「 温泉旅行サイコー B 」

 全館浴衣で歩き回ってオッケー、というところが、
温泉旅館のいいところで、
我々家族7人も、大浴場でひとっぷろ浴びた後、
それぞれ浴衣を着て、バイキング会場に行くことにした。

 三男四男長女は、
さきほど案内係のお姉さんから受け取った甚平型子供浴衣を着た。

 3歳の長女は、それはもう気に入ってしまい、
この後ずっと、この浴衣を脱ごうとしないくらいだった。

 小学校を卒業したばかりの三男には、
子供浴衣はいささか小さすぎるようで、
ふくらはぎ丸出しで、完全に座敷ワラシ状態だった。
 四男も、ちゃんとサイズをはかったはずなのに、
やはり寸足らずで、
三男と並ぶと、まるでドリフのコントの衣装みたいだった。

 まあ、それでも子供浴衣は、そういうものということにして、
浴衣など着た事がない高校生と中学生の長男次男のなさけないこと。

 「どっち前に合わせるの? これ?」
 「帯ってこれでいいの?」

 と、ぎゃあぎゃあ言っているので、
見てやると、
男なのに帯を胸の高いところで蝶結びしている。

 「いやだ〜! 何その格好! もっと腰の低いところで結ぶんだよぉ」
と、直してやると、
「あ、そなの?」
と、照れくさそうにしている。

 息子たちの胴に両腕を回して帯を巻いてやり、
久しぶりのスキンシップだ。

 と、長男の浴衣の襟のところに「M」と書いてあり、
若干ツンツルテンのような気がした。
 まだ夫は着替えていないので、1枚残った浴衣のサイズを見てみると、
「L」と書いてあった。

 「あんた、父さんよりも大きいんだから、L着てよ」
と私が言うと、長男は、申し訳なさそうに、
「そう思ったんだけど、お父さん傷つくかと思って小さい方着てみた」
と小声で言う。

 「そんなの気にしなくていいんだよ。
お父さん、健康ランドでおばあさんと間違われて、
女物のムームー渡されたこともあるんだから」

 と、大声で言うと、
「お母さん、ひどい」
と、長男次男が言う。

 夫の方をチラリと見ると、
浴衣の着せ方がこうじゃない、そうじゃない、と、
厳しく指示する3歳の長女にやられっぱなしになっている。

 (確かに可哀想なヤツじゃ)

 最近は、私だけでなく、まだ3歳の長女にまで
あごで使われている。

 まあいい。

 せっかちな私が、この、尋常でなくノロい夫と一緒に居られるのも、
この、(可哀想)という感情が大きな要因なのだ。
 (何だか分からないが、なんかコイツ可哀想)
という感情、
これを、我が家では、「愛」と呼ぶ。

 まあともかく、
何とか全員浴衣を着用し、
金庫に財布など入れ、
部屋の鍵を掛けて、廊下に出た。

 いざ、出陣じゃ!


 バイキング会場まで歩いている間、
案外浴衣の人が少ないのが気になった。
 先ほど案内係のお姉さんに「全館浴衣で大丈夫」と確認したのだが、
あまりにも服を着ている人が多くて、
一瞬、緊張した。

 が、すれ違う人すれ違う人、
長女の物凄く小さい浴衣を見て、
「可愛い〜、こんな小さい浴衣あるんだあ〜」
とほめてくれるので、
「幼女だが、すでに《女》」の長女は、
聞こえない振りをしながらも、
しっかりと表情は、《ふふん、どうよ》なのであった。

 会場入り口で部屋番号を告げると、
8人掛けの大きいテーブルに案内された。
 そのテーブルに着く間、
並んでいる料理をチェックすると、
さすが大型ホテル、
刺身やらカニやらが、ドカ〜ン、ドカ〜ンと置いてある。

 私は、澄ました顔で案内されながら、内心は、
(まずは、刺身とカニゲッチュ!
 更に、豚の角煮からチンジャオロースーに回り、
そして、てんぷらからミニステーキを受け取り〜の、
チキンのクリーム煮へという最短ルートで確実に!)
と、配達で鍛えた巧みなルート取りを組み立てた。

