「 もういや役員選考 」 |
またこの季節がやってきてしまった。 新学期。 うちは、子供が5人いるが、就学しているのは、まだ4人なので、 最低でも4回の役員選考会に参加しなければならない。 しかし、毎年4回で済んだ事がない。 クラス役員の他にも、 中学の地区委員やら町内会の子供会やらの選考もある。 役員に選ばれれば、 その後、学年長選考があり、 委員長やら部長やらの選考があるため、 合計すると、7〜8回もの「気まずい集会」に参加しなければならないのだ。 しかし、その気まずさにもいろいろあって、 選ばれる側の気まずさの他にも、 選ぶ側の気まずさもある。 というのは、毎年何かしらの役員を引き受けているため、 新しい役員を選出する側にも回るのだ。 これがまったく本当にいやんなっちゃうのだった。 だいたい、選考会に出席してくる人は、本当に少ない。 しかし、選ばれる可能性が高いのにも関わらず、 イヤイヤでも参加するのは、 「参加していないと、参加している人たちに何を言われるかわからない」 という恐れがあるからだ。 あの人は母子家庭だ、そう言えば人相が悪いわよね、とか、 あのうちはフルタイムで働いてるわよ、生活苦しそうだから仕方ないわね、とか、 あの母親は変人だから外せ、とか、 あのうちは毎年、介護があるから、とか言ってるけど、本当なのかしらねえ、とか、 もう、聞くに堪えない悪口が、公然と教室内で飛び交うのだ。 それでも、ほとんどの人が欠席する。 さらに、「あなたに決まりました」の電話も取らない様に、 電話に出ず、留守電にもせず、携帯電話の電源も落としている。 そういうやり方をする人たちに激怒する親もいて、 「この中から立候補はありませんか?」 などと司会者に問いかけられた日には、 「欠席の人全員に電話してくださいよ!」 とか、 「出て来ないってことは、委任状が出ているんだから、引き受けさせてください!」 とか、大きな声を張り上げて、 選考を担当している役員さんに、どやしつけたりする。 選考する側も、 慣れている人なら、その場で欠席者にビシバシ電話して、 「厳正な選考の結果、あなたに決まりましたので、よろしくお願いします!」 と言い切って強引にまとめてしまうが、 不慣れな人は、電話口で相手にごねられて電話を切られ、 話が頓挫してしまう。 さあ、どうしましょう、 となり、誰も口をきかなくなって長い沈黙が続き、 もう一回、出席者の「役員を受けられない理由」を聞いて回ることになる。 その理由というのも、 「去年下の子で役員を受けたので、今年は休みたい」 「スポーツ少年団の役員の年なので、掛け持ちは無理です」 「まだ下の子が小さいので」 「仕事が休めないので」 というものが主流だ。 しかし、 「仕事や乳幼児の育児は、断る理由にならない」 という原則があるらしく、 それは近年通用しなくなった。 そういうわけで、最近は、 不思議な理由を言い出す人が続出している。 「今年妊娠する予定です」 「今年は転勤するかもしれないので無理です」 「長男の嫁なので、遠方の義母を気にかけないといけないので無理です」 「名簿を作ったり、企画を立てたり、 そういうことが生まれつき苦手な人間が引き受けたら、 皆様にご迷惑がかかるので、皆様のためにご辞退いたします」 また、開き直ったことを言う人もいる。 「できないものは、できないので、引き受けません」 「やりたくないので、やりません」 「私は、何と言われようと、絶対にやる気はありません」 こうなると、一度でも役員を引き受けた人が黙っておらず、 「私も仕事で忙しいのに引き受けました!」 「苦手でも何でも、やらなければならないものはやってください!」 「みんなやりたくなくても無理して受けてるんですよ!」 などと、複数の親が言葉を荒げて言う。 なんだかんだで、結局は、 「もういいです、私やりますよ」 という善意の人が手を挙げるか、 「くじで決めます」 となる。 