「 迫り来る卒業式 」 |
やばい。 また、卒業式が迫ってきている。 普段、決して子供の前で涙を見せない勝気な私が、 大多数の人々の前で、 全員引くほど大号泣してしまう日が、 嗚呼、迫ってきているでがないか! そもそも始まりは、 長男の小学校卒業の式途中でのことだった。 何の前触れも無く、 唐突に、 私の号泣スイッチがオンになり、 ここは、まったく「泣くところ」じゃないよ、 という場面で、 「うお〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」 と、雄たけびを上げてしまったのだった。 周囲の父兄は、みな、 「なんだなんだ?!」 と、のけぞってみんなでこちらを注目するし、 「やばいやばい」 と、思えば思うほど、 「うううう! ううう! ううううううううおおおおお〜〜〜!」 と、ケダモノのように吠えてしまう自分がいる。 そもそも、子供の頃から、 あまりメソメソ泣くようなことはなく、 たま〜〜〜に、泣くとなると、 周囲1キロに響き渡るほどの絶叫が、 延々と、延々と、 続く、 続きまくる、 というのが、私の泣き方だった。 思えば、アカンボの頃から、 「ウッ」 と泣きそうになると、その直前に、 「泣くな!!! 絶対に泣くなよ!!!」 と母親に凄い勢いで怒鳴られていた。 今の自分の性質からして、 もともと、結構ぐずりやすい性格だったと思われるが、 子供にぐずられるのが、ダイッ嫌いな母は、 私が泣く寸前に、 泣く者のテンションの何億倍ものテンションで、 「ぜっっっっっってえに泣くなよ! 泣くんじゃねえ!!!」 と、大声で叫び、 その勢いで泣く気を削いできた。 そのせいか、どのせいかしらないが、 ともかく、私は、 普段は、どんなにつらくても一切泣かず、 死ぬほど涙が蓄積され、 何らかの小さなきっかけによって、 ダムが決壊するように、 収拾不能の大号泣をしてしまうのだ。 その恐怖のスイッチが、 なぜか、小学校の卒業式にあった。 入学したときは、 どいつもこいつもチーチーパッパだったのが、 順々に壇上に上がるヤツラときたら、 まあ、自分ひとりで大きくなったような生意気面で、 イッチョマエにスーツなど着て、 堂々と立派な態度で、 御免状をいただいているではないか。 「巣立ちの歌」でも「仰げば尊し」でも泣かないし、 「みんなでがんばった運動会! (全員で)運動会!」 の掛け合いでも泣かないし、 「お父さん、お母さん、ありがとうございます」 と、こちらに向かって全員で頭を下げても、 大丈夫。 でも、なぜなのだろう、 在校生の送ることば、 「ありがとう、おにいさんおねえさん」 「さようなら、おにいさんおねえさん」 「ぼくたち」 「わたしたちは」 「あなたたちのことを・・・・・・わすれません」 ときて、 少しの間があって、 「蛍の光」の前奏。 ここ! ここここ! ここが私の号泣スイッチ! やめてぃ〜! もうやめてぃ〜〜〜〜〜!!! 歯切れのよい子供たちの最後のひと声、 少しの間、 「蛍の光」の前奏。 この、一連のリズム。 間合い。 これが猛烈に、 ツボにシュッポ〜〜〜ン、と、ハマってしまうのだ。 嗚呼! 嗚呼、嗚呼! もう泣きそうだ! 本当に、もう、 やばいくらい、 子供たちの合唱が聞こえなくなるほど、 勝手に自分が、 大声で吠えてしまうんだもの〜! 体育館の壁が、 びびびびびびびびびびびびびび、ってなるくらい、 もんのすごい大声で大泣きしてしまうんだもの〜お! 子供の成長を喜ぶ、とか、 子育ての苦労を振り返って感激する、とか、 もう、そんなんじゃないんだって。 意味なんて無いんだって。 40年分の涙が決壊しちゃうんだよ! 何百、何千、何万の、 「え〜んえ〜ん」 が、たまりにたまって、 煮詰まりに煮詰まって、 濃くなって濃くなって、 熱くなって熱くなって、 そして、そして、 喜怒哀楽全部が、一気に大爆発なんだよ〜〜〜い! 「うおおおおおおおおおおおお〜〜〜〜〜〜〜っ!」 なんだってばよ〜〜〜〜〜!!! ああ、怖い・・・・・・ もはや、静かに噂になっている、 「あかじそさんの大号泣」。 すでに伝説となっているとかいないとか。 ああ、その伝説に、新たなる1ページが加わるだろう、 三男の卒業式まで、あとひと月。 怖いよ〜。 やだよ〜。 恥ずかしいよ〜。 誰か、止めて〜、私の雄たけびを〜〜〜! せめて、オフのスイッチの場所を教えてよ〜〜〜! (了) |
(子だくさん)2009.2.24.あかじそ作 |