 席に着き、
ハタと長女の食物アレルギーのことが気になった。
 乳製品や卵、落花生が少しでも入っている物を食べると、
呼吸困難を起こしてしまう。

 緊急用の飲み薬を持参してきたが、
さて、彼女に何を食べさせたらいいものか。

 そういえば・・・・・・。
 さっき、フライドポテトがあった。
 あれなら大抵大丈夫だ。
 長女の好きなイチゴもあったな。
 まずは、それらで腹を満たして・・・・・・

 待てよ、そんな時間はあるのか?
 大皿にいっぱい盛ってあったものの、
カニ爪のついた部分は、早く行かないとすぐ無くなってしまうぞ。
 刺身も、カピカピになる前に取っておきたい。
 ううむ・・・・・・
 どうするか、どういうルートを組み込むか・・・・・・

 あ、そっか。

 「お父さん、ユリの分よろしく」
 「あ、はいはい」

 オッケー。
 これでいい。

 普段仕事で家を留守がちな夫に、
ここぞとばかり子供の世話をさせてやろうじゃないか。
 これは、妻の思いやりってもんだ。
 断じて押し付けじゃない。
 食い意地に負けて、親の役割を忘れたわけじゃない。

 いや、
 ただ、食べたい、それだけだ。

 もう、理屈抜きだ。
 あたしゃあ、食べたいものを食べたいんだ!
 誰にも邪魔されずに、
むしゃむしゃ好きなものを食い倒したいんじゃあ〜〜〜!!!

 本能なんじゃあ〜〜〜!!!


 さて、子供たちが何を食べ、
どういう動きをしていたか、
ここで描写しようとしたが、
恐ろしいくらいにここの場面の記憶が無い。

 ただ、覚えているのは、
長女が、ポテトを数本食べたところで、
昼間の疲れから、テーブルに突っ伏して眠ってしまい、
みんな、ゆっくり食事できた、ということだ。

 みんな?

 みんなかどうかは、よく知らない。

 私は、この間、家族の動向を一切見ていない。
 ありとあらゆる料理を、
次から次へとよそっては食べ、よそっては食べ、
心は、完全に無の境地であった。

 おさんどんから解放された安堵感、
見たこともない多種類のご馳走、
いつもぐずって私の食事を邪魔する長女の爆睡、
もう、トランス状態にならない理由がどこにあるというのか!

 私は、ただ、
「ふあ〜〜〜〜〜」
と、絶えず意味不明の音を発しながら、
据わった目で、料理を次々平らげる、
ただの動物になっていた。

 何にも考えずに、
た〜だ、食べていた。

 そこに!

 四男が、声を掛けてきた。
 「お母さん、同じクラスの山田君がいる」

 (なに!)

 日常の「気ぃ使い」を一切忘れるために、ここに来たのだ!
 言うに事欠いて、同じクラスの子と、その親御さんたちがいるとな?!

 (いやだ〜! ここまで来て《善良な地域の顔》作るの、やだ〜〜〜!)

 すると、三男も、
「お母さん、山田君のお兄ちゃんは、ぼくのいっこ上の先輩だよ、ほら、今、アイス食べてる人!」

 見れば、ちょっとだけ見たことがあるような一家がいる。

 母親の方を見ると、こちらに気づいているのかいないのか、
思いきりテーブルに両肘をついてジョッキでビールをぐいぐい飲んでいる。

 (こりゃあ、お互い声を掛けない方がよさそうだな)

 私は、少しだけ姿勢を正して、
そしてまた、杏仁豆腐をおかわりしに立ち上がった。


 さて、その夜。
 私と長女は、ホテルについてすぐ、
大浴場とつながる露天風呂に入ったのだが、
男連中は、露天風呂に気づかずに、まだ入っていないと言う。
 「入らなくちゃつまんない」
 「早く入りたい」
と、口々に言い、
少し休んだ後、露天風呂や、別棟の岩風呂にも入りに行った。

