しその草いきれ 「カンテを聴いて 3」
 
 中学校と小学校、掛け持ちで役員を引き受けてしまったので、
今まで以上に「若干の責任が生じる雑用」が増えてきてしまった。
 
 ちょっとした集会でも、2歳の末っ子をいちいち連れて参加するので、
なんだか妙に気疲れしてしまい、
毎日の家事育児は、やはり後手後手に回ってしまっていた。
 
 そんなある日、
一週間に一度しか立ち上げる暇がないパソコンに、
彼女からのメールが届いていた。
 一週間に一度しか開かないので、
迷惑エロメールの数も半端ではなく、
数百にものぼるエロメールに紛れて、
あやうく大事な便りを消去してしまうところだった。
 
 フラメンコ歌手のナランヒータさんからの手紙だった。
 
 彼女からのメールは、あえて「手紙」と言いたい。
 と、いうのも、彼女は、
2000年に催された政府主催の「インターネット博覧会」ですれ違って以来、
数回しか会ったこともないのに、
完全に「心の友」であったからだった。
 
 以前2回、彼女のカンテ(フラメンコの歌)を聴かせて頂いたのだが、
もう、これは、本当に、はっきり言って、
「全然違う」としか言いようが無い感想を持った。
 
 今まで聴いてきた歌の数々も、
心を酔わせたり、ノリノリになったりはできても、
もうひとつ、心の一番深部にまでは迫ってこなかった。
 いや、自分では迫られているような気でいたが、
彼女のカンテを聴き、
本当に魂が震えるようなエクスタシーを感じて、初めて、
「ああ、今までの歌とは全然ちがう」
「今までは頭や神経だけで音楽を聴いていた」
と気付いたのだった。
 
 もう、「全然違う」。
 これが本当に一番ぴったりくることばだ。
 
 彼女の歌を聴ける機会があれば、
万障繰り合わせの上、ぜひ飛んでいって聴かなければならない、
そうでなければ、この人生の中で大損をしてしまう、
というような想いがいつもある。
 
 そんな中での彼女からのメールを、
エロメールと共に消去しかけて、
「うっわ〜〜〜! あっぶね〜〜〜!!!」
と、寸前に気付き、慌てて開いたのだった。
 
 なんでも、彼女の主催しているカンテ教室の生徒さんたちが、
渋谷のライブハウスで歌を披露するらしく、
先生のナランヒータさんも何曲か歌ってくれるというのだった。
 
 「行く! 絶対行く!」
 
 即、いとこのhanaにもメールを転送し、
「私は行くが、行くだろ?」
という主旨のメールも送った。
 前々からケイタイの返信が恐ろしく早いhanaだったが、
このときは、もう、超人的なスピードで返信が届き、
「娘の運動会が延期にならなければ絶対行く!」
との返事だった。
 
 決まった!
 
 2学期は、運動会やらバザーやら持久走大会やら、
学芸会やら遠足やら修学旅行やら三者面談やらが、もう目白押しで、
小中高校生を持ち、さらに役員を掛け持ちしている私は、
すさまじく忙しい日程を組まざるを得なかった。
 
 さらに最近、
内職と配達の仕事をこれまた掛け持ちで始めたので、
もう、大パニックだった。
 
 でも、そんな大パニックのときだからこそ、
魂のチャージが必要だと思った。
 人生を追いまくられっぱなしで、
ヒーヒーといつも忙しくて、
自分の周りにある小さな幸福を感じる感受性が鈍ってしまいがちなときこそ、
ならやんの歌が必要なのだった。
 
 「ならやん」。
 ああ、やはり言ってしまった。
 今回は、尊敬の念をこめて最後まで「ナランヒータ」と呼ぼうと決めていたが、
やはり、私は「ならやん」と呼んでしまった。
 
 カンテを歌う彼女は、絶対無比の歌い手・ナランヒータ。
 カンテの先生をしている彼女は、
日本において本場スペインのフラメンコを伝えるジョン万次郎的存在。
 しかし、日常の些末なチマチマに忙殺されそうになる私の魂に、
熱い命をチャージしてくれる「歌のお姉さん」という意味で、
親しみをこめて「ならやん」と呼ばずにはいられないのだ。
 
