「 シルバー バイセコー メン 」 |
連日忙しかった仕事が、やっと休みとなり、 久しぶりにほっと一息ついていた、午前10時すぎ、 その電話は、かかってきた。 「駅前駐輪場のものですが、○○君(長男の名前)のおうちの方ですか?」 60代くらいのおじさんの声だった。 最寄の駅では、まだ働ける元気な中高年が中心となって、 駅前駐輪場を運営している。 一度会社を引退した後に、 まだまだ社会のために働きたい、という、 前向きな、意欲あふれるおじさんたちが、 毎日元気に、ぴょんぴょんぴょんぴょん働いている。 長男は、昨春から、高校に電車通学するため、 家から駅まで自転車で通い、 この駐輪場を利用している。 自転車を失くしたといえば、一緒に探してもらい、 定期券を失くした、と言えば、これまた一緒に探してもらったりして、 ともかく、面倒見のいいおじさんたちにいつもお世話になっていた。 うちの長男だけでなく、 ここに駐輪する学生たちは、みな、 「おう、大学決まったのか、おめでとう」 とか、 「雨降ってるから寒かっただろ?」 などと、何かと温かいことばをかけてもらいながら、ここを巣立ち、 大人になっていくのだった。 そんなおじさんから、何の電話だろうか? そういえば、そろそろ契約更新の時期だから、 また親切に教えてくれるために電話をくれたのか? そう思っていると、 おじさんは、意外なことを言ってくるではないか。 「駅前の銀行のところに○○君の自転車がとめてあって、 さっき、放置自転車の一斉撤去に遭いそうになっていたので、 我々がいつもの駐輪所に移しておきましたから。 ○○君が帰ってきて、無くなっていたら困ると思って、 おうちの方に連絡してもらおうと思いまして電話しました」 「ええええ! ご親切に、そんなことしてもらっちゃって、 どうもありがとうございました!」 (あ、あいつ・・・・・・ 今朝、遅刻しそうだ、とか言っていたから、 駐輪場にとめる時間が無くて、銀行の前にとめて行っちゃったんだな) 「ホントにありがとうございました。これから気をつけますので。 本当にすみませんでした。お手数おかけしました!」 「いえいえ、どういたしまして」 なんて親切な人たちなんだろう! 契約者を家族のように思いやり、 学生たちを、自分の孫のように育ててくれる。 いまどき、ありがたい人たちだ。 今の時代に失われた、温かくて大切なものがそこにはあった。 さて、一方―――――。 問題は、【放置自転車の一斉撤去】をしている人たちの方だ。 同じく、地域のシルバー人材センターから派遣されているおじいさんたちが、 【放置自転車の一斉撤去】を任されているのだが、 こちらのおじいさんたちも、 ある意味、元気いっぱい、やる気満々、 ぴょんぴょんぴょんぴょんしているのだった。 おそろいの蛍光黄緑のヤッケに身を包んだ、 数人のおじいさんたちが、 駅前の放置自転車を次から次へとトラックに放り投げ、 容赦無用で資源センターに持って行ってしまうのだ。 それ自体は、よい行いなのだが、 問題は、このじいさんたちが、 いささかおかしなテンションで張り切り過ぎているという点にある。 まるで、自分たちが世直ししているような、 正義の味方のような、絶対的な権威を持ったような態度で、 駅前の薬局に買い物に来た客や、銀行に来た人、 診療所に来た患者の自転車まで、 どんどんどんどん撤去してしまうのだ。 ほんの数分、買い物のために店の前にとめようとしただけで、 「こらぁ!」 と、大声で威嚇し、 「どこにとめてんだぁ!」 と怒鳴り散らしてくる。 あるいは、 銀行でお金をおろそうと自転車できた人が、 自転車をとめて、カギをかけ、自転車から離れたとたんに、 いきなりその自転車を撤去のトラックに積み上げてしまう。 「ちょっと待ってくださいよ! 今ここに用事があってきたんですよ。 1〜2分で終わるのに、なんで自転車持っていっちゃうんですか?」 と抗議すると、 「規則違反!」 と、単語ひとつブツッと言い放って、 持ち主が自転車にかけている手を振り払って、 無理矢理撤去しようとする。 「なにするんですか?!」 「自転車をとめたいのなら、駅前駐輪場の【一時利用】にとめて!」 「え、だって、今ここですぐ済む用事なのに、 わざわざ150円払って駐輪場借りるんですか?」 「そうだよ、規則なんだから! 決まりなんだよ」 じいさんたち、一歩も引かない。 