「 水に合う 」

 先日、2歳の長女を夜間救急に担ぎ込んだ時のことだ。

 その日は、夕方からぐずりにぐずっていたが、
極めつけの「パイパイ」をくわえさせても、一向に機嫌が直らなかった。

 オムツを換えようとスカートをめくると、
お腹も背中もお尻も、猛烈なジンマシンが出ていた。

 「何?!」
と、驚き、長女の顔をよく見ると、
まぶたが腫れてきている。

 「やばい! またアナフィラキシーだ!」

 急いで常備薬の抗アレルギー剤を飲ませ、
市の救急センターに電話し、今診てくれる病院を聞くと、
ぐだぐだと要領を得ない答えしか得られず、
紹介された救急病院に「今から行っていいか」と電話すると、
電話口でさんざん待たされた挙句、
「うちでは無理です。急がないと呼吸困難になりますよ。救急車を呼んだらどうですか?」
と言う。

 あほか!

 またそのパターンかい!

 今までそれで救急車を呼んでいたけれど、
救急車が5分以内に来て、救急車の中から各病院に「行っていいか」と打診しても、
十何箇所断られて、結局必要な処置が早急に受けられないじゃないか。

 何もかも、どこもかしこも、たらい回し。

 こうなりゃ前回快く「すぐきなさい」と行ってくれた隣の市の市立病院に行くしかない。
 直接その病院に連絡すると、「すぐ来なさい」と即答してくれた。

 急いでタクシーを呼び、息子たちを家に残して、
タクシーの中から夫に連絡した。

 それにしても、タクシーの運転手の呑気さにはマイッタ。

 「あれ〜〜〜、市立病院って〜、あの○○駅の前の?」
「いえいえ、それは大学病院です。行きたいのは、警察署の並びの病院です」
「あ〜〜〜、そっかあ〜〜〜、あそこか〜〜〜」
「はい、○○市立病院です。ちょっと娘が危ない状態なので、できれば急いでいただきたいんですが」
「あ〜〜〜、そう・・・・・どうやって行ったらいいかなあ・・・・・・国道からでいいかなあ?」
「(遠回りだけど仕方ないか)・・・・・・はい、いいです。なるべく急いでいただけたら助かります」
「ああ、は〜〜〜い」

 「こっちでよかったかなあ〜〜〜」
 「この辺だったよな〜〜〜」

 (頼りない! 頼むよ、おじさん!)

 のんびりのんびりしている上に、
前の車が右側のファミレスに入ろうとして
長々停まって車が切れるのを待っている後ろに停まり、
5分以上も停まったままだったりする。

 「あのお、結構時間掛かりますかねえ」
と、プレッシャーを掛けても、
「どうかなあ」
と、一向に急いでくれない。

 せっかちな運転手も怖くていけないが、
こうマッタリしすぎている人も困る。

 長女は見る見るぐったりしてきているのに!
 これなら自分で地図を見ながら運転した方が早いじゃないか?

 普通なら30分もあれば余裕で着くのだが、
結局1時間も掛かって病院に到着した。
 その病院は、救急体制が物凄く整っているので、
こちらが呆気に取られるほど段取りよく診察してくれた。

 偶然、前回診てくれた恰幅のいい中年の先生で、
「お、また来たね」
と長女と私に笑いかけながら、手際よく診察してくれた。

 私が抗アレルギー剤を飲ませたことを告げると、
「お、適切な処置だったね」
と、満面の笑みでほめてくれた。

 かつて何度も何度も夜間救急の世話になったが、
その応対は、本当に十人十色だ。

 それは、医者のキャラクターによるものが大きい。

 手際よく、感じがよく、適切な処置をとる病院は、きまって先生がいい。

 夜中だろうが土日だろうが関係なく、
患者の目を見て、笑顔を浮かべ、そして、迅速に処置する。
 付き添いの者にひとことねぎらいの言葉を掛けて、
最後に笑顔でゆっくりと「お大事に」と笑う。

 それだけでどれだけ安心するか。

 かつて、虐待を疑う医者もいたし、
「眠いのに」と不機嫌な医者もいた。
 「何でこんなんでいちいち救急に来るの」
と、ネチネチ嫌味を言う医者もいた。

 そういう病院は、決まって雰囲気が悪く、
看護士さんも不機嫌で感じ悪かった。

 医者の心構えひとつで、
病院全体が癒しの場になったり、冷たい雰囲気になったりする。

 看護士さんもたまったものではない。

 いい先生の下で働きたいだろうなあ、と思う。

 いやいや、看護士さんだけでない。

 会社でも学校役員でも、
上に立つ人の人望によって、その場の雰囲気が変わり、
みんながイキイキと働きたくなるか、イヤイヤになるか決まる。

 これは、部下の運命を左右する問題だ。

 学校の先生、職場の上司、病院の医者、町内会の役員、
そういう人たちの人望の厚さが本当に大事だと思う。

 今まで私は、この「上の人」というものに、
あまり恵まれなかったなあ、としみじみ思いつつ、
でも、恵まれたときは、思いっきりイキイキと動けたなあ、と考えていた。

 いや、待て。

 ひどい「上の人」の支配下でも、
まっすぐに自分というものを貫き、
イキイキと生きる人がいるではないか!
 【白井先生】だ。

 たとえ彼が次男の友人で、13歳の少年でも関係ない。
 私は彼を尊敬する。完全に「人生の師」と仰いでいる。

 どんなひどい人の下だろうが、どんなひどい環境だろうが、
自分に確固たる一本の筋が通ってさえいれば、
そこは自分ワールドなのだ、と、師は身を挺して教えてくれた。

 しじゅうを過ぎてもまだ、しっかり「筋」の通っていない私は、
こんな風に「上の人」のせいにせずに、
環境に適応していく練習をしなければならないだろう。 

 「上の人」のキャラによって、
イキイキしたりうつ状態になったりするなんて、
依存心が強すぎるのだ。

 まだまだ修行が足りないみたいだ。

 そういえば、先日、次男が白井先生にお言葉をいただいたという。

 「お前んち、金沢に帰省するとき、いつも新幹線なんだってな」
と先生が言うので、次男が、
「そうだけど何?」
と聞き返すと、
「俺なら【急行能登】で行く。夜行列車だから、眠っているうちに金沢に着くぞ。」
と厳かに言ったらしい。

