「 七面鏡 」 |
【子は親を映す鏡】と言うが、 子供が5人いると、さすがに鏡が多すぎてまぶしい。 ましてや、すぐそばに両親が住んでいて、 連日その特徴的な性格をぐいぐい押し付けてくるとなれば、 子供5人+親2人=計7人の「血を分けた人」たちが、 うっとおしい鏡となって、私の両の目に ギランギランいろんなものを反射してくる。 いついかなるときも、 あっちを向いてもこっちを見ても、 自分と似ている部分を持つ人が、 あんな嫌なこと、こんな嫌なことをやってのける。 もちろん、いいところもたくさんあり、 総合的に見ればいい連中なのだが、 生活している中で「どうなんだろう、これは」 という性格に閉口することも多い。 そのどの性格も、 自分の中に確かに存在している特長と バッチリおんなじだったりすると、 彼らの問題行動自体が、 この身に実に痛く感じてしまう。 大体、私は、 遠慮なく現実をいきなり突きつけてくる 「鏡」という思いやりのない物体が大嫌いなのだ! さて、 まずは、長男。 彼は、そもそも夫の父親に似ていて、 細身で神経質なのだが、 確かに私の子供である証拠として、 物凄く口数が多いのである。 父方に似れば、 半端じゃなく口が重いはずなのだが、 その口数だけは母方に似てしまい、 物凄くしゃべる。 寝ているか食べているとき以外は、 大体、マシンガンのように何かを語っている。 感じたこと、思ったことを、 今、このとき、ここにいる人たちに、 伝えまくる。 反抗期の15歳男子であるにも関わらず、 おしゃべりなせいで、ダンマリがきめられない。 嫌なことがあったときも、 楽しいことがあったことも、 友達関係も、悩みも、喜びも、 とにかく全然包み隠さずしゃべくり倒す。 まあ、それはそれで屈託が無くていいけれど、 問題は、 「あ、その場面でその発言は遠慮した方が」 ということまで、 勢いよく発言してしまう。 自分の感受性のほとばしりにはしゃぐあまり、 周りの空気が読めないときがある。 そのせいで、時にデリカシーに欠けることがあり、 人を傷つけることもある。 例えば、 私が腕によりをかけて作った料理を出した途端に、 「ああ、僕、バアバが作るこれが世界一好きなんだよ!」 と嬉々として叫ぶ。 「バアバの作ったのは、お母さんのより味が濃くて好きなんだ!」 と、その上更に追い討ちをかける。 それは、誰も批判していないし、立派なほめ言葉なのだが、 今、このタイミングではないぞ! ・・・・・・と思う。 これが私だったからいいものの、 バアバにこの反対のことを言ったり、 結婚してから奥さんにこういう発言をしたら、 完全に「嫌なヤツ」じゃないか? この他にも、 悪意は無くても「一言多い」ことで、 兄弟喧嘩のタネになることも多く、 これは、私自身にも非常に思い当たることなのである。 今まで生きてきて、 「一言多い!」と何度注意されてきただろう。 明らかに何だか変な状況で、 誰もそれを指摘しないときなどは、 もう、ツッコミを入れずにはいられなくなり、 周りの空気などお構い無しで ズバッと指摘してしまい、よく親に叱られた。 そりゃあそうなんだけどぉ、 それを言っちゃあおしまいよ、ということが、 世の中にはいっぱいあるんだよ、 と言われれば言われるほど、 「そんなナアナアで生ぬるいものなど、この私の鋭い指摘で、 ビシッと正して明るみにたたき出してやるわい」 くらいに思っていた。 しかし、学生時代にも、社会人になっても、 そんなことをやっていたら・・・・・・ 干された!!! 思いっきりヒンシュクを買って、 なんだてめえ、と言われた。 すべてを見たまま描写し、公然の場で言い放ってしまうのは、 人をケチョンケチョンに傷つけることがある。 鋭いツッコミほど、空気を読んで、言葉を選ばねばならない、 場合によっては、正しいことでも言葉を飲み込むべきだ、 ということを、だんだんと学習していった。 