「 骨変形ゆえに我あり 」


 第5頚骨、つまり、首の骨の一部が変形し、
頚部椎間板ヘルニアと診断されて2ヶ月。

 きっかけは、激しいしりもちであったが、
表面下では、それまでの生活習慣が
粛々と変形の下地をこしらえていたのだった。

 医者は、
「これからは、なるべく首を下に向けないように」
と言った。

 私の生活習慣や姿勢について、
医者に話した覚えはないが、
その整形外科医は、
私の首の骨のレントゲンを見ると、
一発で原因を言い当て、
自分の首を下に折り曲げながら親切にアドバイスしてくれた。

 「はい」

と、しおらしく答えたものの、
帰宅するやいなや私は下を向きっぱなしだった。

 炊事、洗濯、掃除、金魚鉢の苔落とし、
恥ずかしながら2歳半の娘に未だに授乳をし、
新聞やチラシを端から端まで漏れなく読み込み、
パズルを解き、書き物をし、パソコンを使い、オムツを換え、
庭の野菜の苗に付いたアブラムシを退治し、
毎度おなじみ「トイレの床のおしっこ拭き」をしたりして、
ずっとずっと、ずっとずっとずっとずっと、
ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと、
首をぐぎゅ〜〜〜っと下に折り曲げっぱなしだった。

 下を向くな向くなと言われても、
こうして意識してみると、
ヒトの動作というものは、実に「下を向く」ことが多すぎる。

 大げさでなく、
起きている間じゅう下を向いていると言っても過言ではない。

 変形した首のためには、なるべく下を向かない方がいい。
 だからといって下を向かないわけにはいかない。

 それなら、どうしても下を向かないと出来ない作業以外は、
工夫して前あるいは上を向いて行おうではないか。

 例えば、新聞を読むとき。

 まずは、新聞を両手に持ち、
そのまま「前へ習え」をして読む。

 幸い、最近新聞各紙の文字が大きくなり、
私の目も若干老眼気味になってきたため、
その距離が非常に読みやすかった。
 ただし、両腕がすぐに疲れ、
また、腕の重さが首にダメージを与えるため、
あまり長時間は読み続けられない、ということもわかった。

 また、日常の雑巾がけも、
しゃがんで片腕でシャシャッと拭くと首が折れてしまうが、
四つんばいになり、両手をついて拭くと、
首が体に対してまっすぐ前を向いたままでいられるだけでなく、
体の各部分の筋肉も微妙に鍛えられるような気がする。

 掃除も洗濯も、
極力姿勢を正して行えば、
やりにくいが何とかできる。

 パソコンの入力に関しては、
いまだブラインドタッチができないおかげで、
長時間首を折ってキーボードを見っぱなしだ。
 今日から、いや今から練習用ソフトを使って、
一度は挫折したブラインドタッチの特訓を再開しよう。

 あの手この手で首を折らないようにしよう。

 ただ、家事の中でもかなりのウエイトを占める料理や皿洗いは、
どう工夫しても下を向かないと出来なかった。

 オムツのウンチも、下を向かなければ拭けない。

 どうしても下を向かざるを得ないときは仕方ない。
 気をつけながら下を向く。

 しかしその分、それ以外の時間は、
意識して前あるいは上を向いていよう。


 そうやって暮らし始めて2ヶ月、
ふいに私は、物凄く素敵なことに気づいた。

 「私は、今、もんっっっのすごく前向きに生きている」
と。

 学生時代からよく
「姿勢が悪〜い!」
と叱られていた。
 「目つきが悪い! 上目遣いで見るな!」
と怒られていた。

 そう、私は、今まで41年間、無意識に
「下を向いて歩こう」状態でやってきたのだった。
 その結果、首の骨が変形。

 これはいかん、と、
ここ2ヶ月、致しかたなく下を向かないように暮らしてきた。

 すると、どうだろう?!

 「姿勢」ばかりか「気持ち」までもが、
「前向き」あるいは「上向き」になっているではないかいな!!!

 そうか、そうだったのか!

 私は、人生の前半の40年間ずっと、
世の中の下半分を見ながら生きてきたのか。
   
 ぬかるみの地べたや、ゴロゴロの砂利道や、
雑踏の足元ばかり見つめて生きてきたわけか。

 これじゃあ転ぶわ。
 これじゃあ人に踏まれるし、怪我もする。
 視野も狭いし、光量も足りないし、
気持ちもめげるに決まってる。

 そうかいそうかい。
 そういうことだったのかい。

 めげたときなどは、よく
坂本九の「上を向いて歩こう」を泣きながら歌っていたが、
理屈ではなく、ホントに、マジで、
物理的にも、シャキーン、と上を向いて、
いや、それもちょっと危ないから、
せめて前を向いて歩こうじゃないか。

 首が変形するほど下はよく見たのだから、
下については、かなり詳しくなったはずだ。
 弱い者の哀しさたくましさもだいぶ知っている。

 でも、それでは、世の中の一部分だけしか知らない人生だ。
 「哀しいな、つらいな、でも頑張らなくちゃ」
 そればかりの人生だ。

 狭い。
 視野が狭くて認識の領域が下半分しかない。
 これでは、全体が見渡せない。
 独りよがりの陰気な考えに固まってしまう。

 こんなんじゃいかん。

 これからは、基本前向きだ。
 首も心も。

 そして、時々上を向き、
「どわ〜〜〜っはっはっはっ」
と大笑いし、
時々は、下を向いて、
「よいしょよいしょ」
と文句を言わずにただ働く。

 これで首も気持ちもいい感じだ。

 さあさあ、ほらほら、前を向け前を!

 意識して、前を向く!
 前を向いて、目をカッと開いて、前方をよく見る!
 手の平を目の上にかざして、
未来を見やろう。

 ああ、ここもあそこも、いつもいる場所なのに、
初めてみた景色だらけじゃないか。

 ああ、明るいなあ!
 広いなあ!

 進行方向を見て、姿勢よく歩く。
 おっ、首の痛みも「万年切なさ」も、
一瞬忘れるってもんだね。

 そういや自動車教習所でも習ったっけ。
 人は、見る物の方向に無意識に進んでしまう、と。

 「バイクだ、危ない」と、そちらを注視したら、
返ってバイクに突っ込んでしまうのだ、と。

 それとおんなじだ。

 つらいことばかりに注目していると、
自らつらい状況に突っ込んで行ってしまう。

 下ばかり見ていたら、
背中が曲がってまぶたが閉じて、
自然と「つらい〜〜〜」の形になってしまう。

 形がつらいと気持ちまでつられてつらくなるではないか。

 だから、逆に形から前向きになれば、
気持ちもつられて前向きになるってことだ。

 そうとわかれば、
しのごの言ってないで、今すぐ顔を前に向けよう。

 ちゃんと自分の行きたい方向を見据えて、
余計な心配はせず、ただ前に歩いていこう。

 そうだ、そうしよう! 

 う〜ん、
 頚骨変形。
 こりゃ、まんざら悪くないじゃ〜ん。




   (了)

 (話の駄菓子屋)2008.5.27.あかじそ作