもかばってもらえず、
悔しさのあまり具合が悪くなって、仕事をやめた経験がある。

 だから、下請けとして生きている彼らおじちゃんたちを尊敬している。
 自分には、とても真似できないと思う。

 
 話はそれまくったが、
今回も、そういうわけで、水道屋の社長に相談したのだった。

 社長は、若い職人さんをひとり連れてやってきて、
家の外から基礎を見たり、風呂場の壁を見て、
「基礎はしっかりしているけど、床下が腐ってるなあ」
と言った。
 直すとしても、こちらの予算がせいぜい5、60万円だと告げると、
「リタイアしている大工のおじさんに頼めば、安くできるよ」
と、大工のオダさんを紹介してくれた。

 オダさんは、すぐに見積書を作って駆けつけてくれた。
 床下や壁が腐っているのを直して、
一番プレーンなユニットバスを入れると、
どうしても100万円は超えてしまうのだが、
水道の社長がユニットバスを原価で譲ってくれるということで、
全部込みで85万円にできると言った。

 そもそも水周りの修繕に5、60万円という予算は低すぎだろうなあ、とは思っていたが、
やはり、原価でやってもらってもそれだけかかってしまうのか、
と愕然としてしまった。

 壁も床も、明らかに素人工事で塗ったり張ったりして直してあり、
障子もふすまもボロボロで、
小さい子供がバタバタ走り抜けていく茶の間で、
アカンボを抱いた私と話していたオダさんは、
「奥さん、大変だよなあ、この予算で無理なら、断ってもいいんだよ」
と、心底同情してくれた。
 「もう少し安くできるってことはありますかね」
と私が聞くと、
「もうどこも削るところがないけど、
まあ、俺の工賃から5万円引けば何とか80万円までは・・・・・・」
と、泣かせることを言う。

 「いえいえ、そんなことは出来ませんよ。そんな・・・・・・」

 と、お互い、互いの立場がわかりすぎて、
「いえいえ」「いえいえ」ばかり言ってばかりで、
その日は終わった。

 そんなことをやっている間にも、
風呂場の床の穴はどんどん大きくなってき、
壁の亀裂はビリビリ裂けて行った。

 こんなことしていられん!
 命の問題じゃ!

 夫と相談し、結局、85万円でお願いすることにした。
 ただし、今使っている風呂釜をそのまま生かしてもらい、
風呂釜代約20万円を浮かすことができた。

 予算的にも、工事内容的にも、
無理をたくさん聞いてもらって、
いよいよ工事は始まった。

 とはいえ、我が家は、住宅密集地の奥の奥にあり、
風呂場は、更に奥の細い路地の奥にあった。

 古い風呂場を解体し、瓦礫を運び出すにも、
新しい材料を運び込むにも、
幅90センチほどの細い路地を延々20メートルほど通らなければならず、
恐ろしくめんどくさい現場なのであった。

 そこを、大工のオダさんと、
水道屋の若い職人タケさんは、
よいしょよいしょ、わっせわっせ、と、
嫌な顔ひとつせず働いてくれた。

 さて、工事開始一日目。
 解体は一日で終わった。
 そして、大工のオダさんいわく、
「危なかったね」
ということだった。

 古い家にしては、基礎がしっかりしていて、痛んでいなかったが、
一番大事な太い梁を支えていた柱が、
木食い虫に食われてふかふかになっていた。
 
 2階を支えていなければいけない大事な柱が、
手で触るとぽろぽろ崩れてくる恐ろしさ。

 オダさんは、翌日すぐに梁を支える新しい柱を作ってくれて、
形骸化した筋交いを取って、新しく丈夫な筋交いを付けてくれた。

 壁が割れたり、床が抜けたりするのも当然だ。
 2階がじわじわ落ちてきていたのだから!

 昭和的でボロボロな我が家に、
新しいユニットバスは、ちょっと贅沢かな、と思っていたけれど、
結果的には、直してみてよかった。
 壁を開けてみなければ、この危機的状態はわからなかった。

 直していなければ、きっと、
次の大きな地震には耐えられなかっただろう。

 ところで、職人さんたちのチームワークときたら、
ほれぼれするほどだった。

 60代の大工オダさんと、若い水道職人タケさんが、
ふたりがかりでテンポ良く解体し、
オダさんが木工事をする間に、タケさんが瓦礫を運び出し、
タケさんが水道の配管をしている間に、オダさんが材木を搬入し、
オダさんが釘を打っている間に、タケさんはコンクリートを練り、
タケさんがコンクリをうっている間に、オダさんは廃材を運び出す。

