「 不良バアバ 」


 四人立て続けに男児が生まれ、
この間、やっと念願の長女が生まれたと思ったら、
こいつがえらく気の強いオンナだということが発覚。

 どうも顔や体格だけでなく、
気質や性格も私の母に酷似しているようだった。

 基本的に【御意見無用】。

 「こうしなさい」「ああしなさい」という命令調に対しては、一切拒絶。

 何かできるようになるたびに
「すごいねえ、上手にできたねえ」
とほめてやるのだが、
そのたびにカチンとくるらしく、
(バカにしてんのか)という顔をする。

 だから、「ほめて伸ばす」という今までのやり方が通じない。

 ただし、かなりの姉御肌で、
「ちょっと困っているんだけど、助けてくれないかしら?」
と言われると、
「あいよ!」
と、二つ返事でどんどん働いてくれる。

 長女が母に似ている、と気づいた時点で、
命令調や子ども扱いは逆効果だと察知し、
今までの子育てでは使ったことのない、
「依頼」という形でしつけをすることにした。

 「あ、そうそう、そろそろトイレにおしっこする時間だわ。
 誰かトイレにおしっこくれないかしら?
 誰かおしっこしてくれたら助かるわあ・・・・・・」
と、私が心底困ったようにつぶやくと、

「うりちゃんおしっこしる〜〜〜」
と言い、
4本の手足をそれぞれバランバランに激しく振って、
一目散にトイレに駆け込んで行く。
 どうやら走っているらしい。

 そして、無事おしっこをし終わり、
「うわあ〜、助かったわあ〜、ありがとねえ、ゆり」
と言うと、
「はいよぅ」
と、まるで一仕事終えた職人のような表情で答える。

 めんどくさいといえばめんどくさい。
 しかし、扱いやすいといえば、扱いやすいと言えなくもない。

 「友達親子」とか
「親をアンタ呼ばわりする子」「アンタ呼ばわりされて喜んでいる親」とか、
そういうものにはなりたくないので、
基本的に子供の顔色をうかがうようなことはしないが、
そのかわり、
「親は絶対的に立派で偉くて間違いのない人間である」
という態度はとらないようにしている。

 わからないことは、「わからない」と言うし、
知らないことなら、お願いして幼児にも教えてもらう。
 要は、相手がチビだろうがクソガキだろうが、
一対一の人間として対峙したいと思っている。

 そういう基本姿勢で生きてきたので、
長女のような「小さい姉御肌」にもすぐ順応できた。

 ところが、42年経った今でも、
まだ順応できない、扱いきれない相手がいる。

 母だ。

 自立心の塊のような母は、
子供の頃から一切「ノーカウンセリング」で生きてきた。
 自分のことは自分で決め、実行し、切り開いてきた。
 悩みなんて誰にも明かさない。
 喜怒哀楽は直情型だ。

 味方にすれば、頼りがいのある「凄い姉さん」だが、
敵に回すと、恐ろしい「地獄の極道鬼悪魔」である。

 呑んで暴れてやりたい放題の父を手なずけて、
子供ふたりと孫7人をまとめてきたのだから、
その功績は素晴らしいのだが、
気性の荒さといったら、誰もコントロール不能である。

 70歳を前にして、
さすがの「鬼姉さん」も丸くなってきたように見えるが、
それでも家族は、彼女を「眠れる獅子」として恐れおののきながら
機嫌を損ねないように暮らしているのだった。

 母は、一時、血圧が高くなりすぎたので、
中学からのヘビースモーカーを返上し、禁煙を始めたのだが、
吸えない時のイライラの凄さに、
周りが先に音(ね)を上げそうだった。

 連日連夜、目が据わって
「テメーこのヤロー」状態だった。
 間違って逆鱗にでも触れたら、打ち殺されそうな勢いだった。

 現に、同居している父が
ある日腿に青アザをこしらえているのを、私は目撃した。
 聞けば、父が台所で旨そうに一服していたら、
母が向こうの部屋から超高速で駆け出してきて、
いきなり鋭いキックを食らわせたのだという。

 母は、自分でもこれではイカンと思ったらしく、
数日後には禁煙をやめてしまったが、
ほどなくご機嫌も麗しくなり、
周りも若干ホッとしたのであった。

 人の言うことを聞かない母。
 忠告も、アドバイスも、聞く耳持たない母。

 しかし、どうしても捨て置けないことがあった。
 父も私も主治医も散々注意しているのだが、
一向に改めてくれないことである。

 夜中の3時4時まで酒を飲み、
同時に、医者から処方された睡眠導入剤を服用してしまうことだ。 

 本当にこれは、自殺行為だから絶対にやめてくれ、と、
何度も何度も頼んでいるのだが、
「いいんだよ!」
と言って、聞いてくれない。

 主治医の先生に相談して、
上手に説得してもらったのだが、
先生の前では、「はいわかりました」と言いながら、
まだ同じことを続けている。

 「弱い薬だし、1時間も間を空けて飲んでるからいいんだよ!」
と、わけのわからない言い訳で、
決して酒と睡眠薬のちゃんぽんをやめない。

 「このままだとアルツハイマー一直線だよ」
と脅しても、
「いいんだよ!」
としか言わない。

 それでもしつこく注意し続けると、
母の方がブチギれて、血圧も上がり、
何度も具合が悪くなってしまったことがあるので、
あまり言いすぎることもできない。

 健康には気をつけているくせに、
「酒と薬の同時服用」をしなければ眠れないと思い込んでいる。

 眠れないはずだ。

 翌日昼まで寝ているのだから。
 一日じゅう部屋に引きこもってテレビばかり見ているのだから。

 そのことを父が指摘すると、
自分でも自覚しているせいか、
一瞬で大爆発し、激怒するらしい。

 主治医も勧めることだし、
「不眠の専門医に診てもらおう」と何度も誘っているのだが、
お決まりのセリフ「いいんだよ!」で一蹴されてしまう。

 この人は人の命令には従わない。
 そうだ、頼んでみよう。
 姉御肌の部分に働きかけて、
自らこの困った習慣を直すようにしてもらおう。
 そして、母の心の奥の苦しみを解き放してあげよう。

