「 されど父母 」 |
明るく、活発で、頼りがいのある性格、 身長は小さいのに気迫がりんりんとみなぎる、 女版高倉健のようなたたずまい、 それが私の母である。 母には、昔からずっと、炎のような後光が射し、 「闘う母性」のような迫力があった。 生ける鬼子母神そのものだった。 ところが、父が定年退職後、 一日じゅう家に居て、 年がら年中母にまとわり着いて わけのわからない言動を24時間365日繰り返しているうちに、 さすがの母も「夫在宅ストレス症候群」となり、 ウツや不眠、高血圧症を発症してしまった。 父は、今まで数十年間、 家族を省みずに好き放題に生き、 給料のほとんどは、酒とパチンコ代に消えてしまった。 たまに家に帰れば、 酔ってクダ巻いて家族に暴力を振るっていたのだ。 私は、子供の頃、 なぜ母のような人が、こんな男と結婚したのか、 なぜこんなにされて離婚しないのか、 本当に不思議でならなかった。 「自分の背と鼻が低いから、結婚相手は背と鼻の高い男と」 ということで父と結婚した、と、うそぶいていたが、 「んな馬鹿な!」 と、いつもいぶかしげに思っていた。 母は、がむしゃらに働いて子供を育て、 時々帰ってきては子供たちに暴力を振るう父に対して、 飛び蹴りや回し蹴りで返り討ちにしてきた。 やられた父は、いつも決まって 断末魔のゴキブリのように仰向けに寝転がり、 ころころ回りながら 「エ〜〜〜ン、エ〜〜〜〜〜〜〜ン」 と幼児の泣き声をあげるのだった。 「だって、会社で怒られたんだも〜〜〜ん」 「だって、みんなにいじめられたんだも〜〜〜ん」 そして号泣した翌朝には、すっかり機嫌が直り、 また会社に出かけていく父。 たまに「行きたくないよう」「もう会社やめたいよう」と半べそをかく父に、 「いいから、行け!!!」 と、背中を蹴飛ばしていた母。 私も大人になり、 一応、夫婦の危機などを乗り越えてきた経験を経て、 最近やっと父と母のことがわかってきた。 父は、愛すべき「永遠のクソガキ」であり、 母は、あふれ出る「スケ番パワー」を、 「クソガキ」の世話によって昇華させることで、 何とか家庭人として収まっていられたのである。 母は、父以外の人と結婚していたら、 向こう気が強すぎて、家庭に収まっていられなかっただろう。 出来た人が相手だったら、 退屈のあまり家を飛び出して家庭を放棄し、 きっと子供も孫も抱けなかっただろう。 母にとって、父は、 ベストパートナーだったわけだ。 さりとて、理屈ではなく、現実問題として、 連日連夜「自己チュー」全開の父に大いにストレスを感じ、 いくつも腸にポリープをこしらえてしまったほどなので、 母も、自衛手段として、 無理やり「自由なひとりの時間」を作り、 気持ちを解放するようにしていたらしい。 夜、父が寝た後。 これが、母のゴールデンタイムだった。 しかし、父もさるもの。 いつまでも母にまとわり着いていたいものだから、 夜中になっても、なかなか寝ない。 よって、母も、父が眠るのを待つものだから、どんどん夜更かしになる。 それによって起床時間も遅くなる。 昼ごろ起きて、あっという間に夕方になり、 食事の支度に追われるから、 次第に家に閉じこもりがちになる。 そして、運動不足になり、 父からのストレスも加わって、 眠れなくなった。 それがこじれにこじれて、 結果的に、問題の 「飲酒と睡眠薬のちゃんぽん」 となったわけだ。 「なんでこんなに頼んでもバアバは、【ちゃんぽん】をやめてくれないんだろう」 と、私が父に言うと、 「ほんとになあ」 と、意外にも穏やかに言う。 「意固地にもほどがあるんだよね」 と、私が少し怒って言うと、 「バアサンは、神経が細かい女なんだよ」 と、優しい顔をして言う。 何か、物凄くいとおしいような口調で語っているので、 「ん?」 と思って父に向き直ると、 「アイツは、本当は弱いオンナなんだよなあ」 などと、ジジイがお目目にお星様をキラキラさせて言うのだった。 不気味なことに、 父は、母を、物凄く愛しているのだった。 そういえば以前、 私が父のわがままに怒り狂い、 母に対して 「あのクソジジイ、いい加減にしてほしいわ!」 と言うと、母は、 「お父さんは不器用だから、上手に優しくできないのよ」 などと、ほほ笑んでいやがった。 あああ〜〜〜そっか。 そういうことか。そっかそっか。 うちの父と母は、 恐ろしく暑苦しくつかみ合いながらも、 熱く愛し合っているというわけなのだな! くっ! 頭の中に、ふと、言葉が浮かんだ。 「ひじは、こういう風にしか曲がらない」 すぐには意味が分からなかったが、 つまりこういうことか。 あっちのものを取るときに、 腕をあちらの方に伸ばせばすぐに取れるが、 ひじは、こういう方向に向いていて、 こういう方向にしか曲がらない作りになっている。 だから、あっちのものを取りたくても、 関節を逆の方向に曲げて取る、ということはできない。 ひじは、正方向に曲がるしかないわけだ。 それと同様に、人間は、 みなある一定のくせを持っていて、 それは、関節のように「こういう風にしか動けない」という縛りがある。 「こういう風に動きたい」 「こういう人間になりたい」 と思ったところで、 頑張っても頑張っても、関節は逆には曲がらず、 思うように動けない、ということも、確かにあるのだ。 父も、母も、 仲良く暮らしたいと思っている。 みんなとうまくやっていきたいと願っている。 父は、母を苦しめたくないと思っているだろう。 母は、「ちゃんぽんをやめたい」と、自ら困っているに違いない。 でも、関節が決まった方向にしか曲がらないのだった。 人と、素直に、まっすぐに手がつなげない。 その、「スッといかない」ジレンマに困惑しながらも、 何とかタッグを組み続けているのだ。 互いに関節技を掛けながら。 「痛い痛い」と叫びながら。 逆関節で手をつないでいるのだ。 痛い愛だが・・・・・・されど、我が父母。 そのまんまをまるのまま受け入れることにしよう。 もういっそ、関節痛と仲良くなるしかないな。 ああ、いてえいてえ! (了) |
(話の駄菓子屋)2008.7.15.あかじそ作 |