「 頭出し 」 |
外出から帰ると、自宅の郵便受けには、 あふれるほどのダイレクトメールが入っていた。 それをごそっと右手で掻き出して小脇に抱え、 左手でバッグの中の家の鍵を探り出していると、 ぽとり、何かが下に落ちた。 それは、A4サイズの茶封筒で、何だかやけに膨らんでいる。 「おや、田舎からまた何か送ってきたのかな」 と思いつつ、鍵を持つ手で拾い上げてみると、 何かもっこりと柔らかいものが中に入っているようだった。 部屋に入り、その茶封筒の差出人を見ると、 裏には、何も書いていない。 表書きは、活字の印字されたシールが貼ってあり、私宛てになっている。 「何だろ」 びりびりと封筒を破りながら開けてみると、 そこには、黄色いレンズのサングラスと耳栓、 オモリの入った関節用サポーター4枚が入っていて、 同封の便箋には、 「頭出しセット」 とだけ書いてあった。 「誰だろ、こんなものを送りつけるのは?」 と思いつつも、手は無意識にメガネと耳栓を装着し始めていた。 こんなことをするのは、きっと学生時代の悪友サチヨに決まっている。 何かにつけて今自分の凝っているものを人に送りつけてきて、 面白いからやってごらん、と言ってくるのだ。 黄色いサングラスに、耳栓、 両肘と両膝にオモリ入りのサポーターを付け終わると、 何だか、どっと体が重くなり、 立っているのがしんどくなってきた。 電気をまだ点けていない夕暮れ時のリビングで、 黄色い視界ではろくにものも見えず、 耳栓のせいで何も聞こえず、 サポーターをはめた手足が重くてだるくて、 思わず、椅子にどかっと腰掛けて「ううう」とうめいてしまった。 「何なのサチヨ、今回のこれは!」 耳が聞こえないので、気づかぬうちに物凄く大きな声を出していたようだ。 いつの間にか誰かが真後ろに立っていて、 「○△×◇*?」 と、不審な顔で私に何か問いかけている。 「えええ? 何? 何だってえ?」 何て言ってる? というか、あんた、誰? 暗いし、黄色いし、顔がよく見えない。 「誰?」 と言いながら相手を指差そうとしたが、 腕が重くて肩より上にあがりゃあしない。 「あああああ、ダメだ、こりゃ。外そう」 と、サングラスを外そうとしたが、腕がどんどん重くなってきて、 目のところまで持ち上げられず、外せない。 同じく耳栓も、腕が上がらないので、外せない。 手も足もどんどんどんどん重くなってくる。 しばらく、じたばたとしていたが、 そのうち、見えない聞こえない、で、現状を把握できなくなってきた。 頭がぼんやりしてきて、何だか眠くなってきた。 ダメだ、1回寝よう。 私は、ダイニングテーブルに突っ伏して、すぐに眠ってしまった。 そして、目が覚めたら、やはり視界は黄色いし、音は聞こえない。 腕も足の関節も重い。 力を振り絞って腕を持ち上げ、 サングラスを外そうと思ったら、 サングラスなどは掛けていなかった。 そして、耳の穴に指を入れてみても、 やはり、耳栓などは入っていないのだった。 実際、ほとんど聞こえないというのに。 改めて腕やひざなどを見てみても、 サポーターなどしていない。 裸眼に耳栓なし、オモリ無しなのに、 先ほどのように見えない、聞こえない、体が重い、ままなのだ。 「んんん?」 不思議に思ったが、 何だか、もうそんなことはどうでもいいような気になってきた。 細かいことは、あまり気にならないのだ。 ぼんやり見えて、ぼんやり聞こえて、 手足は重いけど、一応動く。 そして、何より、何だか浮世離れしたぼんやり感が常にある。 頭の中が、ぽわ〜っ、としている。 「○△×ちゃん・・・○△・・・ちゃん、○あちゃん、ったら! おばあちゃん!」 体を揺さぶられ、名を呼ばれていたのは、私だった。 「大丈夫? 寝てただけ? ああ、びっくりさせないでよ、もう!」 白髪頭の娘が切羽詰った顔で私の肩を押した。 「何だよ、死んだと思ったかい?」 私は、ケケケと笑ってから「よいしょ」と立ち上がり、 自分の部屋へと歩いていった。 「えっと・・・・・・」 何か、大事なことがあったような気がしたが、忘れた。 「何かボタンを押したような」 そうだった。 私は、何かのボタンを押したような気がする。 確か、「頭出し」と書いてあるボタンを。 「スキップ」とか、「頭出し」とか、そんなことが書いてあるボタンを、 夢の中で押したような気が・・・・・・ それから、体の動きが急にコマ送りになったり、 時間を飛び越えたりして、 そして、急に年寄りになっているのだ。 さっきまで31歳だったのに。 そういえば、さっき、 5歳のはずの娘が白髪のおばさんだったが、 それでも娘だとすぐわかった。 自分が急に年寄りになったのだ、ということも、 すぐに理解し、納得できた。 私は、きっと、 自分の意志で「人生の頭出し」をしたのだ。 子育てがしんどいあまりに、 年をとってもいいから、育児をもう卒業したいと思ったのだろう。 もう、子育てをしなくていい、働かなくてもいい、 隠居生活になりたいと、願っていたのだろう。 隠居部屋の窓からは、西日が強く入り込み、 秋だというのに、暑いくらいだ。 小さなテレビを付けて、お茶をすすりながら、 水戸黄門を見た。 孫がくれた修学旅行の土産の湯のみには、 「おばあちゃん、いつまでも元気で」 と書いてある。 ああ、私、きっと、今が楽。 でも、どこかに何かを置き忘れてきたような気もする。 それは、何だろう。 ああ、思い出せない。 ・・・・・・でも、まあ、いいか。 もうすぐ人生も終わるのだから。 難しいことは考えないのだ。 人生をスキップさせて、 一足飛びで楽してクリアしてきたんだから、 得したはずだもの。 楽して、ゴール近くまでワープしてきたんだもの。 幸せなはずよ、私、きっと。 (了) |
(小さなお話)2007.11.6.あかじそ作 |