みんなそれぞれ忙しいし、毎日ギリギリでやっている部分もある。 役員を頑張っても一銭にもならないし、 わずらわしい人間関係を、これ以上増やしたくない。 だいたい、PTAなんて必要なの? ・・・・・・などと思う人が多いのも、無理はない。 しかし! しかしだ! 自分の大切な子供が毎日通い、 さまざまなことを学ぶ場、心と体を育む場で、 その同士となるメンバーの親が、 寄ってたかって、なりふりかまわず、 よその家庭の事情をぶちまけたり、 そこに居ない人の人格否定をしたり、 そういうことがまかり通っていいのだろうか? そういうことが大嫌いで、いたたまれなくなるので、 私は、場の空気がよどむ前に、おずおずと立候補してしまうのだ。 そして、 「あかじそさん、役員やるの好きだからねえ」 などと言われても、めげずに何年も連続で引き受けている。 確かに大変だけれど、 やればやったで得ることも多く、 人生経験が積めるという意味では、引き受ける意義はあると思う。 いつもいつも、脂汗流しながら、 ぐずる乳幼児を小脇に抱えて、 学校の雑用をせっせとやっている私は、 「あかじそさん、バカ正直なんだから。もっと手抜きしないと死んじゃうよ」 と、よく言われる。 確かに、段取りを上手に計算して、 トントントンさくさくさく、と、 ソツなく生きていくことは、 合理的で利口かもしれない。 最小限のストレスで済み、ライト感覚で生きていけるかもしれない。 しかし、きっと、それは、 私にとっては、とても退屈な人生になると思う。 私は、スマートな人生を望んではいないのだ。 一服する暇もなく、 立て続けに、いちどきにいくつも、あらゆる課題が課され、 「パス」も「タイム」も許されず、 半べそかきながら、ひとりで右往左往しているうちに、 気づけば、以前解けなかった問題を、瞬時に解き、 右へ左へ、バッタバッタと、トラブルを倒している自分がいる。 そういう自分の成長に気づいたときの喜びと、 傷らだけになっても、自分の身で獲得した経験は、 生涯絶対に自分を裏切らない味方になってくれる。 突然目の前にはだかる新しい難問に、 茫然自失で頭が真っ白になっても、 泣きながらでもあきらめずに前に進めば、 きっと何とかなるだろう、と思える。 これから何十年と、この弱い自分を抱えて生きていくには、 自ら未経験のことに顔を突っ込んで、 ひとつづつ「強み」をこしらえていくしかないのだと思う。 ちなみに、私は、 ぼんやりしている割にナーバスなので、 女の人が集まる役員の仕事などは、 最も苦手な分野だ。 でも、今年も、多分やる。 あの、いや〜〜〜な雰囲気に耐え切れず、 また今年も「おずおず立候補」するだろう。 気が弱いのか、ドMなのか? いや、単なる「要領の悪いおバカさん」なんだろうなあ。 はあ〜〜あ。 <追記> 毎年新役員の顔合わせで、 「内藤さん」に逢う。 「また今年も断れなかったんだア!」 と、互いにあきれている。 でも、内藤さんは、私とはまるで格が違うのだ。 嫁ぎ先の義父を誠実に看取り、 子供の運動会では、何度も家と校庭を自転車で往復し、 義母のために腰掛けやクッションを運んでいた。 さりげない笑顔で、お姑さんに「寒くない?」と聞いていた。 子供の参加しているボーイスカウトの行事では、 毎回ニコニコしながら炊き出しをしているし、 学校のパトロール当番には、端っこの方だが、いつもいる。 人の噂話は、決して言わず、いつも笑顔。 そして、何よりすごいのは、 そんな今時珍しい立派な自律した女性が、 一見、 「おばさんパーマの普通のオカアチャン」 にしか見えない、ということだ。 すごい人は、「フツ〜」にいる。 立派な人ほど、世の中に、ふんわりとなじんでいる。 おばさんパーマの「内藤さん」の前世は、 絶対に「武家の奥様」だと、 私は、勝手に想像し、勝手に敬っている。 (了) |
(子だくさん)2008.4.15.あかじそ作 |