「 キュウリと私 」

 毎年のように春先に野菜の苗を買ってきて、
我が家の猫の額ほどの小さな小さな庭に植えて育てていたが、
今年は、何やらいつもと様子が違った。

 トマト・ナス・ししとう・ピーマンに加えて、
今年初めて植えてみたキュウリの苗が、
ギョッとするほど良く育つのだ。

 初夏の頃は、
ナスとししとう、ピーマンに付くアブラムシや、
キュウリの青虫を毎日一匹一匹つぶし、
ともかく虫との戦いだった。

 アブラムシなどは、たくさんいたとしても小さいので、
「ああもう」などと文句を言いながらも鼻歌交じりに退治できるが、
青虫ときたら、そうもいかない。
 小さいうちに発見してつぶしてしまえばいいのだけれど、
うっかり見逃してしまい、巨大になったそれを見つけるたびに、
背筋がぞくぞくしながらも、必死で割り箸で挟み取り、
ヒーヒー言いながらつぶすことになる。

 つい一日でも退治し忘れたりした日にゃあ、
もう、手の小指ほどもある丸々太った青虫が、
ガジガジ音を立てるほど猛烈な勢いで、
せっかくの新しい葉を食い尽くしてしまう。

 もともと私は、虫が大っ嫌いなのだが、
嫌いだからこそ、異常に気になり、
「イヤ〜〜〜ッ」と絶叫しながらも、
容赦なく退治せずにはいられない。

 とにかく、世の青虫がすべて蝶に変身し、
ぱったりと姿を消すまでの間、ずっと、
私は、キュウリの苗を買ったことを後悔し続けた。

 ところが、あんなに毎日私を苦しめ続けた青虫は、
蝶に変わったとたんに、キュウリの花から花に飛び回り、
頼みもしないのにたくさん受粉をしてくれた。
 まるで幼い時期の自分を養ってくれたキュウリに恩返しでもするように、
何度も何度もキュウリの花ばかりにとまり、
けなげにその子孫繁栄の手助けをしているのだった。

 こうなると、キュウリの実を食らうために、
血眼になって虫を殺しまくっている自分が、
キュウリの味方どころか、その子孫を根絶やしにする天敵のようにも思えてくる。
 偽善家で独善的な、生物の連鎖を勝手にちぎり取る、
「ヒト」という名の嫌な野郎に思えてくる。


 青虫がいなくなった後のキュウリの急激な育ち方といったら、
尋常ではなかった。
 毎日雨戸を開けてキュウリの苗を見るたび、
思わず身を引くほど、すさまじく伸びまくっているのだ。

 こうなると、どんどん面白くなり、
もっと伸びろもっと伸びろ、と有機肥料を与えてみたり、
まめに手入れをしてみたりして、
どんどんはまっていく自分を止められなかった。

 おととい3センチくらいだったミニキュウリが、
昨日は、10センチになっていて、
今朝は、30センチになっていた、
などという、ターボのかかった成長に、
連日、家族揃って驚愕の悲鳴をあげていた。

 こんなにすさまじく長く伸び、実を成すとは思いもしなかったため、
伸びてきたツルを、適当に2階のベランダから下ろしたひもに絡ませていたが、
その重みで、ひもがしょっちゅう千切れ、何度も何度もつるし直した。
 いったん左方向に伸ばしたものの、まだまだ伸びていくので、
今度はひもを右の方向から下ろしてやると、
そこにもまた絡みつくしてしまい、
左に伸ばし、そしてまた右へと伸ばしていくうちに、
もう、ニッチもサッチも行かないくらいに
ツルが庭の空間を右へ左へと広がり、
ついには、南側の窓に、きゅうりの葉でできた大きなひさしが
できあがってしまった。


 「す、すごい!!!」

 うちに来たヤクルトさんも、宅配便の人も、郵便屋さんも、
みな、ギョッとしてひっくり返って言った。

 こんな風なので、近所の農家に栽培しているキュウリを
「どんなもんだか」とちょいちょい観察してみたが、
どこの畑のキュウリも、我が家のキュウリほど激しく育っているものはなかった。

 うちは、しょぼい100円ショップのプランターで植えているだけなのに、
なぜにこのように猛烈に育ったのだろうか?

