話の駄菓子屋 「バランスバランス」
せっかちで、常に何かを考え中で、
思いついたらすぐ実行せずにはいられないくせに、
やりたくないことは、全然できない。
自分のそういうところを、
いつも、もてあましている。
それでも、この性格を自覚しただけ、まだ進歩がある。
このやっかいな性格を自覚するまで、私は、
友人や、同僚や、夫や、子供たちや、
子供の友達や、そのお母さんたちのことを、
「ものすごくマイペースで迷惑!」
と思っていた。
周りの人間が、
み~んな、ちんたらちんたらしているようで、
歯がゆくてたまらない。
特に夫や、その親兄弟の、
「常にお茶してる」
「ろくに働きもしないのに、お茶ばかりしてる」
「全然がんばらない」
「すぐ『無理』と言う」
というところに、
非常にイライラさせられていた。
こいつら、なんて怠け者なんだ、
なんて甘ったれなんだ、
こういうヤカラのせいで、頑張り屋の私みたいのが、
無理し過ぎて体壊しちゃうんじゃないか!
と、憤慨していた。
ところが、最近、
そうでもないような気がしてきて、
それどころか、自分の方がよっぽど「マイペース」なのだ、と、
はた、と気づいてしまったのだった。
いつもいつも、合理的に、段取り通り、
サクサクサクサクいかないとテンパッテしまうので、
事前にこと細かく準備を整え、
細心の注意をはらい、
必死必死にことを運ぼうとしているにもかかわらず、
肝心のところで、大ポカをこいてしまう。
例えば、
顔面に完璧なメイクを施し、
TPOに配慮したファッションに身を包み、
子供の預け先には、弁当とおやつとお土産を持たせ、
パソコンでアクセスをしっかり調べてプリントアウトして持参し、
いざ目的地に到着してみると、
肝心な書類を持ってきていなかった、
などということを、年がら年中しでかしてしまうのだ。
ギ~~~~~~~~~~~~~~~~~~、
と、力みまくって、
大事なところで、目ぇつぶっちゃってる。
40年以上生きてきて、
やっと、自分の方に何かしらの問題があるんじゃないか、
ということに気が付いた。
24時間、365日、
テンションが上がりっぱなしで、
時々、突然ブレーカーが落ちるようにダメ人間になり、
またじりじり立ち直ったかと思えば、
いつの間にか、テンション上がりっぱなしになっている。
がんばって、がんばって、がんばって、がんばって、がんばって、がんばって、がんばって、
ダムッ。ツーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー・・・・・・・・
と、なってしまう。
何だ、このソウウツ!
何なんだ、この、【交感神経←→副交感神経】の切り替え下手はっ!
がんばりすぎ!
迷惑なくらい、ひーひーひーひーしゃかりきになりすぎ!
確かに、夫や、夫の肉親は、
私の反対で、
ちょっと「楽したい」に走りすぎなのだが、
それにしたって、私の
「全身全霊、常にがんばっていないと気が済まない」
というのは、
周りにとって迷惑でしかないじゃないか。
休日の午前中でさえ、
いつもいつも、私の家族は、私に、
「何ぼけっとしてんだ、動け動け!」
とケツを蹴られているのだ。
・・・・・・こりゃたまらん。
実は、自分自身も、
常に何かにせかされているようで、
つらくて、疲れ果てていた。
のんびり、ゆったり暮らしたいのに、
いつもいつも、自分の中の何かに、
「早く早く早く早く」
とせかされて、息つくひまもなかった。
早く実行、しかも、
ミスは、絶対許されず、
完璧に仕上げて、
周囲にいい評価を得られないと、
自分を全否定。
何だ、この気質。
イヤ!
めんどくさい!
苦しいぞ!!!
いや、待てよ、
こういう性格の人間、
他にもいたな・・・・・・
うっ。
いたいた。
両親ともに、こんなんじゃないか!
弟も、そうだ。
家族がみんなこうだったから、
この性格は、世の中の標準仕様だと思っていた。
バランス悪すぎる!
完璧な仕事を求めるのは、いい。
しかし、それは、
短期的、瞬間的な仕事に、ではない。
毎日、毎日、何年も、何十年もの長きに渡り、
ずっとぶれない、安定した仕事を要求されているのだ。
本当に完璧な仕事を目指すのなら、
まずは、落ち着いて、
肩の力を抜き、
プレッシャーやあせりや力みを排除した中で、
淡々と確実な仕事をするべきなのだ。
ここでいう「仕事」とは、
つまり、生きることすべてを指すのだろう。
家事にも、育児にも、
仕事にも、趣味にも、
人間関係にも、健康管理にも、
生きること自体に、
落ちついた心づもりが必要なのだろう。
リラックスリラックス。
バランスバランス。
意外と日本人は、
これ、苦手かもしれないよなあ・・・・・・
ああ、来年からは、
この「いかり肩」が「なで肩」に変形するほど、
肩の力抜いて、目ぇ見開いて生きようっと。
(了)
(話の駄菓子屋)2008.12.24.あかじそ作