 さて、渋谷のライブ前日、
私とhanaの各家庭では、夫を巻き込み、
それぞれ懸命な「対策」が練られていた。
 
 まずは、どこで待ち合わせしようか、ということで、
それぞれの葛藤があった。
 
 hanaは、夫よっちゃんと共に、
「致命的に方向音痴なあかじそねえちゃん」と、
どこで待ち合わせれば無事に出会えるのかを、
真剣に検討していた。
 
 双方ともに乗り継ぎ駅である、
某「k」駅の構内にある喫茶店ではどうだろう、
あそこなら、ねえちゃんは、
最寄り駅のホームで一番後ろ側に乗れば近いんじゃないか?
とんでもないところに行ってしまうこともなかろう、
ということになり、
軽いジャブのつもりで「スタバ」もしくは「駅ビルの本屋」でどうでしょう?
という旨のメールを送った。
 「ねえちゃんは、本当にその店にたどりつけるんだろうか?」
という一抹の不安を抱えながら。
 
 すると、「あかじそねえちゃん」からは、
「オッケー。スタバね、楽勝楽勝」
的な返信が届き、
「ちょっとねえちゃん、スタバわかるってよ!」
「さすがお姉さん、何だかんだ言っても経験豊富じゃないですか」
と、夫婦で手を取り合って安心し合った後、
「ちょっと待ってよ、渋谷って!」
と、顔を見合わせて困惑したのだった。
 
 「渋谷って、『チーマー』とか『怖い若者』がいるんでしょ?!」
見た目は若く見えても、やはり三十代のhanaは、
渋谷のイメージといえば、『チーマー』で止まっており、
パソコンが壊れたこともあり、
本屋で「渋谷情報」を調べに行ったりもした。
 
 【渋谷で安全に過ごせる喫茶店とは?!】
 
 【渋谷で迷い込んだら危険な地帯とは?!】
 
 hanaは、東京生まれの東京育ちであるにも関わらず、
【渋谷は、恐ろしい街】というイメージで、かなりおびえていたのだった。
 
 
 一方、私は、
「あれ、K駅のスタバって、ホームとホームの間にあるやつだよねえ」
と勘違いし、そこなら何度も入ったことがあるので、
hanaからのメールに
「はいはいスタバね楽勝楽勝」
と返信したものの、
夫から、
「それって【ドトール】じゃないの?」
と指摘され、目の前が真っ暗になった。
 
 そういえば、いつもその店に入るとき、
スタバみたいな「客のダサさを測る」というような注文の仕方ではなかった。
 普通に「アイスカフェオレのMください」で済んでいた。
 
 と、いうことは?
 
 私は、急いでパソコンで検索し、
「K」駅の構内案内図とスタバの公式サイトでK駅構内支店の場所を確認した。
 
 さらに、渋谷のライブハウスまでのアクセスなども調べ、
行きと帰りの電車の乗り継ぎ表など、
合わせて十数枚もプリントアウトした。
 
 それら十数枚の【スタバk支店および渋谷攻略資料】を、
ホチキスでパチンととめて、深くうなづき、
「ああ、これなら【おしゃれで事情通のhana】と無事におちあうことができ、
【生き馬の目を抜き、チーマーとヤマンバの巣食う日本の無法地帯・渋谷】において、
無事、ならやんの歌を聴くことができるだろう」と確信した。
 
 そんなことをお互いにしていたことも知らず、
何とか待ち合わせ時刻にスタバK駅構内支店前で落ち合い、
hanaなじみのパスタ屋で早めの夕食をとり、
何食わぬ顔で近況を語りあった。
 
 そういえばhanaと会うのは、前回のならやんのライブの時以来だ。
 お互いに忙しさにかまけて、
近くに住んでいるにも関わらず、直接会うという機会が持てなかった。
 
 話しているうちに、
hanaの、親としての成長や、結婚生活でのがんばりが伝わってきて、
ああ、よかった、よかった、
そして、楽しい、
これならもっとちょくちょく会って話したいものだ、と思った。
 
 さて、夢中になって話しているうちに、渋谷に着いた。
 
 駅構内の花屋で、ならやんにあげる花束を買うときも、
電車の乗り継ぎのときも、
危なげなくスマートにこなす5歳年下のいとこhanaを、
頼もしく感じていたのだが、
いざ、渋谷に着くと、hanaの様子が一変した。
 
 「ここ、地下鉄の渋谷駅だよねえ?! JR渋谷駅南口ってどこ?!」
 
 私たちの立っている場所には、
「JR渋谷駅 ハチ公口」
と書いてあり、ライブハウスの地図にある「南口」ではなかった。
 
 私は、その辺を歩いているうちにたどりつけるだろう、と楽観していたが、
hanaの動揺は、思った以上で、
「駅の案内図がない! ここ? ううん、違う、ここかなあ?」
と、明らかにうろたえている。
 
 「駅員に聞いてみようか」
と私が言うと、hanaが近くにいた駅員に聞いてみた。
 その駅員がまた、目つきが若干怪しい感じで、
親切に教えてくれたにも関わらず、
hanaの動揺は、ますます大きくなっているのだった。
 
 (どうした? hana? 渋谷がそんなに怖いのか?)
 
