「 自画自賛制導入 」 |
2歳の末っ子長女が、狂ったように泣き叫んでいた。 居間で長男の受験勉強を見てあげていたが、 ンギ〜〜〜〜〜〜ンギ〜〜〜〜〜〜〜 ンギ〜〜〜〜〜〜ンギ〜〜〜〜〜〜〜 と、恐るべき声量でがなり続けるので、 勉強どころではない。 いつもは、妹を可愛がっている兄たちも、 さすがにだんだんイライラしてきて、 「うるさい!!! 黙れ!!!」 と、2歳児相手にブチ切れてしまった。 私は、なぜかその時、 彼らの取り乱した姿を見て非常に冷静な気持ちになっていった。 長男2歳、次男0歳の時から、 長男3歳、次男1歳になるまでの1年間、 次男のぐずりは半端じゃなく、 朝5時から夕方5時まで、常に右肩に立て抱きにしないと ギャアギャア叫び狂って止まらなかった。 ふらふらになりながら昼間ずっと次男を抱き続け、 「ぼくもだっこ」「おんもいく」 とひっくり返ってわめく長男を口であやし続けた。 夫は仕事で休日も会社に出かけ、 両親も当時遠くに住んでいたので、頼れなかった。 住んでいた団地の両隣も、階下の人も、 「うるさい」と文句を言ってきたり、 連日何十回も無言電話を掛けてきた。 疲れて口も利けない夫に愚痴を言っても、 返事する力も残っておらず、 そういう状態の夫に、更に「助けてよ!」とわめき散らしていた。 精神的にも身体的にも限界を超えていた頃、 風呂上がりに裸でふたりに同時に大号泣された。 服を着ない、逃げ回る。 ふらふらになりながら、 こちらもタオルを体に巻いたままの半裸状態で追いかける。 「キーーーッ」 となるが、それでも自分を取り戻し、 もう一度笑顔を作って服を着せようとした。 が、また逃げる。 ふたりの号泣が、ドルビーサウンドで前後左右から 私の頭の中をかき混ぜる。 「キーッ」 となり、 「ニコッ」 を作り、 また 「キーッ」 となって 「ニコッ」 としてみたが、 状況はひどくなるばかりだった。 私は、ついに頭の中が、ピーーーーーーーーーッとなり、 「もういい!」 「もうどうでもいい!」 となり、 長男をバスタオルで何度も叩き、 次男の顔にタオルケットを掛けた。 次の瞬間、はたと我に返り、 タオルケットを剥がして次男を抱きしめたが、 長男が私を化け物を見るような目で見て、 裸でおびえて逃げまくっている。 私は、静かに夫の会社に電話をして、 「今すぐ帰ってきて。マジでやばいことになるかも」 と低い声で告げた。 ただ事ではない気配に、夫は急いで帰って来たが、 その頃は、長男も次男もパジャマ姿で布団に入り、 すやすや眠っていた。 長男4歳、次男2歳、三男0歳の頃、 三男をおんぶし、子供ふたりを両手につないで、 スーパーに買い物に行くと、 長男次男がふたり揃ってお菓子売り場でひっくり返って大泣きした。 優しく諭しても泣き、 厳しく叱っても泣き、 まわりにいるおばさんたちは睨んでくるし、 どうしようもなくなって仕方なくオマケつき菓子を買ってやると、 次に行った時もその手を使うようになってしまった。 買い物のたびにふたりでひっくり返って号泣するので、 店の人には「またあいつらだ」という目で見られて嫌な態度を取られるし、 買えば次もやるので買わないでさっさと帰るそぶりをすれば、 余計に泣き叫び、慌てて追いかけてくることもない。 もう、買い物に行くのも嫌になり、 外出がどんどんおっくうになった。 家に居るときも、 外に出たときも、 いつでもどこでも、 とにかくこの3人は泣いて暴れてばかりいた。 私の育て方が悪いのか、 それとも精神的な疾患なのか、 何年も悩み抜いたが、 誰もそのつらい気持ちをわかってくれる人がいなかった。 