 工事中、家の裏で薬の錠剤を拾った夫が、
そこにいたタケさんに「これ落としましたか」と聞くと、
「あ、僕のです、すいません」
と言って受け取っていたが、
あれは、私の勘違いでなければ、確か、心臓の薬だ。

 後で聞いたら、やはり、
若いタケさんは、心臓の持病があるのだった。

 心臓が悪いのに、あんなにキツイ搬出作業をさせてしまって・・・・・・
 ほとんどタダ働きで・・・・・・

 工事中、家の外壁にピキーッと縦に一本、
年季の入った亀裂があるのを見つけたオダさんは、
雨水が入らないようにパテで全部埋めてくれた。

 小雨が降ってくる中、
もう夕方5時を過ぎているのに、
裏で何をやっているのかしら、と思っていたが、
黙ってそんなことまでやってくれていたとは。

 本当に本当に、彼らには、頭が上がらない。


 数日後、ユニットバスの業者の若いお兄さんが来て、
半日がかりでどんどん組み立てていったのだが、
途中、
「ええ〜〜〜っ!」
「オダさん、これって9ミリもですよねえ」
「ああ〜〜〜っ! まじかよ!」
と、何度も頭を抱えていた。

 うちの風呂は、家の北西の角にあり、
家の角に向かって斜めに沈んでいるため、
どこをとっても、真四角な部分がない。
 壁も床も、柱も天井も、
全部、斜めに9ミリ(0.75坪内で9ミリ!)も傾いているのだった。

 工事後、
「うち、斜めに沈んでるから大変だったでしょう?」
と、職人のお兄さんに聞くと、
茶髪で割とイケメンのお兄さんは、
「いやあ、事前に採寸して斜めにカットしてきたんですけど、
思った以上に斜めでしたねえ」
と、引きつった笑顔で頭を掻いた。

 しかし、出来あがったユニットバスは、完璧で、
本当に斜めなところに付けたのかしら、と思うくらい、
ビシッと四角くはまっていた。

 「すごいなあ。面倒な工事だったのに、完璧ですねえ。
どうもありがとうございました〜!」
と言うと、お兄さんは、
「ちぃす」
と照れくさそうに頭を下げた。

 毎日、来てくれる職人さんに
缶入りの緑茶を手渡していたのだが、
お兄さんは、その缶を受け取ると、
「ういす」
と頭の上に掲げて礼を言い、
見事な段取りでササ〜ッと片付けて帰って行った。

 翌日は、70歳をゆうに超えた電気屋のおじいさんが来て、
早朝からササササ〜ッと電気工事を仕上げて行った。

 オダさんが付き添って来て、簡単に説明したのだが、
いかんせんおじいさんは耳が遠いので、
「○○さ〜ん! ここのスイッチだけどね〜〜〜!!!」
と、大声での打ち合わせだった。

 古臭い肌色のスイッチだったうちの風呂が、
今風の「オフの時暗くても位置がわかるライト付きのスイッチ」にかわった。

 帰りにいつもの缶入り緑茶を渡すと、
「お、お駄賃だ〜」
と、しわしわな顔で笑った。
 おじいさんは、そのしわしわな顔のまま、
はしごや大型設備満載のドでかいトラックに乗り込み、
颯爽と幹線道路へと走り去っていった。

 おじいさんが帰った後に気づいたのだが、
オマケで洗面所のスイッチまで新しいものに換えてくれていた。

 夫が帰宅後、
「電気屋のおじいさん、意外とやるねえ」
と言うと、
「おじいさんって、あの人、中堅の設備会社の社長だよ」
と夫は言った。

 とてもそんな風には見えなかったが、
今日ものすごく早朝に工事に来たのも、
大手の親会社の無茶な工事日程の合い間に来てくれたからなのだった。

 あの、のほほんとしたおじいさんも、社長でありながら、
やっぱり、下請けの大変さの中で生きているのだ。

 その日、オダさんから折り入って頼みがある、と言われた。
 新しい窓を付けたら、
今までのガス釜の取り付け位置が変わってしまうから、
都市ガスの会社に配管を頼んでくれないか、という。

 「私が電話するんですか?」
と聞くと、
「お願いできますか」
と、頭を下げるオダさん。
 「お客さんに対しては感じいいけど、
業者に対しては、態度ひどいんだよ、都市ガスは。
 プロパン屋さんはタダですぐにやってくれるのに、
都市ガスさんは、忙しいから無理だね、って威張ってて、
頼んだ日付に来てくれないし、お金取るしね」
と、哀しそうに言う。