大人になっても時々、調子に乗りすぎて 「やっちまった」ということがあるが、 やはり、それは大人げなく、かっこ悪いことだと思う。 長男に、 「一言多いのは気をつけなさい」 と進言しながらも、 (お前もな!) と、自分に釘を刺す。 自らをきつく戒める鏡の存在を、長男に感じる。 また、次男に対しては、 「好きなことには一心不乱、それ以外は却下」 という部分が、わが身に刺さる。 私もそうだ。 はまっていることに関しては、異常と呼べるほどに熱中するくせに、 日常生活に必要なことでも、 興味の湧かない事、好きでないことは、 まるでできない。 体が全然動かない。 さすがに、次男のように、 「数学のテキストを開くと同時に寝てしまう」 といった器用さは持ち合わせていないが、 私にも、日常でちゃんと出来ないことがある。 やろうと思っても、 本当に体が動かないのだ。 庭の掃除とか、収納の整理とかは、 相当気合を入れないとできない。 でもまあ、それらに関しては、中程度だ。 頑張れば何とかできる。 しかし、 毎日子供を公園で遊ばせる、とか、 家族ぐるみでキャンプに行く、とは、 絶! 対! に! 出来ない。 不可能なのだ。 頑張ってもできない。 いや、それらに関しては、一切頑張れない。 嫌いなことに関しては、 身も心も拒絶反応してしまい、 極端なまでに頑張れない。 自分の中で、ブレーカーが落ちてしまうのだ。 しかし、一応所帯を持って生きているのなら、 嫌なこと、嫌いなこと、興味のないことでも、 大人なのだから、やらなきゃならないこともある。 でも、それができない。 次男に、 「嫌いな数学も勉強しなさい」 と言いながら、 自分自身の嫌いなことからは、目をそむけっぱなし。 定期テストの前日に、 「この中から絶対出る、という数学のプリント」を前にして、 手付かずのまま居眠りしている次男を見て、 「ああ、こいつもブレーカー落ちるタイプか」 と、情けなさがしんみり染み入るばかりだ。 三男は、ひがみっぽい。 そして、依存心が強い。 本当にたちが悪く、 周りに不快感を与えることが多い。 「みんなはいい思いをしているのに、自分だけ酷い目に遭っている」 とか、 「あれしてくれない」「これしてくれない」 とか、 「自分はあんなにしてやったのに、あいつは何もしてくれない」 とか、人に対して、恨みつらみばかり言う。 もちろん、彼は、 人一倍頑張り屋だったり、親切だったりと、 いいところもたくさんあるのだが、 恨みつらみばかり言っているので、 みんな帳消しにされてしまう。 いつもいつも、 「見返りを期待した親切なんてダメ」 「誰かに何かしてもらおう、という考えを捨てなさい」 「被害妄想はやめなさい」 と、口を酸っぱくして言っているのだが、 でも、よく考えてみると、私は、人のことを言えない。 何かミスをすると、すぐに、 「○○がこんなところに置いておくから!」 とか、 「△△が変なこと言うから間違えた!」 とか、とにかく、しょっちゅう、自分の失敗を人のせいにしている。 こういう母親の態度が、 子供たちの口から、 「僕は悪くない!」 「お前のせいだ!」 などという嫌なセリフを引き出してしまっているのだろう。 要反省!!!!! さて、四男は、真面目である。 行き過ぎたクソ真面目である。 もっと融通をきかせて臨機応変にやれば、 すんなりと行くものを、 一から十まできちんと原則通りにやり通さないと気がすまない。 自分の決めたキマリをきちんと守ることに命がけだ。 どんな小さなことでも、 「自分はこうやって、こうしていく」と決めた以上、 決して変更しない。 例え事情が変わって、そのやり方が通りにくくなっても、 頑固なまでに、自分のキマリを貫き通す。 この性格は、いい使い方をすれば、 物凄く立派なことだ。 