もろ「密室育児」そのもので、 私は、ますます孤立し、 これじゃまずいと思って入った近所の子育てサークルでさえも、 「おたくの子たちすごいね」 と言われた。 どこの子もみんなぐずるのだろうと思っていたが、 うちほどではなかった。 うちの子たちのぐずり方は、 平均以上どころか、尋常じゃなかった。 他のお母さんたちも引くほどだった。 誰も助けてくれないし、 話も聞いてくれないので、 私は、もう、誰かに何かをしてもらおうとするのをやめた。 意を決して、独断で田舎の古い一軒家を買い、 そこでのんびり子育てしようと決めた。 ヤクルトの託児所に子供たちを預けて働き出し、 何とか人間らしい生活を取り戻した。 外の空気を吸い、 同じような境遇の仲間と愚痴を言い合い、 働く喜び、収入を得る喜びを得た。 子供たちを人に預けて、 一日数時間でも離れてみることで、 子供と自分とは違う人格で、 違う感情を持ち、 友達や近所づきあい同様、 少しづつ人間関係を作っていくものなのだと気づいた。 そこで私は、今まで陥っていたドツボから這い出ることができた。 今、末っ子の2歳の長女が、 狂ったように泣き叫んでいても、 「うるさいねえ」とは思うものの、 ゆったりと「おお、よきかな、よきかな」と微笑むことができる。 号泣する妹に翻弄され、キーッとなる息子たちに、 「お前たちの方が凄かったぞ」 と言い、豪快に笑いながら全体図を眺めることができる。 あの大変な日々があったからこそ、 この状況を笑える。 どんなにつらくても、 一線を越えたり戻ったりしながら、 前に向かって歩くのをやめなかったから、 今を笑える。 暴れる3〜4人の子供たちをひとからげにして脇に抱え、 自分も泣きながら帰路に着いた道程も、 今では、武勇伝だ。 雨の中、歩かない子供たちを託児所に連れて行くために、 「あめあめふれふれかあさんが〜♪」 と、半泣きで歌いながら無理やり歩かせたことも、 いい思い出。 子供たちにそのことを言っても、 全然覚えていないけれど、 「お母さんエライ」 と言ってくれた。 「お母さん凄いよ」 と、ほめてくれた。 「お母さん、ありがとう」 と、反抗期の子供たちが、 みんな揃って言ってくれた。 もう、それでプラマイゼロどころか、大もうけだ。 親の甲斐を知り、 これからを生きていく力をもらえた。 こんなに頑張れた自分だから、 これからもどんなことがあっても、 きっと大丈夫なんだよ、と思えた。 子育ては、みんなもっと要領良く、楽しくやっているだろう。 しかし、私は、バカで不器用なため、 つまらないところでつまづいて、 立ち直ったり立ち上がったりするのにも時間がかかる。 子育てだけでなく、一事が万事、その調子だ。 でも、そうやって自信をなくしてしまったときは、 毎日毎日 「私スゴイわ!」 と、自画自賛して、生きる元気をチャージしようっと。 ひとりで 「私スゴイわ」 「あらそうかしらん」 「ホントえらいと思うわあ」 「じゃあまた頑張っちゃおうかしら」 「そうよ私ならできるわよぅ」 「そうね、やるわ、やってやろうじゃないの」 と言ってる分には、誰にも迷惑は掛からないし、 一銭もかからない。 これは、いわゆるひとつの「セルフカウンセリング」だが、 黙って思っているだけではダメだ。 ちゃんと声を出して、 「私、エライ!!!」 と、言い放ち、心から喝采を送るのだ。 朝から晩までコマネズミのように働いたって、 だ〜〜〜れもほめちゃあ、くれやせん。 誰かからのごほうびや見返りなんぞは、 一切期待しなさんな。 報酬もなければ、査定もない。 それが人生じゃ。 だから、せめて、大きな声で、 人畜無害な自画自賛をしようじゃないか。 自分に大喝采を送るんだ。 「エライぞお!!! 私!!!」 (了) |
(子だくさん)2008.1.29.あかじそ作 |