しその草いきれ 「アートがなければ生きていけない」
夫ひとりの限られた収入の中で、子供5人を養育し、
持病のある末っ子の預け先が見つかるまでは、と、専業主婦で、
必死にやりくりしてきた、ここ数年。
長男の子離れ間近で、
「実は、人生において子育て期間というものは、非常に短い」
ということを知り、
子供の小さい時期の今こそ、
この瞬間こそが幸福なひとときなのだ、と悟ったけれど、
なぜかいつも上の空だった。
私は、体は生きていても、魂がフリーズしていた。
物心ついてからひっきりなしに、
歌を歌い、楽器を鳴らし、絵を描き、書道を習い、
演劇をかじり、映画館に入り浸り、
本を読み、文芸に夢中になってきたが、
結婚してからこの方、
これらのほとんどを封印してきてしまった。
一番大きな原因は、お金が無かったことだ。
本を買うお金があれば、野菜を買い、
映画を観るお金があれば、米を買わなければ、
飢えて死んでしまうからだった。
子供が次々3人生まれると、
バブルの時代のせいか、お金の余裕はあったが、
今度は、持病持ちの子育てが大変すぎて、
自分が楽しもうなんて思いつきもしなかった。
毎日が【喘息の発作×3人】との戦いで、
子供の命を守ることだけでやっとだった。
1時間続けて眠ることさえできれば、
それが最高にラッキーだと思えた。
夫は、仕事が忙しかったのか、
家庭がめんどくさかったのか、
3年間、まともに口をきいてくれなかった。
私のウツは、どんどん悪化していき、
自分のことすら何もできない気分だったが、
泣きながら、ほえながら、頭かきむしりながらも、
子供の世話は、やめるわけにはいかなかった。
子供は、生きているからだ。
私が世話しないと死んでしまうからだ。
夫とやっと仲直りして、
4人目の子供が生まれたが、やはりアトピーと喘息だった。
しかし、私は、幸福だった。
夫の転職と子供の医療費とで常に金はなかったが、
子供は、可愛かったし、死ぬ思いで育てた上の子たちが、
みんなで私を助けてくれた。
あんなに修羅場の中で育てたのに、
みんないい子に育ってくれた。
物凄く手の掛かる、繊細ないい子に。
幼児の頃は、彼らの体を育てることに必死だったが、
今度は、心を育てる時期にきた。
ボロを着て、髪振り乱し、
子供に対して全力で、
怒鳴ったり、叫んだり、抱きしめたりしているうちに、
自分の存在を意識することすら忘れてしまった。
待望の5人目、長女を産んだ後は、
子育てに徹する幸せを実感し、
余計なことなど何も考えずに、
「お母さん」をすることができるようになった。
気持ちに余裕が出てきたためか、
自分の魂の大部分がフリーズしていることに、
はた、と気づいてしまった。
アートは?
私の中に、アートが圧倒的に不足している!
流れる血の中に、アートという栄養素、あるいは、ビタミンミネラルが、
断然欠如しているではないか!!!
道理で、魂の栄養失調が原因の、諸症状が出まくっていた。
心も体もしっかり生きているのに、魂が瀕死だった。
楽しいと思うことがだんだん無くなってきていた。
嬉しいと思うことがあっても、気持ちは高揚しなかった。
自分が今幸せなのは、わかっちゃいるが、
毎日をやっつけ仕事みたいに過ごしていること、
暇つぶしみたいに生きていることに、
だんだん空しさを覚えてきた。
そんな折、
次男にテナーサックスを、長男にスネアドラムを買ってやることになり、
ネットでいろいろ調べているうちに、
吹奏楽部でトランペットやホルンを吹いていた時のときめきや、
仲間とのバカ騒ぎの毎日がよみがえってきて、
突然、生きることにわくわくしてきた。
久しぶりにホルンを引っ張り出してきて、
ロングトーンを何度も何度も繰り返してみた。
昔ほどいい音は出なくなっていたが、
体の中ににこごっていた物が、勢いよく吹き出されていくようだった。
それから、親や夫にわがままを言って子供を預け、
どうしても観たい映画を、ひとりで観に行かせてもらった。
気持ちが清々した。
常に常に、厚い雲がかかっていた心に、
一陣の風が吹いて、抜けるような青空が見えた。
ああそうか!
