「 はげソバージュ出現 」


 上履きが小さくなってしまったと言う三男を連れ、
ふたりで自転車で靴屋に向かっているとき、
そいつは現れた。

 交差点手前で信号待ちをしようとスピードを緩めたとたん、
私の右半身に激突してきた自転車があった。

 「あぶなっ!」

 一瞬よろけて転びそうになったが、
高校時代の山越えチャリ通学や、ヤクルト60kg分のチャリンコ配達、
子供3人を前と後ろと背中に乗せて走ったり、
布団やレジ袋8袋を運搬した数々の鍛錬のおかげで、
すんでのところで転ばずに済んだ。

 「ちょっとお〜」

 むっとして、ぶつかってきた人の方を見ると、
50歳代のおばちゃんが、信号一点を穴の開くほど見つめて自転車にまたがっている。

 当然彼女は、自分が私にぶつかったことに気づいているはずだ。
 それほどに凄い衝撃があったのだ。

 しかし、おばちゃんは、私にあやまるどころか、見向きもせず、
ただただ、自分の進行方向の信号を、目から血が出るほど凝視し、
ハンドルを握った両手をにぎにぎにぎにぎし、体を激しく上下に揺すっている。

 もう、人に怪我させようがなんだろうが、
とにかく一刻も早く目的地に到着してやろうという気力がマンマンなのであった。

 私も彼女の向かう方向と同じ方向に行こうとしているので、
私とおばちゃんの自転車は横並びになり、
自然とレースのスタート時のような状態になっている。

 一向にあやまる様子の見えないおばちゃんに、だんだん腹が立ってきて、
これは何としてもこのおばちゃんより早くスタートダッシュし、
おばちゃんの前を走ってやろうじゃないか、と思い、
私も信号を、目玉がいたくなるほど凝視した。
 しかし、私の凝視している信号は、進行方向ではなく、
垂直方向の歩道の信号だ。
 この信号が点滅し、赤になってから、
車の信号が黄色になり、赤になるのをいち早く確認すれば、
進行方向の信号が青になる瞬間をカウントダウンすることができる。

 幸いおばちゃんは、進行方向の歩道の信号ばかりを見ているので、
ここは一歩リードである。
 それに、年齢も私の方が10歳は若い。
 若さのほとばしりを、この無礼なおばちゃんに見せ付けてやろうではないか!

 さあ、垂直方向の車の信号が赤に変わった。
 ちらりとすぐ横のおばちゃんの顔を見ると、
実に不思議な形状の髪型をしている。
 頭頂部が丸ハゲで、その周りの髪の毛は、猛烈に激しいソバージュなのである。
 思わず服装もチラ見してみると、
ヒョウの顔のアップをプリントした、黒いだぶだぶのトレーナーに、
金色にテラテラに光るスパッツを履いている。

 「出た! 大阪のおばちゃん!」

 至近距離で「そのようなもの」を見るのは初めてだったので、
思わず凍り付いてしまった。

 すると、いつの間にか信号が青に変わっており、
おばちゃんは猛烈な鼻息と共にスタートダッシュしていった。

 「あっ! しまったぁ!」

 急いで自転車のペダルを蹴ったが、
あせっていたため、クルンと踏み外し、最初のひと漕ぎをとちってしまった。
 はるか前方に走り去っていくおばちゃん。
 風にはためく、はげソバージュ。

 ううううううむうううううううううううう・・・・・・。

 「お母さん、大丈夫?」

 三男の声にふと我に返り、
「うん、ダイジョブ」
と答え、
「小学生の子供と一緒なんだから、安全運転しなくては」
と、思い直した。

 やがて子供とゆっくり自転車を走らせたが、
前方で、またおばちゃんが信号待ちをしているのが見えた。

 すると、一度は消えた闘志が、再び燃え上がり、
「今度こそは〜!」
と、メラメラしてきた。

 キキーッ、とおばちゃんの真横に自転車を停止させ、
ちらりと横を見た。
 だぶだぶのトレーナーの上からも、
だぶだぶの三段腹が見て取れた。
 (す、すげえ・・・・・・)
 むっちむちのスパッツには、
太い太い太ももと、巨大かぼちゃのような尻が包まれていた。
 よく見れば、その内容量の多さに耐えかねて、
スパッツの生地がうっすうすになっている。
 伸縮性に欠ける金色のメタルスパッツが、
今にも裂けようとしているのだ。

 まるで卵に手足が生えているような体型。

 (リアル「ハンプティダンプティ」!)

 うかつにもまた凍り付いてしまったため、
これまたスタートを出遅れ、
はげソバージュ on ハンプティダンプティの、颯爽たる走りを見送ることになってしまった。
 しかも今回は、走り去る直前、
ふてぶてしくこちらを睨みつけて行った。

 (こんのやろ〜〜〜)

 完全にアッタマにきた私は、猛烈にペダルを漕ぎまくり、
あっという間におばちゃんを射程半径にとらえた。
 そのまま勢いに乗っておばちゃんをぶっちぎり、
完全に追い抜いたところで、ガッツポーズをした。

 「やったぜい!!!」

 すると、子供の
「お母さん! 靴屋通り過ぎちゃったよ!」
の声が聞こえた。

 あわてて急停車し、自転車を降りて後ろ向きに直していると、
はげソバージュが不敵な笑みを浮かべて、
すぐ横を通り抜けて行った。

 「はげソバアジュううううううううううううううううう!!!」

 そこには、
般若の形相でおばちゃんの後姿を睨みつけることしかできない、
ちっぽけな私がいた。

 帰宅後、三男が、
「お母さん、すっごく怒ってたでしょ?」
と恐る恐る聞いてきた。

 「え? 何で?」
と聞くと、
「毛モジャのおばさんを、凄い立ち漕ぎで追いかけてたじゃん」
と言う。

 「あ、あの、はげソバージュだろ!」

 思わず叫んだ私に、そばで聞いていた中学生の長男次男が
「【はげソバージュ】!?」
と、声を揃えて激しく反応した。

 「何なの、その【はげソバージュ】って!!」
と、猛烈に食いついてきたので、
私は、今あったばかりのデッドヒートを子供たちに報告した。

 興奮しながら大声で、身振り手振りを加え、 
折込チラシの裏側にイラストを描き殴りながら説明した。

 子供たちは、その話にひっくり返って大笑いしながらも、
「でもお母さん、気をつけてよ、道路なんだから」
と、注意を促してくれた。

 そりゃそうだ。
 私は、大人としてあるまじき行為、
「チャリンコチェイス」を繰り広げてしまったのだから。

 反省だ。
 猛省。


 後日、チラシの裏側だとばかり思っていたあの紙が、
実は、学校に提出する行事の出欠票だということが判明した。

 「はげソバージュ」と書かれた文字や、
おばちゃんの似顔絵や全身描写、
デッドヒートした2台の自転車のイラスト、
おばちゃんの三段腹や、パンパンの尻のアップの絵などが、
激しいタッチで描き込まれた出欠票を
学校に持参した次男は、
クラスメイトにそれを発見されて、
彼らに身振り手振りでその説明をするはめになった。

 その際、その話が恐ろしくウケまくってしまい、
次男のクラスでは、
私と「はげソバージュ」が、ちょっとした有名人になってしまった。

 先日の三者面談の際、
次男の担任の先生に、
「その後【はげソバージュ】とはいかがですか?」
と聞かれたときには、ギョッとした。

 ああ、反省。
 再・猛省。




   (了)

(こんなヤツがいた!)2007.12.11.あかじそ作