しその草いきれ 「これは、天職?」
 

 最近、生まれて初めて体験した「内職」。
 家で子供たちの世話をしつつ、ひっきりなしに手を動かしていると、
頭の中が真っ白になり、時間が経つのも忘れて没頭してしまう。
 
 今のところ、一日数時間やっても、
500円とか1000円とかにしかならないけれど、
暇つぶしに子供連れで外出すれば、
スーパーだ、100円ショップだ、ドラッグストアだ、で、
一回につき1000円や2000円は軽く使ってしまう。
 無駄な買い物を防いでマイナス2000円、そして内職のプラス1000円で、
実質一日合計3000円のプラスになる。
 
 これは、なかなか思った以上にいいかもしれない。
 夫の稼いだお金なら、
3000円も19800円もすいすい使えるが、
自分が稼いだお金は、そう簡単に使いたくないから不思議だ。
 
 夫の稼ぎで生活費を賄い、
自分の稼ぎは貯金もしくは、遊興費として使いたいものだ。
 まあ、誰が稼ごうと財布は一緒なのだから、
実質、同じことなのだが。
 
 
 記念すべき最初の内職は、
高級菓子折の箱を組み立てるもので、
底の箱と、ふたの箱、中の「ひな壇」と仕切りでワンセットになっており、
完成品ひとつで5円もらえるという。
 
 初めは、慣れない作業の上、
箱がグニャッとつぶれたらいけないと思って慎重に作っていたので、
ものすごく時間がかかったが、
10個作った位から、はたと何かをつかみ、
サクサクサクッ、とすばやく綺麗に作れるようになってきた。
 
 コツをつかめばこっちのもので、
あとは、単調作業の規則正しいリズムに身を任せ、
しゅっしゅっしゅっ、と何も考えずに組み立てていけた。
 
 (ああ、楽しい!!!)
 
 暇さえあれば、難度の高い「大人の折り紙雑誌」を見ながら、
折り紙作家の作った芸術的な作品を折る練習などしていたのだから、
紙を折ることは、私にとって、生理的に心地よい作業なのだと思う。
 
 金を稼ぐためだとか、それは何に使うための金だとか、
そんなことは、完全に頭から吹き飛び、
箱を折り、組み立てる作業そのものに陶酔している自分を感じた。
 
 嗚呼、ノーストレス!!!
 
 いや、むしろ、エクスタシー!
 
 一個5円払ってでもやりたい作業だ、これは!
 
 頭の中を真っ白にしながら、夢中で内職に打ち込むうちに、
子供たちが次々帰ってきた。
 
 「これ一個作っていくらになるの?」
 
 「5円」
 
 そういうと、
小学生の三男四男は、
「ええ〜、いいなあ! ぼくもやりたい!」
と言い、
中学生の次男は、
「単価5円って、内職にしては高い方だろうね」
と言い、
高校生の長男は、
「ふ〜ん」
と言う。
 
 長男は、アルバイトで時給850円をもらっているため、
内職を一日がんばっても1000円程度だということに、
(安っ)
と思っているに違いない。
 しかし、そこで
「何だ、そんなに大騒ぎしてたったのそれだけ?」
などということは言わないでいてくれた。
 
 その代わり、
「お母さん、自転車パンクしちゃって、タイヤ全交換で4000円だって。ごめん」
と言い、あっさり「箱8000箱分の報酬」を私から受け取っていった。
 
 箱作り4日〜1週間分の額を、いともあっさり持っていく。
 
 さらに、次男にいたっては、
「友達とディズニーランド行くから5000円もらえるかな?」
と遠慮がちに言ってきた。
 
 ああ、前から約束していて、楽しみにしていたヤツね。
 はい、「1000箱分」どうぞ!
 
 世の中で流通している金額は、私から見たら、概して高い。
 数千円から数万円を、小中高校生が平気で動かしている。
 
 そりゃあ確かに両親揃って外に勤めに出て、
フルに働きまくれば、
そのうちの子供は、それくらいの額は軽く動かせるだろう。
 しかし、ろくに家の手伝いもせずに、
「ご飯早く!」「お父さん臭い!」「ババアうぜえんだよ」
などとのたまうクソガキに、
親が身を削って獲得したお金を湯水のように遣われるのは、
いかがなものだろう?
 