 やはり、下請けの個人業者は弱い立場で大変そうだ。

 私がすぐにガス会社に電話すると、
感じのいい対応で、工事を請けてくれた。

 後日、水道屋のタケさんがガス釜の水道管部分を取り付けに来たとき、
何とかガスの管も届いたため、
結局ガス工事はしないで済んだのだが、
釜移動後のガス漏れチェックに来た男性は、
「お兄さん」と「おじさん」のちょうど狭間にいる感じの人で、
妙におどおどしていた。

 オダさんから聞いていた「感じの悪い大手」というイメージとはかけ離れた、
物凄くおどおどした「外回りセールス兼技術者」といった立場の人のようだった。

 物凄く下っ端なのだろう。
 中途採用の見習い外回り技術者、なのだろう。

 一匹狼で生き抜いてきた職人たちとガス釜のことで話し合っていたが、
やはり、物凄くおどおどしていた。

 彼もガス職人である。

 しかし、下っ端サラリーマン職人であり、
一匹狼の個人事業主職人たちとは、
あきらかに違う人種の生き物であった。

 今まで、オダさんたちを通じて、
「下請け職人の大変さ」
をしみじみ感じ入っていたが、
サラリーマン職人も、なかなかに切ない感じがした。

 大きな会社の中でこんなに切ない想いをするくらいなら、
貧乏しても、まだ一匹狼の方が潔いのではないか、とさえ思ってしまった。

 ああ、サラリーマン職人も、厳しい稼業ときたもんだ。

 さて、工事も終わって、
我が家には、ピカピカなユニットバスが入った。
 新しい丈夫な柱も入った。

 しかし、オダさんは、なかなか代金支払いの請求をしてこないので、
こちらから話を振ってみた。

 すると、やはり、今日で工事は終わりで、
今日支払ってもらえると助かる、という話だった。

 私は、あちこちの銀行口座からかき集めた85万円を封筒に詰めた。
 そして、毎日顔を出してくれたオダさんとタケさんに
1万円づつお礼に包んだ。

 本当はもっと包みたいくらい感謝の気持ちでいっぱいだったが、
それがもう、うちには限界だった。

 オダさんが、
「奥さん、工事終わりました」
と言ってきたので、
「ありがとうございました。お疲れ様でした」
と、三つ指ついてお礼をした。

 代金85万を手渡すと、
「本当に85万円いただいてしまっていいんですか?」
と言うので、
「こちらこそ85万円でいいんですか?」
と恐縮してしまった。

 領収証を受け取り、お茶を出して一服しながら
「奥まった立地だし、斜めの家で大変だったでしょう?」
などと雑談する中、
オダさんは、
「いやしかし、奥さん、これから楽しみですね。お子さんみんないい子ばかりで」
と言う。

 「いやいや、みんなキカンボウで困ってますよ」
と私が言うと、オダさんは、
「いや、私仕事柄いろんな家に上がりこんでますけどね、
お宅は、会話なんか聞こえてきても、凄くみんないい子だってのがわかりますよ」
と言う。

 確かに、うちの子たちは、仕事場を覗いては、
「こんちは〜!」
と、人懐っこく声を掛けたり、
「ばいば〜い!」
と手を振ったりしていた。

 アカンボのオムツを換えたり、
おんぶしてあやしたりしていた。

 職人さんに自転車を出してもらって、
「ありがとうございます」
と頭を下げていた。

 「お母さん、ただいま」
と言っていた。
 「雨降ってきたよ。洗濯物入れて来ようか」
とも言っていた。

 そうか。
 今まで子供の困ったところばかり気になって、
いつもいつもお小言ばかり言ってきたが、
案外うちの連中は、いい子なのかもしれないぞ。


 帰っていくオダさんに、深々と頭を下げて見送ると、
「ご主人によろしくね」
と言い、アカンボに
「バイバ〜イ」
と手を振り、
「何か不具合が出たらすぐ言ってね」
と言って、帰って行った。

 そして、前へ向き直り、
門を出て行く時、
オダさんは、小さく、「よし」と言った。

 よ! 職人!

 大工のオダさん、
水道屋のタケさん、
ユニットバス屋のイケメン兄ちゃん、
設備屋のじいちゃん社長、
そして、ついでに弱気なサラリーマンガス技術者さん、
彼らは、私に職人の世界をちらりと見せてくれました。

 そして、爽やかな気分を味わわせてくれました。
 真新しい浴室と共に。

 さあ行け! 職人ファイブ!

 不況なんかに負けるな!
 専門職万歳!
 スペシャリスト最高!
 プロの、プライドを賭けた仕事、
しかと見届けたぞよ〜〜〜っ!



  (了)

(しその草いきれ)2007.10.23.あかじそ作