 私は、母に頼んでみた。

 「このまま【酒と薬同時飲み】をやっていると、
この先家族はみんな、バアバに振り回される人生になってしまうよ。
 もちろん私は喜んでそれに付き合うつもりだけど、
孫たちの人生も少なからず狂わせてしまうんだよ。
 バアバは孫たちに対して愛情いっぱいにさ、
あれこれ尽くしてくれているじゃない。
 だから、お願い。
 孫たちのためにも、自分の健康をちゃんと考えて欲しいんだ。
 これは説教じゃないんだよ。
 本当に心からお願いしているの。
 死んだじいちゃんだって、絶対心配しているよ。
 親孝行、子供孝行、孫孝行だと思って、
一肌脱いでくれないかな?
 酒やめろとか、薬飲むな、って言ってるんじゃないの。
 それを一緒に飲むのだけ、やめて欲しいんだ。
 もし、自分でやめられないんだったら、
やめられるように、そういういい病院連れて行くからさあ」

 「わかってるよお」

 母は、そう言うと席を立ってしまった。


 数日後、実家をたずねると、
母のおでこと肘に大きなアザを見つけた。

 「どうしたの?」
と聞くと、
「ちょっと転んだだけよ」
と言って、台所に逃げた。

 今度は父に聞くと、
父は、
「ゆんべは、本当にやばいと思ったよ。ついに脳がプッツンイッタかと思った」
と、興奮して言う。

 父の話によると、
夜中にドスンとすごい音がしたので、
階下に急いで降りてみると、
階段下のトイレの前で、母がぶっ倒れていたという。

 声を掛けて揺すってみても、
「うんうん」
とだけ言ってちゃんと反応しない。
 「これはいかん、脳溢血だ」
と思って119番しようとすると、
母がむっくり起きてトイレに入った。

 「何だどうした」
と父が聞くと、
「いいんだよ! トイレ出るときに転んだの!」
と母は言い、再びトイレの前の床に寝そべった。

 「おい、ダイジョブか」
と聞くと、母は、
「いいんだよ! ほっといてよ!」
と言い、スースー眠ってしまったのだという。

 「ほらああ!!! 酒と薬でラリッてるからそうなるんだよ!」
と、私は思わず声を荒げてしまいそうになったが、
その一言を飲み込んで、母にもう一度聞いた。

 「何でまた床に寝たの」

 すると母は、
「またすぐおしっこしたくなるからトイレの前で寝てたのよ」
と気まずそうに言う。

 私は悲しくなり、黙ってしまった。

 その後、母は、孫にご飯を作ってくれたり、
私にコーヒーを淹れたりしてくれて、
いつものしっかりした明るい母だった。

 が、私の心は決して晴れず、
母の繰り出す愉快な世間話にも、
苦笑いしか浮かんでこなかった。


 中高生になった息子たちは、
彼らを必死に守ろうとする私の腕を振り払い、
それぞれ違う方向へ羽ばたこうとしている。

 私が見当ハズレなことを言うと、
筋の通った言葉を連ねて論破してくる。

 こちらが「こうした方がいい」と思うことと、
まったく違う生き方を歩もうとしている息子たち。

 自分の無力感と、育児の終わりが近づいた淋しさとで、
ひとりぽつんと立ちすくんでいたところだったが、
ここへきて、
母親からも「放っておいてくれ」と言われている。
 こんなに母を想っているというのに。

 知らず知らずのうちに
私の口は、「への字」になり、肩で息をし、
「うえ〜ん」と泣き出しそうになっている。


 咳払いをひとつして、気を取り直し、
私は、静かに母に言った。

 「これは、私が言っているんじゃなくて、じいちゃんが言ってると思って聞いて。
 これは、飲みすぎ。 お酒と薬は、どんな理由があろうと、
一緒に飲んじゃダメ。じいちゃん心配症なんだから、成仏できないよ」

 「んなことないわよお! じいちゃんは、ばあちゃん命なんだから、
ばあちゃんのそばで楽しくやってるわよ! あはははは」

 母は、私が泣き声だということにまったく気づいていなかった。
 気づいていたといころで、母は、決して人の言うことなど聞かないだろう。

 この不良ババア!
 ちったあ、人の言うこと聞け!
 自分の都合ばかり考えないで、
人の気持ちも考えろ!

 これで早死にしても、逆に苦しい長患いしても、
文句言うなよな!
 それは、自分の選んだ生き方なんだからな!

 勝手な人だ!

 母も!
 父も!

 それとも、私が口うるさいだけなの?


 何だか哀しい!

 梅雨よ、早よ明けろ! バカヤロ〜〜〜!!



    (了)

(話の駄菓子屋)2008.7.8.あかじそ作