 少しうろついたものの、
大きく道に迷うことも無く、
ライブハウスの近くまでたどりついた。
 
 「あ、【ドトール】発見! ここで時間つぶそう」
 ふたりとも、ミルクたっぷりのコーヒーを飲み、
「まずは生きてここまで来られたな」
と、笑いあった。
 
 「これ以上迷っていたら、5〜6回は刺されていたね」
「おい、一体どんな街なんだよ」
と、突っ込みあいながら安堵していた。
 
 夜の渋谷に若作りのおばちゃんふたり。
 
 だ〜れも見てないっつーの、
と、今になって思えば冷静にわかるのだが、
その時は、必死だった。
 
 さて、時間になったので、
薄暗い路地を進んでいき、
何度も行ったり来たりして、やっとその小さなライブハウスを見つけた。
 
 受付で料金を払い、ドリンクを頼んで、
薄暗く、あやしいライブハウスの奥へと入っていった。
 
 ふたりとも学生演劇をしていたので、
こういう雰囲気は懐かしかった。
 ビロードに囲まれ、むんとする空気と、心もとない照明。
 わけのわからないあやしいオブジェに、黒い緞帳。
 
 昼間の明るい時間帯は、なんてことない狭い小屋だが、
夜になると、闇が空間を日常から切り離してしまう。
 
 さて、中に入って開演を待っている間、
hanaとまた尽きぬ近況報告をし合っていると、
ふいにならやんが客席に現れ、
年配のご婦人とお話をされていた。
 
 「あ、ならやんだ。はずかしや」
と、顔を伏せる私に対して、
普段おとなしげなhanaは、今にも
「ならや〜ん!」
と声を掛けそうなほど、ガンガンに、ならやんに視線を送っていた。
 
 ああ、幼い頃から家庭の事情で一緒に育てられていたが、
今頃になって、この子のことがわかってきた。
 
 おとなしいんじゃない。
 普段は、クールで、ここぞというときに瞬時に熱烈なのだ、この人は。
 
 前にhanaとならやんの歌を聴きに来たときも、
恥ずかしくて目が合わないようにもじもじしていた私の横で、
hanaは、
「うお〜〜〜、うをををうを〜〜〜」
と両手を挙げてノリノリに揺れていたじゃないか。
 
 「私、大好きなミュージシャンのライブに行っても、
『エブリバデ、カモン♪』みたいな時、思いっきり下向いちゃうんだけど、
hanaは、前後不覚に乗りまくるよね」
と、hanaに言うと、
「そうそう」
と、平然と言った。
 
 フラメンコだ、コイツは!
 
 とっさに思った。
 
 私の魂は、こてこてのド演歌がベースになっているかもしれないが、
hanaの魂は、スペインのものだ。
 
 要所要所に「オーレ♪」が織り込まれている女だったのだ。
 
 
 ライブが始まり、生徒さんたちのカンテが次々披露された。
 ならやんも生徒さんに混じって歌ったが、
やはり、キタ。
 
 キテル。
 
 休憩に入り、hanaとも話したのだが、
「いいなあ」
と思えたのは、
その歌い手さんが持つ熱い魂が、
鍛錬によって表現力を得たときの歌だった。
 
 魂は燃えていても、感情に走ると、
聴いていて、「がんばれ〜」という気持ちが先に立ってしまう。
 それでも、魂が通っている歌は、なにかしらを伝えるもので、
彼女たちの日常の生活や、前向きな人生観が伝わってきて、
じんわりと涙がにじんできた。
 
 逆に、魂が燃えていても、
表現の技巧が素晴らし過ぎると、聞き手に
「うまいなあ」
という気持ちが先に生まれ、
それ以上の感想を持てなくなってしまう。
 感動したい気持ちにストップがかかってしまう。
 
 何なのだろう、これは。
 すべての表現における共通の課題であって、
感情をこめるが、感情に走らず、
技巧を凝らすが、技巧に走らず、
絶えずスピリットを持って、
人に媚びず、自分におぼれず、
ということなのだろうか。
 