たとえ社会が間違った方向に突き進んでも、 四男は、「こうだ」と思った方向に進み、 ある意味、真理を貫く男になるやもしれぬ。 しかし、今のところ、 その使い方を知らない。 その段取りへのこだわり方は、 ある意味、神経症的でもあり、 物凄く心配になる。 私自身も、 何の根拠も無く作った「自分のルール」を堅持するため、 身を削りすぎて神経を病むことがあった。 これでは、将来、こいつは苦しむ。 そう思って、 「つまらぬこだわりを捨てるように」 と、やんわりと言いきかすのだが、 そう言う自分がまた、 いまだつまらぬ「自分ルール」の呪縛から逃れられていない。 ああ、自分よ、 人にとやかく言う前に、 まずは、自ら手本を示すのだ! そして、今度は、長女。2歳。 彼女は、凶暴である。 ニコニコ笑いながら近づき、 頭突きやニーパンチや、股間キックをぶちかます。 4人の兄たちは、みな一様に、 その顔面や首筋に引っかき傷やミミズバレを持ち、 妹からの「ドS愛」の洗礼を受けている。 これには、家族一同困惑した。 可愛い末っ子のお嬢さんだが、 暴力的な女に育って欲しくない。 話し合いの結果、基本的にのびのび育てるけれど、 暴力に関しては、幼い相手でも厳しく叱っていこう、 ということになった。 しかし、そこは、私の母似。 母は、ドSの女王様である。 見るからに母のミニチュアのようなわが長女に、 ドSを封印させるのは、並大抵のことではない。 この暴力的な、熱く激しい愛情の行為は、 母親になって行使されたとき、 時として行き過ぎて虐待になってしまうかもしれない。 現に、私は、 子供たちの喧嘩の仲裁や、ひどい反抗に対して、 飛んで行ってぶっとばしてきた。 父親不在の我が家で、 男兄弟4人がやりたい放題暴れたら収集がつかなくなる。 なめられたらあかん、媚びたらあかん、 と、虚勢を張って、 ゲンコツもガッツンガッツン振るってきた。 しかし、ここへきて、 「もっと落ち着いて、話して聞かせればよかったのではないか」 と、自分のやり方について反省することもある。 最近になって、 まだ幼い末っ子のオイタを笑ってとがめるたびに、 「若い頃私は、お兄ちゃんたちにこれ位のことでぶっ飛ばしてしまったっけ」 と思い返し、そのせいでうちの子たちが「ビビリ」になってしまったような気がして、 「シマッタ!」 と思うのだった。 ドS愛。 これ、どうなんだろ。 母として。 娘を見て、自らの愛の形を省みる。 5人の子供たちは、 もちろん、こんな困ったところばかりでなく、 これ以上にいいところをたくさん持ったいいヤツらなのだが、 どうも、性格的な面での遺伝を日々、強く感じる。 まるで、忍者の「分身の術」のごとく、 自分が4人5人と現れて、 周りをマイムマイムしながらぐるぐる回り、 自分では気づかなかった自分の性格を、 ぐいぐい見せ付けてくるようだ。 自分という人間の特性を、 私を囲むこの五面鏡がぐいぐい映してくれる。 更に、いい年こいて連日つかみ合いの喧嘩をしたり、 バカだウンコだ、と幼稚な言い争いをしている 「仲良し夫婦」の両親もまた、 私の気質のもとであり、行く末でもあるのだ。 あのふたりを見て、 (あ〜〜〜〜〜、あれだけは気をつけよう! 直そう!) と、密かに心に誓うことも多く、 そういう意味では、両親も、強烈な2枚の合わせ鏡である。 5人の子供と2人の親、合計7枚の鏡に取り囲まれ、 私の生き様は、常に問われ続けている。 クリスマスも近いが、 私の周りには、七面鳥ではなく、七面鏡が取り巻く。 毎日がクリスマス。 毎日がお祭りだ。 ・・・・・・幸せなのかもしれない。 いや、でも、しかし。 時々、 「どぅりゃ〜〜〜〜〜〜あ!!!」 と叫んで、自分を囲む自分の分身の輪から、 走って飛び抜けたくなっちまうんだよなあ〜〜〜っ!!! (了) |
(子だくさん)2007.12.4.あかじそ作 |