しその草いきれ 「さくっと手術」

 

 

 

 昨年の春から夏にかけて、

三男の指のイボを取るために、

しばらく皮膚科に通っていたとき、

私の右腕にもおできのようなデキモノができていたので、

ついでに診てもらった。

 

 すると、

「害は、ないけれど、放っておくと、どんどん大きくなるし、

痛みもあるのだから、手術で取りましょう」

ということになった。

 

 ところがその頃、まだ末っ子に授乳していたので、

その旨を告げると、

「母乳を通じて薬が赤ちゃんに行ってしまうので、

断乳してからにしましょう」ということで、

断乳後にまた、手術の予約を入れることにした。

 

 ところが、その「赤ちゃん」は、今月3歳になったというのに、

いまだにおしゃぶりがわりに私の乳首をしゃぶっているし、

困ったことに、微量ながらまだ母乳も出ているらしく、

最初の診断から1年半経っても、手術を申し込むことができなかった。

 

 ところが、だ。

 

 その右腕の「おでき」は、日に日に大きく、黒くなっていき、

そこに物が当たると、飛び上がるほど痛むようになってしまった。

 

 昨年、同世代の友人をガンで亡くしたこともあり、

何だか嫌な予感もするので、

断乳はできていないが、一時的におっぱいを我慢させることにして、

手術を受けることにした。

 

 さて、久しぶりに皮膚科に行くことにしたのだが、

連日の配達と、内職の納期が迫りまくっていて、非常に忙しく、

また、小学校と中学校の役員の掛け持ちで、

しょっちゅう学校に出入りして雑用をこなしているので、

まったく医者にかかる暇がなかった。

 

 しかし、これ以上、伸ばし伸ばしにしては、

後で後悔することになりかねないので、

本当にやっとこさっとこ時間の隙間を見つけて、医者に行った。

 

 そして、再び診断をされると、

なんと、前回の診断結果とは違う病名を言われてしまった。

 「無色だったデキモノが黒くなっているのは、少し問題だ」

と言われた。

 

 「おそらく、皮膚線維腫でしょう、手術しますか?」

 「『線維腫』ということは、『腫瘍』なんですね?」

 「ええ」

 「良性なんですか?」

 「いえ、それは病理検査をしてみないと何とも言えないですね」

 「え、そうなんですか?」

 「手術します?」

 「はいします!」

 

 こんなやり取りを書くと、

さぞかし切迫した感じだったような気がするが、

実は、この皮膚科の女の先生、

名前こそ日本人そのものなのだが、

どう聞いても、日本語が片言なのである。

 

 見た目は、日本人で、ことばが片言。

 そして、名前は、日本名。

 

 う〜〜〜ん、何者?

 と、昨年からずっと不思議に思っていたが、

イントネーションやなまりの癖が、どうも、アジア系の外国人っぽい。

 

 「ニポンジン、ミナ、ラーメン、スキアルネ」

みたいな感じである。

 

 そんな感じで、

「アノネ、タブン、ヒフセンイシュ、アルネ」

と始まり、

「腫瘍なんですね?」

と聞くと、

「ウン、ソダヨ」

と、答える。

 「良性なんですか?」

と聞くと、

「ヤヤ、ソレマダ、ワカラナイネ。ケンサケッカ、アトデデルヨ」

と言う。

 「シュジュツチュルカ? ドウチュルカ?」

と、聞かれたので、

「はい、します」

と、答えたものの、

なあ〜〜〜んか、心配であった。

 

 しかし、もしかしたら、悪性の腫瘍である可能性もあるというのだから、

「ナンカ、コノセンセ、シンパイアルネ」

などとも言っていられず、

とりあえず、手術の日程を決めて帰ってきた。

 

 帰り際、手術前の血液検査をするために、

その、なぞの「アジアン女医」に採血されたが、

これが実に上手で、痛くもかゆくもなかった。

 

 これなら大丈夫だ。

 日本語が達者で不器用なヤツより、

片言だけど器用なヤツの方が、よっぱどいい。

 

 ダイジョブ、ダイジョブ、

キット、ダイジョブアルヨ・・・・・・

 

 

 手術当日、

ものすごく内職の納期が迫り、

ものすごく大量のノルマが山積みだった。

 午後2時からの手術だったが、

ギリギリの1時半まで、

猛スピードでディズニーカレンダーの袋詰めをしまくり、

時間ギリギリに病院に駆け込んで、手術室に入った。

 

 カーテン一枚はさんだ向こう側にも、

同じく手術を受ける人がいたようで、

私は2番目だということだった。

 

 カーテン越しに聞こえる声に、耳をそばだてると、

「ハイ、マスイ、イクヨ〜、チョトイタイネ〜」

と言っている。

 「い、痛い・・・・・・」

 「ソリャ、マスイイタイヨ、デモ、マスイダケイタイヨ〜」

 「は、はい・・・・・・」

 「マスイキイタラ、ハジメルヨ〜」

 「・・・・・・・・・・」

 「ホラネ、モウ、イタクナイデショ〜?」

 「はい」

 「ハイ、モウ、ホクロ、トレタネ〜」

 「はい」

 「ダイジョブネ?」

 「はい」

 

 ものの5分とかからなかった。

 

 ああ、やはり、日帰り手術だけあって、

簡単なんだなあ、と、少し安心した。

 

 ところが、私の番になると、

看護師さんたちが、少し、物々しい動きを始め、

「ここに寝てください」

と、手術台に横たわるように言われた。

 手術箇所をデジカメで撮られ、

先生が来ると、患部以外を覆うための、

穴の開いた緑の布を、肩辺りから掛けられた。

 