 部屋に戻ると、
長男は、相変わらず携帯でメールばかりしているし、
次男は、ゲームを始め、
三男四男は、漫画を読み始めた。

 「もう、何しに来たのよ!」
と、文句を言おうとしたが、
これがヤツラの一番のリラックスタイムの過ごし方だとしたら、
今日くらいは、見逃してやるか。

 私も、しつけやら何やらは忘れて、
ただダラダラしていればいいのだ。
 家に帰ったらまた、そんな暇など無くなるのだから。


 翌朝。

 朝湯をしてから、
朝食バイキングに行った。

 普通の旅館の和食から、
洋風メニュー、
南の島で食べるようなトロピカルなフルーツ、
ご飯も、パンも、ヨーグルトも、ヤクルトも、
欲しいものが、み〜んな揃っている。

 朝食も、みんなそれぞれ、
好きなものを好きなだけ食べて、
案外あっさり部屋に戻った。

 どうやら、昨晩のバイキングでみな食べ過ぎたらしい。
 「食」に対する意欲が激減しているようだ。

 各自荷物をまとめるように促し、
服に着替えるように言うと、
長女が、浴衣をどうしても脱ごうとしない。

 何とかかんとかごまかして着替えさせ、
部屋を出ようとするが、
「まだここにずっと居る」
と言い張る。

 よっぽどこの大部屋が気に入ったようで、
家に帰るまでずっと、いや、帰ってもしばらくは、
「あのお部屋に行く〜」
と言い続けていた。

 特に、絶景を映す大窓に面した一人用ソファーに深く腰掛け、
足をブランブランさせながらファンタグレープを飲む、
という行為が、いたく気に入ったらしい。 


 まあ、それやあれやを、何だかんだと言いくるめて、
部屋を引き上げ、ロビー横の土産物屋に入った。
 味の虜になってしまった、あの、「干し梅」一袋500円也を、
思い切って6袋買い、一袋をお土産用に包んでもらった。

 チェックアウトは、サラッとしたもので、
追加の幼児料金3150円を払って、とっとと外に出た。

 先に、旅行代理店で会計を済ませてあるため、
全然散財した気がしない。
 タダで泊まったような気さえする。

 ああ、気が楽。


 歩いて2分の駅まで行き、
またガラガラのバスに乗って、
朝10時の東武ワールドスクエアに行った。

 「世界中の建物が縮尺されてたくさんあるんでしょ」
ぐらいに考えていたが、
いざ目の前で見てみると、
どれもこれもよくできているではないか。
 「迎賓館、でか!」
 「ああ! ニューヨークの世界貿易センタービルが、まだある!」
 「空港、リアル!」
 「ベルサイユ宮殿でかすぎ〜!」
 「ピサの斜塔だ!」
 「ピラミッドだ!」
 「万里の長城だ!」

と、中高生でも、大人でも、
結構夢中になって見入ってしまった。
 終始、みんな駆けだしていた。

 世界の建築様式の違いを短時間に見比べられ、
その文化の違いに、思わず感動せずにはいられなかった。

 「面白いな、ワールドスクエア!」

 一家全員でそう思えたのは、
何よりの収穫であった。

 その後、日帰り温泉チケットを使って、
泊まったホテルとは別の旅館で、
また趣向の変わった露天風呂などに入り、
また、駅前の土産物屋で「とちおとめソフトクリーム」なども食べ、
夕方6時過ぎ、特急スぺーシアに乗って、車内で駅弁を食べた。


 いつも、駅のホームでせかせかしながら列車を待っていて、
特急が通り過ぎていくのを、「ふん」と思いながら見ていたっけ。
 特急の窓の中では、
向かい合わせの席で、のんびり弁当をつついている人たちが、
ゆったりと笑いながら座っているのだ。

 それを、
「何よ、人が必死で働いているのに、遊び呆けて! もう!」
と、やっかみ半分で見ていたが、
今は、自分がそのご身分だ。

 なかなかに、いい気分である。

 必死で働いているからこそ、
人一倍、遊び呆けられる。

 急、緩、急、緩、の妙だ。

 いつも一生懸命頑張っているからこそ、
リラックスの度合いも深い。

 頑張れば頑張るほど、
だっら〜〜〜〜〜〜っ、とするのが気持ちいいのだ。

 いつも、頑張って頑張って頑張って頑張って、
息もつかずに頑張り続けてきたが、
それじゃあ、ダメなんだ。

 急、緩、急、緩、で、バランスを取って、
自律神経を整えなくては。

 だから、温泉旅行は、必須。

 普段、息抜きの下手な人ほど、
温泉での静養は、必要!