 そして、ナランヒータのカンテは、
私たちの頭に浮かんだ、この
「何なのだろう」
に、一瞬で答えをくれた。
 
 感情もこめられている、
技術も最高、
もちろん、魂も通いまくっている。
 
 でも、ここがならやんの「全然違う」ところなのだが、
ならやんの歌は、
聞き手にそれらを全然感じさせないということなのだ。
 
 ただ、胸が震え、
理屈抜きで心がほどけ、
聴く者を、
何がなんだかわからない放心状態にしてしまう。
 
 これが、本当の本物であり、
「全然違う」
の真髄なのだと思った。
 
 ナランヒータの弟子のみなさんは、
こんなすごい人に手取り足取り教わっているのか。
 このセカセカガチャガチャした現代の日本で、
本場仕込みの人にカンテの手ほどきを受けている幸運に恵まれているのか。
 
 彼女たちの歌を聴いて、
ナランヒータ魂の芽生えを確かに感じた。
 次のライブもきっと来て、
より枝葉を伸ばした彼女たちのカンテを聴きたくなった。
 
 舞台で歌う生徒さんたちを、
まるでわが子を見守る母のような慈悲深い表情で見つめるならやんは、
「自分が、自分が」という自己顕示欲を一切排除した、
ただただカンテを愛す、
カンテを愛す人を愛す、
愛す愛す愛す人になっていた。
 
 そして、最後の最後にならやんの歌を聴いて、
もう、私もhanaも、完全に撃沈してしまった。
 
 ならやんを、見ていられなかった。
 彼女の姿を、しっかりとまぶたに焼き付けたいのに、
気付くと、目を閉じてしまっていた。
 目を閉じて、
耳から入る情報だけに身をゆだね、
何がなんだかわからない〜、はふ〜〜〜ん、
な状態になってしまうのだった。
 
 ああ、行動半径=自宅周辺という主婦にとって、
渋谷は、鬼が出るか蛇が出るか、というほど、おっとろしい街に思えたが、
帰り道、
hanaと大きな声で
「よかったね〜」
と興奮して話しながら歩く渋谷は、
日本という小さな島国の中の、小さな街のひとつに過ぎなかった。
 
 心が、グーグルアースで宇宙まで飛んで、
いったんスペインに着地し、
ふたたび宇宙に飛び上がって、
また日本の小さな街に戻ってきたかのようだった。
 
 そんな小粋なスペイン旅行をさせてくれたならやん、
ならびに、生徒のみなさん、
どうもありがとう!
 
 あなたたちは、ただの「うた歌い」じゃありません。
 この日本で毎日一生懸命働いたり、
子育てしている人たちの心に、
たくさんのものをチャージしてくれる、魂の震源地です。
 
 歌い続けてください。
 
 フラメンコは、踊りばかりが偉いのではなく、
まずカンテありき、なのだと、
歌うことで、歌い続けることで、伝えてください。
 
 歌が無ければ踊れません。
 
 カンテを、どうぞ、歌ってください。
 お願いします。
 
 
 
     (追記)
 
 
 帰り道、hanaと盛り上がったことのひとつは、
「やっぱ、フラメンコのギターいい!」
というところだった。
 
 初め、怖い人に見えたギターの今田さんは、
演奏が始まると、いきなり歌い手の顔を至近距離から、
時に、父親が娘をいとおしく見守るように、
時に、恋人が彼女を切なく見つめるように、
ず〜〜〜っと、見つめながら演奏していた。
 
 そうかと思えば、
「え、急に何をなさるの?」
というところで、激しくギターをかき鳴らし、
「そこは、当然、激しく来るんでしょうな」
という部分で、
わかってるよ、わかってるのさ、そうさ、そうなのさ、それでいいのさ〜、
みたいな穏やかな旋律を奏でる。
 
 hanaいわく、
「はい〜はい」みたいなリズム感の日本人にとって、
予想に反した場所で、思いもしないリズムが、
「ジャラランジャララララ〜ン」
と、いきなり鳴るから、「来る」んだよね、
とのことだった。
 
 言えてる。
 
 言えてるんだよ、それ。
 
 そして、私とhanaの出した結論は、
フラメンコのギター奏者には・・・・・・
 
 「惚れてまうやろ〜〜〜!!!」
 
 ということだった。
 
 
 
 
     (了)
 
 
 
  (しその草いきれ)2008.10.21.あかじそ作