「 おばあちゃん? 」


 長男の所属する吹奏楽部の
定期演奏会での出来事だった。

 演奏の途中からぐずり始めた2歳の長女を、
私が通路であやしていると、
ビデオを撮影していた夫が気を利かせて代わってくれた。

 やれやれ、これで長男の演奏を聴き逃さずに済んだ。
 ホッとして家に帰り、数日が経った。


 「おばあちゃんが来てたよね」

 同じく子供が吹奏楽部に所属していて、
演奏会を聴きに来ていた友人が、
そう言った。

 「いや、おばあちゃんは、来てないよ」

 「いやいやいやいや、来てたでしょう。ユリちゃんあやしてたじゃない?」

 「え? 来てないって」

 「ううん、おばあちゃんがユリちゃんあやしてたの、私見たよ」

 「ええ? あやしてたのは、ダンナだよ」

 「違う違う、男の人じゃなかったって。あんな男の人いないって」

 「いやいやいやいや、あれがうちのダンナなんだよ」

 「いや、それはないよ。あれは、どこからどう見てもおばあちゃんだったよ」

 「おばあちゃんみたいだけど、あれがうちのダンナなんだって」

 「う〜そ〜だ〜!! それは絶対無いわあ!!」

 「だって、ホントにダンナなんだもん。
 背が低くて、小太りで、猫背で、タレ目で、天然パーマで。
 この、どう見てもおばあちゃんの人が、うちのダンナなんだってば」

 「うそだ〜〜〜〜!!!」


 確かに私たちが20歳代で結婚した頃、
すでに彼は、「おばちゃん」みたいだった。

 「外寒かったけ? あったまっていきまっし」
みたいな人だった。

 あの頃の私は、
自分が「母親の愛情」を受けているということを、
頭では、わかっていたが、
「ママのぬくもり」のようなものに対しては、
ひどく飢えていた。
 今思えば、
夫を結婚相手として選んだ決め手は、
「やさしいお母さんみたい」
という一点だったような気がする。

 あれから20年。

 当時、推定年齢40歳の「やさしいお母さん」は、
20年の年月を経て、60歳の「やさしいおばあちゃん」になった。

 男の甲斐性はゼロ、むしろマイナスの夫だが、
出会ってから20年、相変わらずに、
私の「やさしいお母さん」であり続けている。

 そして、私は、この20年で、
すっかり「おっさん」と化してしまった。

 「おばあちゃん」と「おっさん」の夫婦、
一応男性と女性の組み合わせだから、
法的にはオッケーか。

 
 先日、長男とその友達が家の前で立ち話しているとき、
夫がその前を通り過ぎて、
「おはよう」
と声を掛けたら、
友達が目を剥いて口をポカンと開けたという。

 長男が
「どうしたの?」
と聞くと、友達は、
「男の人の声だった・・・・・・」
と恐怖におののきながら答えたらしい。

 彼は、ある朝突然、
友達の家の前で、
「おばあちゃん」が男の声で「おはよう」と言う怪奇現象に遭遇したわけだ。

 まさに、エクソシスト。
 少女がおぞましい男の声を発したシーンの、
あの衝撃を、
ある平和な朝に、いきなり食らったわけだ。

 
 「おばあちゃん?」
 「いいえ、彼は、夫です」

 「おばあちゃん?」
 「ううん、僕のお父さんだよ」

 
 そう答えると、めんどくさいことになるので、
私たちは、「うん、おばあちゃんだよ」と答える。

 当たらずと言えども遠からず、だからだ。
 
 一家7人を養うおばあちゃん。
 カッコイイ〜〜〜〜〜♪ 
 ある意味惚れる〜〜〜〜〜♪



   (了)

(しその草いきれ)2008.2.26.あかじそ作