私は、この十数年、アート欠乏症だったのか!
長男が入団予定の吹奏楽団の定期演奏会に行ってみた。
「カーペンターズメドレー」を聴いたら、
がっつりツボにはまってしまった。
世代的にど真ん中だった。
思春期の感受性に食い込みまくっているあの曲この曲が、
次々に流れてくるので、自然と気持ちもその頃に戻る。
薄暗い客席で、周りも気にせず口ずさみ、
抱いていた2歳児と共に、体を大きく左右に揺らしていた。
アッと思って、ふと周りを見回せば、
周りもみんな口ずさみながら揺れていた。
白髪のじいさんばあさんが、
子供をぞろぞろ連れたおじさんおばさんが、(私もか)
みんなお目々キラキラで揺れていた。
私だけじゃないんだな。
みんなみんな、
アートが無けりゃ、生きちゃいけないんだな?
歌ったり踊ったり、
描いたり書いたり、吹いたり、大きく発声したり、
アートという波動に命の息吹を振動させて、
魂を揺すぶられながらでないと、
命は、呼吸ができないのだな?
人は、魂の叫びを、ささやきを、喜びを、哀しみを、
アートというものに変換して発信し、
自他の魂を揺すぶり、自他を生かすのだな?
理屈では無しに。
そうわかったとたんに、
私は、長年の魔法が解けたように、
人心地が戻ってきた。
ああ、アートがなければ生きていけない。
と、いうことは、
アートがあれば、生きていける。
金が無いときこそ、
忙しいときこそ、
死にそうに苦しいときこそ、
歌い、聴き、読み、叫び、踊り、
アートと共にあるべきなのだ。
なん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜で、
そんなあったりまえの、昔からみ〜〜〜んなが知ってるようなこと、
ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと気づかずにいたのだろう?
あたしゃ一体、何やってんだっ?!
いや、待てよ。
私は、気づかなかっただけで、思い出せたからよかったものの、
最初からアートを知らない人がいたらどうなるんだろう?
世の不条理や、決定的な挫折に遭遇しても、
アートに揺すぶられる経験を持たぬ人間は、
ただ折れたり、ただブチ切れて、
死ぬまで引きこもったり、
自殺や大量殺人を犯してしまうこともあるんじゃないか?
今の時代にあふれるこれらの現象は、
全体的にアート不足の現われなのではないか?
ああ、難しい討論は、後でいい。
【世直し】とかは、偉い先生がやってくれ。
今、私ができることは、
子供に子守歌を歌うこと、一緒に歌を歌うこと、
子供と並んで本気でお絵描きすること、
面白い本を読んでやること、
一緒にいい映画を観ること、
いろいろな展覧会に連れて行くこと、
寄席で生の歌丸の落語を聞かせることなど、
そういう、生活の中に転がっているアートを、
甘味や薬味みたいに日常的に味わうことを、
子供に教えることだ。
青春の苦い想いや、晩年の苦悩を、
親がいちいち「こうせい、ああせい」と指示しなくても、
「こう考えろ、ああ乗り切れ」と励まさなくても、
アートは、いつも子供たちに寄り添い、
大人になっても、死ぬ瞬間までも、
いつもぴったり来る答えや道しるべをくれる。
すべての子供にアートの種を握らせること、
それは、子供を囲む環境にいる者たちのつとめだと思う。
そうやって社会の心根が潤っていけば、
子供たちは、次の世代の子供たちにそれを引き継ぐだろう。
砂漠に一本一本地道に木を植えていくように、
子供たちの心に、ひとつぶひとつぶアートの種を握らせよう。
この社会がいつか、
心豊かな森に育つことを祈りながら。
(了)
(しその草いきれ)2008.6.10.あかじそ作