「 もう一回見直す 」

 2歳の長女が、家にある子供向けのDVDを
ほとんど見尽くしてしまったので、
奥にしまいこんであった親所蔵のDVDをいくつか出してみた。

 パッと目に付いたのが「ET」だったので、
「これ面白いよ〜」
と言いながら再生してみせると、
前半は、「怖い〜〜〜」、
中盤は、「これ誰〜〜〜」、
後半は、「どうなってんの、なにやってんの、これ」
の連呼で、
ほとんど内容を理解できないながらも、
自分のうちのように兄弟が何人も出てくることに引き付けられて、
結局最後まで見ていた。

 途中から見始めた小3の四男も、
「これどういう意味?」
「何でこうなるの?」
と、私に聞きっぱなしだった。

 「いいから黙って見とれぃ!」

 子供に見せるために再生したのに、
気づくと自分の方が釘付けになっていた。

 「ET」がロードショーにかかったのは、
私が高校生のときだった。
 吹奏楽部の仲間と一緒に、
満員の映画館の通路でしゃがみこんで見た覚えがある。

 飛ぶとわかっちゃいるのに、いざ飛ぶと涙がツツッと出たし、
男友達同士の友情や、
兄弟の絆など、
高校生の観点でもずいぶん感動できた。

 その直後の文化祭では、
吹奏楽部で「『ET』のテーマ」を演奏し、
私は、ホルンでサビの部分のソロも吹いた。

 思い出いっぱいの映画だったが、
20年以上、ビデオやDVDを見返すことは無かった。

 ところが、だ。

 今、40歳を過ぎて、
上は高校生、下は2歳まで、5人の子供たちを持った状況で、
この映画を見直して、
高校生のときに感じたものの数倍、いや、数十倍のものを感じた。

 親から、大人からの視点が増えたからだ。

 子供たちの母親、
NASAの研究者の男性、
物語に登場するすべての大人たちの気持ちがわかる。

 子供の頃に見た時は、
登場する大人たちがみな、敵に見えたし、
「何でこんなひどいことするのよ?」
と思うようなことを、大人たちは、無神経にやっていた。

 ところが、
大人になってから同じシーンを見ると、
大人の側の事情がわかるし、
子供には無情に見えることも、
子供を想ってのことなのだ、とわかる。


 はてさて、
本などは、
「年をとってからもう一回読み直すといい」、
「また違う味わいを感じる」、
という話をよく聞くが、
映画もそうであったか。

 高校から大学の間に、
私は、毎日のように映画館をはしごして、
年間何百本も見ていたが、
今思えば、
「何が面白いんだか」
というものもたくさんあった。

 文学少女だった当時、
「ほたるの墓」を見に行って、同時上映の「となりのトトロ」もついでに見たが、
ちっとも面白く感じなかった。
 子供だましだな、幼稚だ、と思っていた。

 ところが、子供を持ってから見ると、
「となりのトトロ」の方が面白く感じる。
 大人の世界を知った上で、子供の世界を見渡す面白さ。
 当時、あんなに「文学的」と感じた「ほたるの墓」に対しては、
「どんなにイジメられても、幼い妹を守るために我慢して
親戚の家に居座りなさい、お兄ちゃん!」
「小さな子供を守るために、自分のプライドなどかなぐり捨てる方が
かっこいいんだぞ」

と、思ってしまった。

 やはり、人生前半に読んだり、見たりした作品は、
もう一度見直すべきだ、とつくづく思う。

 若い頃には気づけなかったことが、
2回目3回目では、山ほどあるはずだ。
 チーチーパッパの何も知らない若造が、
一度鑑賞しただけで「もうわかった」という気になっていては、
恥ずかしい限りだ。
 つまらない。

 一見、ただの苦労の積み重ねのように感じる地味な「経験」てヤツが、
実は、
味噌ラーメンにのせるしらがねぎのごとく、
フライにかけるおろしポン酢のごとく、
仕上げにすする蕎麦湯のごとく、
すべての物語に、粋な味わいを与えてくれる。

 一方面からしか見えなかったストーリーが、
実は、立体的な舞台装置を持ち、
多方面からのサイドストーリーが透けてくる。
 地味なキャストのスミズミにまで共感できる。

 共感できる何人もの人間が、
それぞれ別の立場から向き合い、働きかけ、
それぞれ別の想いを抱く。
 ひとつのストーリーが、各々に別の意味をなして動いていく。


 ああ、大人になるって、面白すぎだ。
 何度も何度も楽しめる。

 もう一度見直そう、大人の立場から。

 本を読もう。
 映画を見よう。
 歌を聴こう。



 ・・・・・・老人になってから見たら、
また違うものが見えるんだろうなあ・・・・・・

 どんだけ無限大なんだよ、作品の味わいってヤツは・・・・・・



       (了)

(話の駄菓子屋)2008.9.16.あかじそ作