 よっぽど土の酸性度やら栄養やら日照条件などが合ったのか、
ともかく、もう、「万田酵素もびっくり」の育ちようだった。

 よく、小学校の校舎に、へちまが屋上まで伸びているのを見かけるが、
あんな感じでキュウリが我が家を包み込んでいるのだ。

 毎日毎日その日に食べるキュウリを収穫し、
冷やし中華に入れたり、ぬか漬けにしたり、スティックキュウリにしたり、と、
ともかく、この夏は、キュウリを一本も買わずに済んでいる。

 そのことを家庭菜園のプロである両親に言うと、
さっそく様子を見に来たのだが、
「でたらめなツルの這わせ方して〜」
とか、
「いい実を育てるために、育ちの悪い芽は早めにかき取れ」
とか、さすがなアドバイスをくれるのだが、
どうしても、私には、「選別」というのができないのだ。

 余計に生えすぎたわき芽も、
成りかけている小さな赤ちゃんの実も、
育ちのいい実をより良く育てるために、
その犠牲になってむしり取られてしまうのは、かわいそうでならないのだ。

 だから、しっかりと水をやり、
肥料をやり、よく目をかけながら、
その「余計」と言われてしまう芽や実をも、育て続ける。

 そのせいで、全体的に育ちが悪くなってしまうのなら、
それはそれで仕方のないことだ。
 新しい芽吹きや青い実の生命力に感服し、
育とう育とうとする気概に心を洗われる。
 だから、「要領良く生き抜くため」の無用な手出しは、したくないのだ。

 すくすく育つ実の横で、
栄養や水分をそれに全部吸い取られて、
ダメになってしまった小さな実もたくさんある。

 もうダメだな、これ以上育たないな、腐りかけてるな、
明日にでもむしり取ってしまおう、
と思っていた実が、追肥したら、ぐいぐいと勢いを増し、
立派なおいしい実に育った、というものもあった。

 だから、今、「ダメだな」と思ったヤツも、
とことん付き合って、見守っていこうと思った。
 後になって、思わぬ変身を遂げるのを、期待せずに待とう。


 私には、子供が5人いるが、
いつもいつも全員「思い通りの子」だったわけではなかった。
 その子の本質的なものからだけでなく、
親の愛情のかけ方や、学校や友達などの環境的なことで、
子供は腐りかけたり、ものすごい伸びを見せたりする。

 このキュウリたちは、私に、教えてくれているのかもしれない。

 今、ダメダメな子供にも、
あきらめず、毎日毎日、目を掛け続けなさいよ、と。
 水を遣り続けなさい、と。
 適度な時期に、適度な愛情と言う追肥を与えなさい、と。

 決して、選別をするべきではないんだよ、と。


 今年のお盆も、夫の田舎に帰省したが、
2泊3日して帰ってきたら、
しょぼくれて萎れかけていた3本の実が、
ゴーヤのような巨大なキュウリとなって軒先にぶら下がり、
私たち家族を迎えてくれた。
 この3兄弟、もうダメなんじゃないか、
私がいない間に逝ってしまうんじゃないかと、心配していたのだ。
 それなのに。 

 お前たち・・・・・・よくぞ・・・・・・

 私は、胸がつまった。
 一生懸命大きく育った、可愛いキュウリの子供たち。

 すぐに5人の子供たちが、わあわあと駆け寄り、
飛び上がったり、大きい子が小さい子を抱き上げたりしながら収穫し、
顔の横に並べて写メしたりして盛り上がっていたが、
その様子を薄暗い台所で麦茶を飲みながら
「よく成ったよく成った」
と、ほくそ笑んで眺めている母の表情など、
子供らは、まるで気づいていない。

 栽培も何もへたくそで、行き当たりばったり。
 選び抜かれた特選一級品を産出したりはできないかもしれないけれど、
うちの畑は、なかなかに豊作だ。

 ああ、 
「育てる」って、エクスタスィ〜〜〜!



    (了)

(子だくさん)2008.8.26.あかじそ作