自分たちが正しい行いを日々遵守し、 間違ったヤロウどもをこらしめてやろう、という正義感にメラメラ燃えているので、 一切、聞く耳をたない。 診療所に来た、病児を連れた若いママも、 具合の悪いおばあさんも、 みんなここで、じいさんたちの熱苦しい正義感に遭遇し、 罵倒されたり、強制執行されたりして、 みな困り果てている。 ああ、駐輪場のおじさんも、 強制撤去のおじいさんも、 やる気まんまんには違いない。 世のため人のために、 安い賃金で、朝から晩まで一生懸命働いていることに違いは無い。 同じモチベーション、 同じ魂で動いている。 だのに、なんだろう、 この現れて出る現象の違いは。 強制撤去のじいさんにやられっ放しで、 いつも悶々としていた私は、 「何なんだ、この違いは!!!」 と、帰宅した夫に訴えると、 普段ノーリアクションの夫も、いつになく激しく反応し、 「ホントにそうなんだよ!!!」 と叫んだ。 夫も、駅前で買い物する際に、 いつも撤去じいさんの【クソ正義】にやられたらしい。 「やっぱ、みんな被害を被っていたんだね?! なんか、おかしいんだよね、あのテンション!」 【元気いっぱい働いてます!】 【世のため人のため、ワタクシ、がんばっています!】 って、本人は、気持ちよくなってるけど、 実は、周りが全然見えてないんだよね・・・・・・ と、夫に言おうとしたら、 私の中に、撤去じいいさんと同質のものが確かに存在していることに気がつき、 愕然とした。 配達の仕事で、 額に汗して働く自分に酔いしれ、 「失礼しま〜す! お手紙で〜す」 と、大きな声で元気よくラブホテルの正面玄関に入り、 「てめえ! お客が来る場所に顔出すんじゃねえ!」 と、経営者の人に怒鳴られたことがあった。 ああ、あの時、私は、 「自分はアンラッキーだ、変なヤツに会ってしまった」 と思っていたが、 実は、自分が空気を読めていなかったのだ、 ということが、はた、とわかった。 商売の性質上、 明るくハキハキと、正面玄関から配達業者が出入りしていたら、 来た客は、逃げてしまうではないか。 いくら正しい行いでも、 その場その場であるべき態度というのが違うのだ。 一般の住宅にお届けするときは、 ハキハキと気持ちよく挨拶し、 元気よく受け答えするべきだし、 また、お客さんが非日常を味わいたくて来るような店では、 そっと裏口から声を掛けなければならない。 大事な手紙や書類を正しく確実に配達することは、 とても意義のある素晴らしい仕事ではあるけれども、 そのことに酔いしれてしまうのではなく、 ある別の一面では、静かに裏方に徹する気配りが必要なのだ。 つまり、【自分の主観を客観しろ】ということだ。 私が、子供の頃から悩んでいた、 自分の【激しい主観性】との付き合い方が、 【じいさんたちとのカラミ】という、意外な箇所から、 ほどけ、分かりかけてきたのだ。 うむ、うむむむ。 しじゅう過ぎてから、 またひとつ、大人になったなあ、と、 我ながら感激し、 いい気分の中、自転車で買い物に出かけたら、 前を走行する自転車のおじいさんが、 右手を大きく横にまっすぐ伸ばしている。 やや! あれは、はるか昔、 小学生の頃に習った、 自転車走行中の、腕による方向指示方法ではないか。 右折のときは、右腕をまっすぐ横に伸ばし、 左折のときは、右腕をひじのところで直角に上に曲げる。 停止のときは、右腕を下方斜め45度にまっすぐ伸ばす。 その間、左手は、ブレーキがすぐかけられる様に、 しっかりハンドルを握っておくこと―――――。 じいさんは、ものすごく、シャキ〜〜〜ン、と腕を真横に伸ばしていた。 こうやって、このじいさんは、 家を出てから、外で用事を済まし、 また家に帰るまで、 律儀に右腕で自らの進む方向を指し示しながら走行しているのだろう。 おそらく、今まで生きてきた数十年間ずっと、 このようにし続けてきたのだ。 誰が見るとも知れぬ、 いや、誰が見ていなくとも、 そんなことは関係なく、 彼は、ずっと、 自分の行く先を体全体で表現しながら移動してきたのだ。 もし今、このじいさんをつかまえて、 「えらいですね」 とでも言ったら、彼は、こう言うだろう。 決まりだから、守る。 そうすべきだから、そうする。 ただそれだけ。 嗚呼、じいさん、 何だかあたしゃあ、泣きそうだよ。 (了) |
(こんなヤツがいた!)2009.3.24.あかじそ作 |