「 あえての濃いキャラで 」 |
「ラーメンつけ麺ぼくイケメン〜ッ!」 の彼を見るにつけ、 笑いながら哀しくなってしまう。 「男はつらいよ」の寅さんを見てもそう。 可笑しくて哀しい。 濃いキャラで、 周りから浮いていて、 ヒンシュクをかっていて、 それを自分で哀しいほどわかっていて、 自分をもてあまし、 それでも自分らしく生きることしかできず、 愛されたくて、受け入れられたくて、淋しくてたまらないのに、 そうでない現実に耐えかねて、 いたたまれなくなって去ってゆく。 それでも、他に行くところもなく、 また戻ってくる、という感じ・・・・・・ 哀しい!!!!! 可笑しくて、哀しくて、 そして、切なく、いとおしい。 私も、きっと、彼らと同類の生き物で、 その哀しさを子供の頃から知っているのだ。 いわゆる「空気読めない=KY」人間と思われているが、 人一倍読めてしまうのに、 それを読めていない振りをして濃いキャラで押してしまう。 最近の若い人たちは、 何より「KY」で浮くのを恐れている、 という風潮があると聞いた。 こんなことを言ったら「ひかれる」だろう、と気にして、 自分が出過ぎないように気をつけているのだという。 上の子のクラスで役員を引き受けると、 自分より年配の女性が、 それぞれの個性をキラキラ光らせながら立ち働いているが、 下の方の子で受けると、 若いお母さんたちが、周りの様子を見い見い、 外堀を埋めるようにしながら人間関係を作っていくのを見かける。 そして、年代に関わらず時々いる「トラブルメイカー」に対しては、 ベテランママは、正面から「それは、違いますね」と言い、 若いママは、みんな遠巻きにして避けている。 同じように、ちょっと個性的なママに対して、 ベテランママは、正面からぶつかり、自分なりにその個性を消化しようと努めるが、 若いママは、やはり遠巻きにして、みんなで避けている。 上の子たちの時は、すいすいと決まった役員決めも、 下の子たちの時は、みな、当然のように逃げる。 目立ちたくないし、自分に直接メリットのないことだし、 新たなトラブルになることは、できるだけ避けたいのだろう。 私は、自分では「トラブルメイカー」ではなく、 「個性的な人」だと思っているが、 やはり時々、自分が若いママたちに、やや遠巻きにされているのに気づく。 しかし、それをはっきりと自覚してしまうと傷ついてしまうので、 あえて気づかぬふりで「ひょうきんなオカアチャン」をやっている。 派閥的なものも大嫌いなので、 パラパラとグループが出来始めると、 わざといつも一匹狼で行動するようにしている。 一時は、人に悪口を言われたくない、とか、 ひとりでは心細い、とか思い、 無理して周りに合わせてみたりもしたが、 いない人の悪口を言ったり、一方的な先生批評の場にいても、 自分の心が汚れるばかりのようでうんざりしてしまい、 もう、周りに迎合するのは、やめた。 悪口を言ったり、仲間はずれにしたり、 毎日ランチ巡りばかりしている人たちに気に入られても、 何も意味もないと思ったのだ。 それならば、多少淋しくても、 一匹狼を通し、「あえての濃いキャラ」で、 人と人とのスキマにある寒々しい空間を、 バカッぱなしで埋めている方がいい。 自分の生き様は、自分が知ってる。自分が見ている。 人からの評価や人気は、一時的なもので、 一瞬で食べ終わる心のオヤツに過ぎない。 それよりも、ちゃんと真正面から人と向き合って、 思ったことをぶつけ合って、 互いにより良いものを発掘できる人間を探す旅をしたい。 おそらく、その人と出会えるまでは、 あちこちから「KY」と呼ばれ、何度も「ひかれる」だろう。 「一見和やか、その実、全員心閉ざしてます」 みたいな空間を、冗談を言ってへらへら笑いながら、 ぶち壊していきたいと思う。 ひとりでバカになって、 寒々しい人間関係に、体温を通わせたいと思う。 私は、たったひとりだけれど、 ひとりの「濃いキャラ」の存在で、 悪口大会や批評会をストップできるなら、 私は、それを続ける。 生き終わる瞬間に、 「ナイス、生き様!」 と自分にハイタッチできるように生きる。 可笑しくて、哀しくて、 そして、嫌になるくらいに自分らしく、 「あえての濃いキャラ」で、 生きる。 (了) |
(しその草いきれ)2008.4.29.あかじそ作 |