「 平成枯れすすき 」

 高校生の時に、友人の紹介で、
スーパーのギフトセンターでアルバイトをしたのが、
私の「仕事始め」だった。

 以後、どこのバイト先に行っても可愛がられ、
人間関係も良好な中、
いろいろな仕事を覚えていった。

 ところが。

 なぜか、夫と知り合ってから、
どうも仕事運が無くなってしまった。
 ずっと「夫」と「私の仕事運」とは無関係だと思っていたのだが、
よくよく考えてみると、
やはり、どう考えても無関係とは言えなくなってくる。

 どんな仕事先にも嫌な人がいて、
嫌な思いをするのは仕方ないことだし、
そういうことを乗り越えることでプロになれるし、
人間的にも成長できるのだと思うが、
しかし、それにしても、
夫と付き合う前と、付き合った後での、
職場の人間関係は、尋常じゃないほど正反対だった。

 どの職に就いても、
絵に描いたような悪役がいて、
必ずそいつに目を付けられ、
エキセントリックな嫌がらせを受けてしまう。

 そして、そのたび、
我慢に我慢を重ねた末、
神経をすり減らし、心を病み、
結局病気になって退職せざるを得なくなる。

 トラウマがトラウマを生み、
人間不信でうつ状態になることもしばしばだ。

 うまくいった職場でも、
やっと軌道に乗ったなあ、といったところで、
仕事中に事故にあったりして、
退職に追い込まれてしまう。

 これは、きっと、
私自身に何らかの原因があるのではないか、
私が、性格的におかしいのではないか、
と、ずっと悩み続けてきたが、
しかし、金がらみでない学校役員とか近所づきあいとかでは、
意外と上手くやっていけているのである。

 金が絡むと、いきなり困難な状況になってしまうのだ。

 ハタチまでは、金遣いの荒い親の元、
美味しいものを食べ、行きたいところへ行き、
進みたい進路に進み、したいことをしてきて、
金銭的に恵まれた環境にいた私だったが、
夫と付き合いだしたとたんに、
パッタリと「お金」との縁が切れてしまった。


 うちの茶の間には、

 「子に過ぎたる宝なし」

という文字の書かれた、
100円均一で買った布の掛け軸が掛かっているのだが、
実は、答えは、これなのかもしれない。


 夫は、私に5人もの子宝を授けてくれた。
 これは、私や夫にとっては、
身に余る財産なのであって、
これ以上のものは、持てないようになっているのではないか、と。

 もし、前世というものがあるのなら、
私は、相当な金持ちで、
地位も名誉も持ち合わせ、
そして、家族や愛情に恵まれなかった人間だったのではないか。

 もし、次に生まれるときは、
金も要らなきゃ名誉も要らぬ、
私ゃ、も少し愛が欲しい、家族が欲しい、
と、いまわの際で熱望したのではないか?

 それで今回のこの人生。

 これは、きっと、本望だろう。
 「その人」にとっては、夢のような生活だ。

 思えば、私の結婚生活、
人並みに困難を乗り越え、
人並みに幸せも感じ、
人並みに大人になってきたように思う。

 人並みでなかったのは、「経済力」だけだ。

 逆に言ったら、
「金以外は、ほとんど揃っている」
のかもしれない。

 でも時々、本当に、
貧乏に押しつぶされそうになる。

 不安で、つぶれそうになる。


 私も、働くのは嫌いじゃないので、
どんどん働きたいのだが、
勤めに出ると、
先に書いたような理由で、必ず病気になる。

 夫も、ここ数年、
ほとんど休みなく働いているのに、
半分ボランティアのように安い月謝で教室を運営しているせいか、
ワーキングプア状態。

 頭の中に、
♪貧〜しさに〜、負けたぁ〜〜〜♪
♪いいえ、世間に、負けたぁ〜〜〜♪
という「昭和枯れすすき」の一節が流れてくる。

 もう、貯金の切り崩し生活も限界、
両親からの援助も限界、
節約だけで生き延びるには、
限界がきている。

 来年度からは、
長男が高校に進学するし、
その前に、受験では、
実力以上の公立を受けたいと言い張っている。
 落ちたら、年間100万円以上かかる私立高校に行くことになる。

 「受かる公立受けてくれよ〜」
と、必死に説得しても、
夫の家系特有の
「言い出したら聞かない」「反対されると意固地になる」
というものが働いて、志望校を高めに設定したままだ。

 家計の現状を説明しても、
「でもなんとかなるだろう」
と思っている様子。

 ならないの!
 もう、なんともならないのよ!

 もう、弾(現金)が無いの!

 後ろ盾も無いのよ!

 「金運」とか言ってる場合では無い。
 家の中のこともろくに出来ないのに、
家の中のことを後回しにしてまでも、
生きるための糧を、おもてに獲りにいかねばならぬ。

 子供5人を食わせねばならぬ。
 子供が受けたいと願う教育を受けさせねばならぬ。

 うぬぬぬぬぬぬぬぬ!!!


 夫のいとこ(私と同い年の女性)は、
亭主の浮気が原因で離婚し、
女手ひとつで3人の子供を育てていたが、
子供たちは、高校を出てすぐに勤めだし、
今は、お母さんを助けている。
 みんなで少しづつお金を持ち寄って、
カラオケだ旅行だ、と、
毎日ささやかながら楽しく暮らしているという。

 うまく回っている。


 ああ、「働く」って、何だろう。

 「お金」って、何なのだろう。


 人間らしく生きるために、
子供たちをきちんと育てるためには、
働いて、お金を稼がなければならない。

 しかし、お金を稼ぐために、
自分の赤ん坊を他人に預けなければならない。
 家の中の事を、後回しにすることもある。

 人間らしさを求めるための「労働」が、
人間らしい暮らしを奪う、ということもある。


  「お金」は、必要。
 でも、そのために、
自分の宝である「子供」をナイガシロにしてはならない。
 でも、その「宝」の生命の維持には、
「お金」が必要。

 どう解く、この問題を。


 働くことは、やぶさかではない。
 いや、むしろ労働は、好きだ。

 しかし、やっかいなことに、私という人間は、
何でも納得しなけば先に進めない、
めんどくさい人間なのだ。

 「お金」の役割、
「働く」ということの意味、
一番大事なものを守るために、
どういう働き方がいいのか?

 いちいち全部納得してから働かきださないと、
また病気になってしまうだろう。


 これは、愚痴なのか?
 はたまた、いつの世にも通じるテーマなのか?

 ああ、今日も聴こえる、
あのメロディが・・・・・・。

 ♪貧〜しさに〜負けた〜〜〜♪

 ああ、貧しさに負けたくも無いし、
「貧富」なんてものと勝負したくもない。

 もっと違う次元で、
シンプルかつ崇高に、
生きていきたいものだ。

 通貨と関係ない生物に生まれて、
ただただ子孫存続のために生きていきたいなあ。

 はい、今、完全に愚痴になりました。 <(_ _)>


   (了)

(しその草いきれ)2007.11.27.あかじそ作