 「夜行かあ・・・・・・疲れるからなあ」
と次男が言うと、
「もういつ廃線になるかわからないぞ。今のうちに満喫すべきだろうな」
と、先生は、次男を見据えて言った。

 私は、その話を聞き、
「次回の帰省は、夜行だな」
と心に誓ったのだった。

 2歳の長女を夜行で連れて行くのは至難の業だが、
高校生を頭に、中学生小学生の息子たちには、
なかなかいい経験になりそうじゃないか。

 それに、私もいい加減、
新幹線や特急の味気なさにうんざりしていたところだった。

 3歳の頃に見た、
あの、夜の暗い車窓。
 遠くに点々と光る民家の灯り。
 幼いながらも、その夜景に、
人生の切なさと人間のつましい営みの灯りを見つけ、
「いとをかし」的な想いにふけった覚えがある。

 ああ、乗りたい! 夜行列車に乗って、
あの切なくいとおしい夜景を涙目で眺めたい!


 「あかじそさ〜〜ん」

 ふいに名前を呼ばれて我に返った。
 ああ、そういえば、ここは救急病院であった。
 またしても魂が飛んでしまっていたようだ。


 会計を済ませ、抗アレルギー剤とジンマシンの塗り薬をもらって、
長女とふたり、ソファーに座って夫の迎えを待っていた。

 すると!

 あきらかに「その筋のアンちゃん」と「そのオンナ」のカップルが救急入り口から入ってきた。
 「オンナ」の方は、
「あああ〜〜〜ん、おなかイッタ〜〜〜イ」
と言うなり、人目もはばからずミニスカートをはいた足を投げ出し、
向かいのソファーに寝そべった。

 履いていた銀の安っぽいサンダルは、床にばらんばらんに放り出され、
マッキッキの長い髪をザンバラに振り乱しながら、
「イッタイの〜〜〜ん」
と、アンちゃんに甘えた。

 アンちゃんの方は、「ん」と言い、
赤いアロハをはためかせ、肩で風を切りながら受付に向かった。
 雪駄のペタッペタッという音が、がらんと静まった夜の病院に響いた。

 そこへ後から入ってきたのは、
これまた明らかに「その筋〜〜〜!」という感じの
スキンヘッドの30代後半の男性だった。

 スキンヘッドは、
「お、いい景色だな」
と、オンナのスカートを覗き込むそぶりをしたが、
オンナは、「ははは」と言いながらも大股開きを改めない。

 そこへ、受付を終えて戻ってきたアンちゃんが来て、
「兄さん、お手間とらせやした」
と巻き舌で挨拶し、軽く一礼した。

 「おう、車回しとくな」
と言うと、スキンヘッドは【西部警察大門軍団】のごとき馬鹿でかいサングラスを掛け、

颯爽と上下白スウェットスーツをなびかせて出て行った。


 ああ・・・・・・
 ああ、ああ・・・・・・

 彼らは、これで成り立ってるんだなあ!
 思い切り生活を「エンジョイ」しちゃってるんだなあ!

 こんな感じで社会と交わりながら、
ちゃんと生活費を稼ぎ、暮らしを営んでいるのだ。
 ツレの具合が悪くなれば、抱えて病院に連れて行き、
手下のオンナを車で運んでやったりもするのだ。

 「高学歴高収入のエリート官僚、妻とは別居」
とか、
「猛烈サラリーマン、家には寝に帰るだけ。家族とは口もきかない」
とか、
「ブランド物で身を固め、足元を見られないように必死のOL」
とかよりも、
よっぽど温かく楽しい暮らしをしているように見えるではないか。


 ああ、そして、
「子だくさんの社交的な奥さん」として地域に認識されている私だって、
彼らほど本音で、
「大股開き」で、
人生を謳歌しているだろうか?

 いや、していない。
 はっきり言って、毎日悶々としている。
 「こんなの私じゃない」と、心ふさいでいる。

 ちが〜〜〜〜〜うっ!

 こんなの、心の大股、開いてな〜〜〜いっ!


 私の、今の、この生活、この暮らし、この水は、
私に合っているのだろうか?

 視野が狭くて、目や脳が退化しそうだ。

 1回、まったく違う角度から自分の置かれた立場を
フカンで見てみようじゃないか。

 無価値と思えるようなことが、案外貴重なことで、
うっとおしいと思っていたことが、案外とてつもない幸福なのかもしれない。

 それに気づくために、緊急に何かをしなければ!


 ああ、そうだ! 旅に出よう。

 夜行列車がいい、鈍行でもいい。

 ここではないどこかから、ここを見てみよう。
 この水が私に合うかどうかを確かめに、
他の水に飛び込もう。 
 他を知り、そして、ここを知ろう。

 白井先生を信じ、鉄道に乗ろう。

 そうしよう!




      (了)

(話の駄菓子屋)2008.6.24.あかじそ作