 夜の8時前に家に着き、
あっという間に普段どおりの生活に戻ってしまったが、
私は、何かひとつ、大事な人生のヒントをつかんだ気がする。

 一生懸命頑張れば、物凄い解放感が得られる。
 ずっとだらけていたら、この大弛緩の快感は知らずに終わる。
 かといって、頑張りすぎると弛緩のスイッチが壊れてしまうし、
弛緩しすぎると、緊張のスイッチが入らなくなる。


 温泉に行く直前まで、
親会社から「誤配防止キャンペーンだ」と厳しく突付かれ、
緊張しすぎて普段しないような大ポカをしでかしてしまったり、
頑張りすぎて神経をすり減らし、結果、体を壊しそうになっていた。

 なぜいつも私は、
人並みに仕事が出来ないんだろう?
 なぜみんなミスをしても叱られても、
するっと気持ちを入れ替えて、
また平気な顔をして仕事を続けられるのだろう?

 私は、何をしても、いつもあせって、急いで、
しょっちゅうミスって、叱られて、
必要以上に落ち込んで、
余計に力が入ってミスをして、
がんじがらめになって、自分を責めて、
そして、いつも勝手に壊れて仕事をやめてしまう。

 でも、温泉に行って、心の均整を整え、
バランスのとれた視点で見れば、
それは、私が「緊張だけで生きている」から起こることなのだ。

 思い起こせば、
どの職場にも、「あの人にまかせれば安心」と言われる人がいた。
 その人たちは、特殊な技能を持ち合わせているという風ではなく、
一見、非常にクールで落ち着いていた。
 そう、落ち着いていたのだ。

 目の前の一個一個の作業を確実に行い、
決して急がない。
 基本に忠実に、冷静にひとつひとつ、クリアしていた。

 決して、私のように、
あせったり、慌てたり、急いだり、取り乱したりしていない。

 順番にひとつひとつ、着実に。
 それが一番確実で、ミスがない。
 ミスがない分、ロスもない。

 そして、職場のみんなから信頼される。

 私は、なぜかいつも慌てている。
 慌てているから、注意力が散漫になり、
結果、ミスをする。
 こんなに人一倍気合を入れて頑張っているのに、
人一倍ミスが多いのはなぜなんだろうと、悩んでいた。
 悩むことに集中しすぎて、
また、目の前の仕事に集中できず、
つまらないミスを連発し、叱られる。

 叱られると、異常にへこむ。
 こんなに頑張っているのに、なぜみんなわかってくれないのか、と、悩む。

 そうなのだ。
 慌てたり悩んだりする分の神経を、
目の前の単純な作業ひとつひとつに集中することで、
簡単にミスは防げるのだ。

 必要以上の頑張りは要らないから、
上の空で仕事をするのをやめればいいのだ。

 落ち着いてやりゃあいいだけの話じゃないか。

 「仕事ができる」=「落ち着いて目の前の作業に集中できる」

ってことじゃないか。

 今まで私を苦しめてきたものは、
世知辛い世間でもなけりゃあ、
生育環境やらトラウマだのでもない。

 ただの「慌てん坊」の癖だ。
 「慌てん坊」と「気にしん坊」が、
いつもバタバタ空回りしている習性だ。

 まず、落ち着け。
 そして、一個一個、余計なことを考えずに丁寧にやれ。

 テンパるな。
 常に心に余裕を。
 ハンドルに遊びのない車が危険なように、
気持ちに遊びのない人間は、危ない。

 神風特攻隊のテンションは要らない。
 浪漫飛行で行こう。

 それでも心に余裕が無くなってきてしまったら・・・・・・

 行こう。温泉。

 温泉旅行、サイコー!



        (了)

(しその草いきれ)29.4.28.あかじそ作