 「カンゼンニ、クリヌクカラ、オオキクキリマスヨ」

 なぞのアジアン女医は、患部にマジックで線を引き、

「キルバショノ、マワリ、1シュウグルリト、マスイウツカラ、チョトイタイヨ」

と言い、本当にグルリと1周、たくさん針を刺していた。

 

 「手術」なんて、めったに受けるものでもないため、

私は、目をひん剥いて先生の手元を見ていたら、

「メ、ツブッテネ〜。イロイロミルト、キモチワルクナルヨ〜」

と言われた。

 

 何をおっしゃる、お医者さん。

 子供5人も産んで、お股を何度も縫われた私ですよ、

そんな、腕の傷のひとつやふたつ、

驚きゃしないっての。

 

 ところが、

麻酔が終わると、

「モウ、イタクナイヨネ〜」

と言うなり、間髪入れずに、

もう、何かサクサク切っている。

 切って、そして、何やらホジホジしている。

 

 腫瘍は、結構根が深いようで、

かなり「くり抜いてます」感があり、

また、縫合は、20分もかかった。

 

 前の人のホクロ除去手術と違い、

やはり、腐っても「腫瘍切除手術」なのだった。

 

 悪いところを少しも残さないために、

結構、一生懸命やってくれたようだ。

 

 「ハイ、オワリヨ〜」

 「ありがとうございました」

 「イタミドメト、カノウドメ、ダスネ〜。アシタ、ショウドクニキテ、ライシュウバッシネ〜」

 「はい。ありがとうございました」

 「オダイジニ〜。ア、サワッタリ、ヌラシタリ、シナイデネ〜」

 「はい」

 

 (おお! リアル『サワッタリ、ヌラシタリ、ラジバンダリ〜』!)

 

 ひとりで心の中で盛り上がっていたが、

そうのんびりもしていられない。

 

 すぐに薬をもらって家に帰り、

そして、すぐに内職の続きを始めた。

 

 〜1:30 内職

 2:00〜2:30 手術

 3:00〜 内職

 

 という、さらっとした日常の中の手術。

 

 そして、翌日は、

 

 〜11:00 内職

 11:00〜12:30 配達

 13:00〜 消毒

 13:30〜 内職

 

 という日程で、

これまた、日々の暮らしに紛れた処置であった。

 

 「痛くないのか?」

と聞かれれば、もちろん痛い。

 が、痛みに集中していると、ますます痛く感じるのは、

出産で経験済みだ。

 

 さすがに、ヒッヒッフ〜とまでは、いかないが、

内職を夢中でこなしていれば脳をごまかせるのではないか、

と思い、痛み止めを飲まずにいた。

 しかし、夜中になると、

傷の深い場所が何とも嫌な感じでうずくので、

もう、意地を張らずに痛み止めを飲んでしまった。

 

 何日も前から丁寧に説得して、

一時的におっぱいしゃぶりをやめてもらっていた末っ子の長女だが、

眠くなると、もう、わけがわからなくなり、

「おっぱいよお〜! おっぱい飲みたいのよ〜」

と、ぐずって、暴れて、大騒ぎであった。

 

 手術当日、

断乳で大ぐずりが予想される今日のような日も、

やはり夫は、普段どおりの生活で、

もちろん帰りも遅かった。

 暴れる3歳児を抱く腕の、縫い目が裂けるかと思えるほど、

娘は、恐ろしく大暴れし、

私は、私で、

「いてて、いててて。いや! 痛くない痛くな〜い!」

と叫びながら彼女を必死に抱きしめて、

朝まで十数時間を過ごした。

 

 

 しかし・・・・・・

 

 十年以上前、

子供にうつされたおたふく風邪の菌が脳にまわって髄膜炎になり、

マジで、かなりヤバイところまでいき、

ホントに死にそうになったときも、

夫は、「普段どおり」を貫き、

私は、ひとり、道に何度も倒れながら、

歩いて医者に行ったっけ。

 

 子供の頃に、

頭を壁に強打して、6センチほど裂けたときも、

母親は、赤チンを塗ってくれただけで、

私を医者に連れて行かなかった。

 

 ああ、この親から生まれ、

この夫に嫁いだことで、

私の、人一倍甘ったれた依存心は消えていき、

「誰もあてにしない」という根性がつき、

すばらしく一直線に、大人の階段を昇れるってもんだ。

 

 だから、ちょっと皮膚の日帰り手術を受けるくらいじゃ、

我が家では、一切、ニュースとして扱われない、というわけ!

 

 あ〜〜〜あ!

 かんしゃ、かんしゃ!

 みなさま、本当にありがとうございます!

 ・・・・・・ふんっ!

 

 

 かくして、来週の抜糸、

そして、病理検査の結果報告まで、

私は、悩んだり、痛がったり、ラジバンダリする暇も無く、

内職と配達と、

家事と育児と、

ベルマーク係と部活動育成係とを、

ひっきりなしに行うのである。

 

 たとえ、検査結果が、悪性だったとしても、

我が家においては、「あ、そうなんだ?」位のリアクションだろう。

 

 現に、

私が深刻に

「実は、皮膚に腫瘍が・・・・・・・」

と母親に切り出すやいなや、

「あ、それ、ガン、ガン!」

と、表情を輝かせ、

「知ってる知ってる、ずっと前、タケシの番組でやってた!」

と、むしろ、嬉しそうにはしゃいでいたではないか?

 

 何なの、あんたたちゃあ?

 

 まあ、そんな連中に囲まれると、

落ち込むことも馬鹿らしく思えてしまうから、

返って気が楽か。

 

 何なんだ、一体。

 ねえ〜?

 

 

 

    (了)

 

 

 

 (しその草いきれ)2008.11.18.あかじそ作