 ありがたいことに、うちは、
父ちゃんが零細個人事業主だし、
母ちゃんは常に乳飲み子を抱えて髪振り乱して家事育児しているし、
ひと箱いくらだ、これは箱何個分の値段だ、と大騒ぎしているわけで、
子供たちも贅沢を言える雰囲気でないことは重々わかっているようだ。
 
 数千円の部費や教材の集金を申し出るのさえ、
申し訳なさそうにしている。
 
 ところが、そんな経済観念を持っていても、
世の中に出れば、その世の中に流通する相場というものがあって、
子供たちがいくら節約しようにも、
友達関係の中で断れないことも多々生じてくる。
 
 そんなわけで我が家は、
家の中は、内職の材料が山積みの「ド昭和」で、
一歩外に出れば、消費天国「平成」となり、
玄関ドア一枚で通貨単位を、いや、時代感覚をも、
切り替えねばならないシステムとなっている。
 
 家では大金の1000円が、オモテでは、100円玉くらいの価値になり、
家族の中では「趣味の家庭菜園」が、
学校やママ仲間には、「エコロジーなスローライフ」と呼ばれてしまう。
 
 同じことをしていても、家と外では呼び方が変わり、
意味合いも変えられてしまう。
 子供が多くてわいわい楽しい我が家も、
人から見れば「貧乏子だくさん」と銘打たれ、
「いつも大変ねえ、いろいろと」と変なフォローをされる。
 
 「あのぉ、ウチは、幸せですが。質素で不便な昭和って、いいもんですよ」
と思うのだが、いまどきのママたちには、
「がんばって」
と、いつも励まされる。
 
 ま、いっか。
 
 まあ、ともかく、
昭和の暮らしが気に入っている私にとって、
内職というものは、
「昭和のおかあちゃん」の必須アイテムとして欠かせないものであり、
ずっとあこがれであった。
 
 ただ、平成の価値基準や時代感覚に翻弄され、
今まで手を出せずにいた。
 
 ところが実際、人にいろいろ聞いてみると、
「内職をやっている人は結構多い」ということがわかった。
 
 そして、見回してみれば、
菓子折の箱作りだの、
ダイレクトメールの住所シール貼りだの、
通販雑誌のビニール梱包だの、
フエルトのマスコット縫いだの、
弁当に入れるアルミケースのセットだの、
ガチャガチャのカプセルにおもちゃを入れるだの、
とにかく、ありとあらゆる商品が、
全国の内職さんたちの手によって作られているのだった。
 
 何銭という単価が、中間業者が何件もはさまっていくうちに、
数百倍の値が付いて店頭に並んだり、
販売促進品として音も無く存在していたりする。
 
 世の中にある物の、本当に大部分が、
各家庭の内職さんに支えられているのだ。
 
 その分、誰かがたくさん儲けているのかもしれないが、
その影で、一生懸命に納期を守って働いている人たちがいる。
 赤ちゃんを育てながら、
老親の介護をしながら、
障害を抱えながら、
家の中でがんばって働いている大勢の人たちがいる。
 
 オムツ換えや授乳の合い間に、
徘徊するじいちゃんが昼寝している隙に、
障害のある体を工夫して動かしながら、
納期までに仕事を仕上げようと、がんばっている人たちが、
本当に、本当に、たっくさんいるのだ。
 
 名も無いプロフェッショナルたちが、
この日本の基礎部分を支えている。
 生きてゆくため、ほんの少しの通貨を手に入れるために、
ひとりで根をつめている人たちが大勢いる。
 
 う〜ん・・・・・・
 
 なんだか、すばらしい世界に足を踏み入れたような気がする。
 
 お金以外の物を、たんまり手に入れた気が。
 
 
 
 昨日来た仕事は、
雑誌の付録のキャラクターカードを、小さな袋に封入れするものだった。
 2000通を1日半で、という依頼だったが、
夢中になって、あっという間に仕上げてしまった。
 翌朝、一番で元締めに電話して、
「もう終わりました」
と言い、驚かれた。
 
 「私、内職が天職かもしれない」
と、うっとりする私に、夫は、何か言いたげだ。
 
 私は、調子に乗ってさらに続けた。
 
 「この間亡くなった俳優の緒方拳は、天職を全うして幸せだね。
亡くなる間際まで好きな仕事をして、
ちゃんと撮り終えてから亡くなるなんて、凄いよね。
 私も、亡くなる間際になったら、
『あの箱の組み立て終わらせなくちゃあよお・・・まだふたが終わってねえだよぅ』
とか言って、ベッドに体起こして、気迫で最後まで箱折ってさあ、
かっこよく納期に品物を納めたいよ。 はっはっは」
 
 夫は、苦笑し、こう言った。
 
 「天職は、他にもあるんじゃないの?
 ちゃんと作文書いて、ちゃんと投稿すれば、
もう一個の天職にも就けかもしれないよ」
 
 あ・・・・・・
 
 子供の頃からの「作文職人」への夢を、
うっかり忘れてしまっていた。
 
 ま、いっか。
 作文も、箱作りも、
家で納期を守って、ひとりでやる仕事だもんね。
 おんなじおんなじ。
 
 
 
 
        (了)
 
 
 
  (しその草いきれ)2008.10.14.あかじそ作