「 ドキュメンタリー撮影中 」


 私は、テレビのドキュメンタリー番組が好きで、よく見ているのだが、
そこに出てくる家庭は、たいてい物凄く生活臭が漂っている。

 「お宅訪問」というような番組では、
流しはピカピカ、リビングはスッキリ、テーブルの上には一輪挿し、
という感じで、
「キレイで素敵ねえ」
とは思うものの、
それ以上の感情は抱かない。

 しかし、
「認知症の妻を介護する夫の日常」
とか、
「シングルママの子育て奮闘記」
とか、
「更正施設の戦いの日々」
とかいう番組では、
家の中は、超リアルである。

 テーブルの上には、一輪挿しの代わりに、
台ふきんやら調味料やら読みかけの新聞やらが置いてある。
 床には、昨日着て今夜も着ようと思っているパジャマがたたんで置いてあったり、
ひもでくくった雑誌が積み上げてあったり、
炊飯器の上には埃よけの手ぬぐいが掛けてあったりと、
もう、生活臭プンプンで、美しくも素敵でもない代わりに、
嫌になるくらいリアリティにあふれているのだ。

 その、生活感で息が詰まるくらいギュウギュウの部屋の中で、
背中の曲がったおじいさんが、
認知症の妻の体を優しく拭いてあげていたり、
ほほ笑みながらおかゆをひとさじひとさじ食べさせていたり、
口からこぼれた食べ物を首に掛けたタオルで拭いてあげたりしているのを見ていると、

見ているこちらの肌や粘膜にまで迫る臨場感に圧倒され、
思わず泣けてくる。

 その美しい行いの背景には、
生活必需品がびっしりと写り込み、
それもまた胸に迫るリアリティを浮き彫りにするのだ。

 ドキュメンタリー番組では、
主人公の生活そのものが物語となる。

 朝起きて寝ぼけ顔でタバコ吸う姿も、
髪にカーラーを巻いたまま洗濯物を干す姿も、
出勤前にテレビのニュースをBGMにして化粧する姿も、
子供を叱る姿も、
イライラして舌打ちしている姿も、
疲れて居眠りしている姿も、
ひとりの人間の生き様をたどる物語の中のワンシーンとなる。

 それは、計算された作り物のドラマとは比較にならないくらい、
見る者の感覚に刺さってくる。
 心と体の奥にまで沁みこんでくる。

 それは、「7男5女ドタバタ大家族」にも、
「隣の晩ご飯」にも共通する感覚で、
とにかくリアルで、とにかく切なく、哀しい。

 諸行無常丸出しである。

 彼らは、自分とはまるで他人で、
一生関わることもない人たちであるけれども、
同時に、自分自身の姿と恐ろしいほど重なる。

 彼らは、ああやって生活臭にまみれて、
今の今、必死で生きているけれども、
いずれみな死んでしまうだろう。

 小さなことで泣いたり笑ったり喧嘩したり、
ごちゃごちゃしながらも、
自分の人生に対峙し、
頑張って頑張って生きてるけれども、
結局は、みんなみんな、
世の中におけるちっぽけなひとりの端役であり、
同時に自分の人生では主役なのだ。

 それにしてもすごいのは、
みな自分に与えられた環境を投げ出さないで、
必死で生き続けている、ということだ。
 逆境を恨んだり、それに打ち勝って悟ったり、
乗り越えたり乗り越えられなかったり、
みなグダグダながらも必死で毎日生きているのだ。

 はっきり言って、ダサい。
 はっきり言って、暗い。

 しかし、はっきり言って、リアルな命の維持活動そのものだ。

 世界で一番リッチで地位のある人から、
道端で生活する人たちまで、
すべての人間に共通する「事項」が、
言葉ではなくムードで、そこに漂っている。  

 切なく哀しく、
そして、どこかこっけいなリアルな暮らしの現実が、
そこにある。


 私には、非常に淋しがり屋でネガティブな一面があるのだが、
そういう番組を見るにつけ、
切なくて哀しくて、どうせ数十年後には確実に死んでしまう、
やってられないくらいちっぽけな人生だけど、
それでもいいんだ、
短い人生、
こっけいに面白おかしく、
一生懸命に生きていこうじゃないか、
と思い直すわけだ。

 こうして誰も見ていないところで、
誰にも認められないような、
形の一切残らない、
家族のメンテナンス的な仕事の数々も、
ひとつひとつすべてドキュメンタリー番組のカメラに映されていると思いながら、
「自分の人生の物語のワンシーン」だと意識しつつ、
行うことにしよう。

 子供のウンコの付いたパンツを手洗いするときも、
汚れたトイレの床をせっせと雑巾がけしているときも、
仕事で不当な扱いを受けた瞬間も、
カメラは私を映している、と考えよう。

 形の残らない仕事ほど、
カメラが回っていることを意識して、
ひたむきに働こう。
 その自分の働く姿や、葛藤する姿、苦労に打ちのめされている姿は、
自分の中にどんどん撮り貯められていくだろう。
 そして、生き終わる寸前に、
脳の中でいい感じに編集され、
すさまじく感動的なドキュメンタリードラマとして、
脳裏に放映されるだろう。

 その大上映会を楽しみにしながら、
毎日をひたむきに生きていこう。
 楽しいときも、哀しいときも、
いつでもどこでも、意識してドキュメンタリーカメラを回そう。

 そして、天国に行く前に、
名作映画の主演女優として美しく着飾り、
喝采を浴びながらレッドカーペットの上を歩こう。

 ああ、楽しみだ楽しみだ。
 楽しみになってきた。

 生きる喜びも苦労も、死ぬときさえも。




  (了)

(話の駄菓子屋)2008.5.20.あかじそ作